チョラパス越えて(32)―トレッキングは油断大敵2011/01/31 13:33


遙かなるチョラパス
最後にちょっと波乱があったものの、ゴーキョに行き、チョラパスを越え、カラ・パタールに登り、EBCを見て(到達はしなかったけどさ)、達成感のあるトレッキングだった。何より、テジくんとの約束が果たせたことが嬉しかった。
さて、今年は去年の反省を踏まえて、高山病対策を練り直したことが成功につながったと思う。その対策とは、その1、ゆっくり登り、休養日を設ける。その2、水を沢山飲む。その3、頭が痛くなったら、頭痛薬を飲む(まあ、普通ですね)。中でも一番効果のあったのは1の休養日で、2番目が水分補給だと思う。去年まではサーモスでお茶を飲んでいたのだが、サーモスだと、なかなか冷めないので、朝昼晩ロッジでお茶を飲んでいても、全体的に量が不足したようだ。それで、今年は1Lの水筒を用意し、夜は、お湯を入れて湯たんぽに、朝、冷めたところにポカリの粉末を入れて、行動中に飲むようにした。頭痛薬はマッチェルモで試してみたところ、半日程度は誤魔化せるが、やはり高度順化までのつなぎといった感じ。

遙かなるエベレスト
今年、持っていってよかったものの第一はシルクのトラベル・ライナー。寝袋も汚れないし、肌触りがよく、暖かさが増す。まるで役に立たなかったのはブリーズライト。高山病の予防になるかと思ったが、私にはまるで合わなかった。また、食欲が落ちたときのためにと思って、日本から持っていったレトルトカレー(成田で没収の危機を逃れたものの)や、ふりかけ、インスタント味噌汁なども、ネパールのお米にまるで合わず、普通にダルバートやフライドライスを食べた方が、ずっと美味しかった。
遙かなるカラ・パタール

帰国後、私より一足先にカトマンズに戻り、その後、タイでロッククライミングをしているアンナ・リーズからメールが来た。なんと、カトマンズでお寺を観光しているときにスリに遭ってカメラを盗まれ、トレッキング中に撮った写真が全部なくなってしまったというのだ。気の毒に。私にも身に覚えがないわけではないので(カテゴリー欄のMachupicchu参照)、彼女が写っている写真を何枚かメールに添付して送った。
トレッキングは、前(私)も、後(アンナ・リーズ)も、油断大敵である。



チョラパス越えて(31)―空港にて2011/01/31 12:33


2011年はネパール観光年
20時すぎ、見送りに来てくれたラグーさんとホテルのロビーでお別れし、会社の車で空港へ。ドラゴン航空のカウンターが見つからなくて少しまごつくが、問題なくチェックインし、2階の出国フロアへ。と、壁に行方不明者の紙が。20代後半のオーストラリア人女性で、ランタン方面へ一人でトレッキングに行き、行方不明になったという。テジくんが言っていた“犬を使って山狩りをしたが、見つからなかった単独行の女性”というのは、この人かもしれない。去年の中国人青年のこともあるし、単独行には危険が多いなと改めて実感。
全機、搭乗中

待合室で、ハビエル・バルデム似のムキムキ青年を主人公にしたインドのメロドラマを見て、そろそろダッカからドラゴン航空機が着く頃だろうとゲートに向かう。手前で手荷物チェックを受けるのだが、浅黒い小柄な女性係官の振る舞いが、いかにも怪しい。ニヤニヤしながら念入りに身体検査し、どうでもいいような小物までいちいちチェックする。(この人、ゲイ?)。後で“頬を撫でられた”と話している日本人の女の子がいたので、やっぱり真性なのか。それにしても、観光年を迎える国の空港として、こういう係官は、いかがなものか。
さて、ゲートへ行くと、相変わらず大勢の乗客でごった返している。ふと見ると電子式掲示板が!(去年、あったっけ?)が、惜しいかな、全機“BOARDING”表示で、頼りになるのは、やっぱり係員の呼び出しなのだった。

香港の朝焼け

12月28日5時45分、香港に着き、キャセイ航空便に乗り換えて、14時20分、成田着。これで楽しかったトレッキングがすべて終了。赤黒く日焼けした顔のまま自宅に戻る。

