うゐの奥山行(27)―ダンプスにて(前)2009/01/21 09:15

テジくんのダルバート

ロッジの庭でスプライトを飲みながらスケッチしていると、テジくんが昼食のダルバートを運んできてくれた。調理人がいないので自分で作ってきたという。カトマンズの下宿では自炊しているそうで、そういえば、デウラリで3連泊してダルバートの作り方を覚えた日本人の話が出たとき、「3日もかかりませんよ、私は毎日作っています」と言ってたっけ。「おいしいですか?」と聞くので、「とってもおいしいです(本当)」といい、いつもはしないお替りをした。目の前にアンナプルナⅣ(7525M)、アンナプルナⅡ(7937M)、ラムジュンヒマール(4618M)が見える。ダンプスは、天気がよければマナスル方面まで見渡せる絶景ポイントだそうだが、残念ながら雲がかかって、はっきりしない。

うゐの奥山行(26)―ポタナからダンプスへ2009/01/20 12:02

ポタナの検問所

ポタナ(1890M)の検問所でトレッキング許可証を提示し、チェックを受ける。係のおじさんが許可証の名前を確認し、腕時計を見て通過時間を台帳に書き入れる。私もスケッチブックを出して、おじさんが押していた検印を記念に押してもらう。では、と、歩き出そうとすると、すぐ隣にまた検問所がある。「ここはTIMS(トレッカーズ・インフォメーション・マネージメント・システム)です」とテジくん。さっきの検問所はNTNC(自然保護ナショナルトラスト)+ACAP(アンナプルナ自然保護プロジェクト)のもので、ここはTAAN(ネパール・トレッキング・エージェント協会)の発行したトレッキング許可証のチェックを受けるところだ。つまり、トレッカーはNTNCとTAANの両方に入山料を払い、2種類の許可証を携帯するのである。なるほどねえ。TIMSのチェック係はおじさんではなく、若い女性だった。野の花が咲き、わらびが顔を出す、まるで晩春のような野山をゆるゆる下って、12時30分、ダンプス(1650M)のホテル・サクラ着。サクラといっても日本とは何の関係もない。ただ隣家が風の旅行社経営の「月の家」だった。

うゐの奥山行(25)―デウラリへ2009/01/20 09:18

デウラリの猫

12月21日、6時30分起床。ロッジには、なんと西洋式水洗トイレが備えつけられている。が、流れが悪くて往生する。これなら、水でジャブジャブ流せる普通のネパール式の方が簡便でいい。朝食を食べ、フィンランド青年一行を見送ってから、ゆっくり8時に出発。今日はダンプスまで5時間かけて、山肌に沿った“上りもなく下りもない”道を行くのだ。しばらくして、昨日、村の入口で見かけた若者グループに追いついた。「カトマンズから来た学生たちです」とテジくん。東京なら高尾山だが、カトマンズだとヒマラヤにハイキングに来るんだな、と感心していると、「村に3階建てのロッジがあったでしょ。彼たちはそこに泊っていたんですが、昨夜、天井が落ちたんです」と、びっくりするようなことをいいだした。聞けば、学生8人が2階でトランプをしていたら、床が抜けてしまったのだという。幸い怪我人は出なかったが、すごい音がしたので、みんなで見に行ったのだそうだ。そんな村の歴史に残る(かもしれない)大事件が起きたことも知らず、私は白河夜船であった。残念。10時30分、急な坂を上りきり、デウラリ(2080M)着。ここで上りは全部おしまい。終わってみると、なんとなく寂しい。

うゐの奥山行(24)―ランドルクにて(後)2009/01/19 11:54

エベレスト・ビール

夕食が終る頃、ロッジの庭で焚き火が始まった。フィンランド人青年2人やロッジの人たちと炎を囲んでなごんでいると、ほろ酔い加減のおじさんが現れ、私の隣に座った。「わしはインドでアーユルベーダやらシアツやらを全部学び、全部免状を持っているのだ」と自慢し、私に「金はいらんから、手を出してごらん」という。片手を差し出すと、てのひらを揉んでくれた。ついでフィンランド人青年の方を向き、「足を出してごらん」という。青年が半信半疑でズボンの裾をあげると、おじさんは彼の足下に座りこみ、ふくらはぎを念入りに揉み始めた。この突然の親切の“落ち”が見えないので、相棒に「どんな感じ?」と聞かれても、青年は不審そうに「まあまあかな」。しばらしてマッサージを終えたおじさんが「酒を1杯おごってくれ」といい出した。うまいなあ。たしかに私には「金はいらん」といったが、彼には何もいっていない。青年が逡巡していると、彼が飲んでいた瓶ビールを指して、「それをちょっとくれればいい」といい、グラスを持ってこさせてビールを注いでもらうと、おいしそうに飲みほした。どこの国でも酒飲みの考えることは同じである。そのうち、私に向って「わしの家には、すばらしい木の花(ウッド・フラワー)があるのだ。明日、見に来なさい。シャンカールの家といえば誰でも知っている」と何度もいい、探しに来た家人に連れられて帰っていった。青年が「本当に行く?」と聞くので、ナイーブなやつだなと思いながら、「考えとく」と応えておいた。あとで聞くと、おじさんは近所に住むプロのマッサージ師だった。

うゐの奥山行(23)―ランドルクにて(前)2009/01/18 10:52

携帯型固定電話

12時30分、ジヌー(1780M)出発。モディ・コーラを渡って、しばらく下り、畑の中の道を上って、丘の上の村ランドルク(1565M)へ。14時50分、ランドルクのホテル・シェルパ着。ランドルクはモディ・コーラの渓谷に向かって開けた比較的大きな村で、ロッジも大きく、たくさんある。ここからは携帯電話も通じるというので、携帯を取り出して電源を入れてみるが、全然だめ。ふと見ると、ロッジの物干しロープに携帯電話が吊る下げられている。そこだけ電波が来ているのだそうだ。これでは携帯というより“固定”電話である。テジくんにビールを頼むと、エベレスト・ビールの大瓶を持ってきた。里が近くなって缶が瓶に変わったのだ。エベレスト・ビールのラベルは、エベレストに初登頂した(エドモンド・ヒラリーではなく)テンジン・ノルゲイ・シェルパが頂上に国旗をたてている有名な写真である(撮ったのは当然のことながらヒラリー)。2人のうちのどちらが真の初登頂者であったか、2人とも鬼籍に入った今となっては確かめるすべはないが、ネパール人の奥ゆかしさを考えると、最後の瞬間、テンジンはゲストであるヒラリーに1歩譲ったはずだと私は確信する。ビールを飲みながらスケッチしていると、先に着いて昼寝していた西洋人の青年2人(あとでフィンランド人とわかる)が起きてきた。彼らの連れているガイドが煙草をふかしながらビールを飲んでいるのを見て、テジくんが「煙草はガイドの仕事に悪いし、子供の頃、酔っ払ったお父さんがお母さんと喧嘩ばかりしていたので、私は飲みません」という。そんな健気な心がけの人に毎日ビールを注がせて悪かったわと(ちょっとだけ)反省する。