うゐの奥山行(8)―チョムロンへ2009/01/12 12:07

コムロン・ダンダの茶店の猫

12月16日、晴れ。6時起床。白々明けの中の山々が美しい。実は、昨日の雲ひとつない快晴と比べて、ぽつりぽつりと小さな雲が出てきており、これが今日の行程に大きく関係してくるのだが、そんなことも知らずに、きれいきれいと、のんびり景色を眺めていた私だった。ガーリック・スープと紅茶の朝食をとって、7時ちょっとすぎに出発。ガンドルク(1940M)とチョムロン(2170M)は標高差こそ200Mしかないが、その間にモディ・コーラの支流であるキムロン・コーラを渡る、谷越えが控えている。道は石畳の街道で、特にキムロン・コーラからチョムロンへ上る道は段々畑沿いの急な坂道である。モンティ・パイソンの一員だったマイケル・ペイリンの著書「ヒマラヤ」に写真が載っていて、“チョムロン近くの急な石段。一見、のぼりやすそうだが、次第にゆっくりとした拷問となる”というキャプションがついている。まさにその通りで、急なうえに、上りがどこまでもどこまでも続く。冬山用のトレッキング・シューズが重い。見ると、テジくんもモヘンドラくんもスニーカーですいすい歩いているので、羨ましがると、「トレッキング・シューズは高くて買えないんです」。「……」。二度とシューズの不満はいうまいと決める。ふと、登山入門書の中のトレッキング・シューズの歩き方という項が頭に浮かんでくる。よし。テジくんに、“ゆっくり”という意味のネパール語“ヴィスターリ”を教えてもらい、呪文のように唱えながら山での歩き方を復習。すると、シューズの重さが気にならなくなってきた。

うゐの奥山行(9)―チョムロンからシヌワへ2009/01/12 13:02

チョムロンの坂道。

終わりのない上りはない。12時、チョムロン到着。荷物をおろして、ロッジのテラスで恒例となったスプライトを飲んでいると、シンガポールから生徒を引率してきたという先生に声をかけられる。見ると、ロッジの前庭にテントがいくつもできている。生徒の半分はここに泊まり、半分はABCに行っていて、帰りを待っているところだという。旅行会社の作ってくれたスケジュールでは今日はここに泊まることになっているのだが、テジくんが、このままシヌワまで行きましょうというので、昼食のダルバートを食べ、13時30分にシヌワに向けて出発。地図で見ると、チョムロン(2170M)=シヌワ(2360M)間は、ガンドルク=チョムロン間の3分の1弱の距離しかないが、ここにもモディ・コーラの支流を渡る谷越えがあるのだ。谷に向って急な坂(復路は、ここを上ることになる!)を下って行くと、ABCから戻ってきたシンガポールの生徒たちとすれ違った。

うゐの奥山行(10)―シヌワにて2009/01/12 13:21

夕焼けのマチャプチャレ

チョムロンのロッジから少し行ったところに学校があり、シヌワへの道中、学校帰りの生徒たちと一緒になる。彼らは片道2時間の山道を毎日通ってくるのだ。「だから、足腰が強くなるんだね、羨ましいなあ」というと、「でも、学校は近い方がいいです」とテジくん。確かに。テジくんも子供の頃は牛小屋に敷く草を毎日20キロも運びあげたのだという。そのあと、ポーターを経てガイドになり、去年、試験に合格し、A級ライセンスを取ったのだそう。モヘンドラくんも今はポーターをしながら地形を覚え、いずれガイドになるのだ。さすがに1日2回の谷越えはきつかった。3時30分、汗だくになってシヌワのロッジに到着。ロッジはソーラー発電なので、日が陰ってお湯が冷めないうちにシャワーを浴び、がんばったご褒美に、ビールを飲む。