チョラパス越えて(30)―帰る日2011/01/30 09:58


犬は路上で丸くなる
12月27日、いよいよ日本へ帰る日が来た。休養のせいか、整腸剤が効いたのか、体調はほぼ回復。昨日の失敗を反省し、ホテルの朝食をパスして、突然食べたくなった日本食で“お腹にやさしく”復食することに。その前に、去年パクディンで会った日本人留学生Tくんに教えてもらったマッサージに行くことにする。その、カトマンズの“銀座通り”、ダルバール・マルグにある友愛ヘルスセンターは、まるで日本の治療院といった感じ。中に入ると、若い女性(と思う)が一人治療中だった。私を担当してくれたのは30代のネパール人男性で、指の力がすごく強い。日本式の按摩だが、日本で受けるのとは順番が少し違い、思いがけないときに思いがけないところを揉まれる(えー、今度はそこ?)ので、びっくり。正直ちょっとだけ疲れたが、1時間半たっぷり揉まれて750ルピーは安かった。
ふる里の唐揚げ定食
さて、マッサージの後はタメルの日本食レストランふる里へ。今日は“どっぷりニッポンの日”だ。いろいろ迷って唐揚げ定食を注文。ご飯はお茶碗でなく、浅めの小鉢に盛られていて、いつもの私なら5杯は軽いだろう。時間が遅かったので、店内には私の他には40代の日本人男性一人だけ。訊かれるままにEBCへ行ってきたと言うと、彼はこれからトレッキングに出るところで、長い休みがとれなかったので7日間でEBCを往復したいと言う。不可能ではないが(テジくんはルクラ・ゴラクシェプ間を2日で往復すると豪語)、高度順応日を設けず登りを急ぐことになり、高山病は必至だろう。ゴーキョの方が無難では?と言ってみたが、どうしてもEBCへ行きたいと言って店を出ていった。ペリチェあたりでリタイアすることにならなければいいのだが…。
インドラ・チョーク、今年は機動隊員なし
私の乗る便は深夜発なので、夜までたっぷり時間がある。最後に散歩に出かけることにし、インドラ・チョークまで下っていくと、去年、機動隊員が睨みをきかせていた通りは、いつもの賑わいに。足のむくまま、あちこち見て回り、6時までに部屋を空けるよう言われていたので、ホテルに戻って荷物をまとめ、最後の食事に出かける。どうしてもラーメンが食べたくなって、M太郎に行き、チャーシューメンを注文。ところが…。スープとチャーシューはとっても美味しいのに、麺にまったくコシがない。口に入れると粉々にへたれていき、何とも言えない不快な感覚が残る。最近食べたものの中で5本の指に入る不味さだ。
カトマンズのチャーシューメン
ふと隣席を見ると、地元民らしいおじさん2人組が焼き鳥とビールで盛り上がっていた。う~ん、あっちにすればよかった…。

チョラパス越えて(29)―休養日2011/01/29 12:57

タクシーでタメルに戻り、ホテルに荷物を置いて、ヒマラヤン・アクティビティーズのオフィスへ。ラグーさんにトレッキングの報告をし、次の計画(カイラス巡礼)を相談する。その後、スーパーに寄って、1L入りの100%フルーツジュース(ナシとブドウ)と、ビスケット、クラッカー、ビールを買い込み、ホテルの部屋のベッドに寝そべって、ちびちび飲みながら、香港の空港で買っておいたペーパーバック版<The Lost Symbol>を読む。下痢は相変わらずだが、ビスケット程度は食べられるようになり、整腸剤が飲めるようになる。これまでホテルでもシャワーしか浴びたことがなかったが、夜、蛇口を捻ってみたら思いがけなく熱いお湯が出てきたので、2週間ちょっとぶりに熱いお風呂に入ってホッとする。
トレッキング前(12月10日)
タメルもご多分に漏れず建設ラッシュ。ホテルの裏の広い空き地に新しいホテルが建てられていた(なので部屋の日当たりが多少悪くなった)。トレッキング出発前の12月10日は、まだこんな感じ(↑)だったが、帰ってきてみたら、正面部分が、かなり出来上がっていた(↓)。
トレッキング後(12月26日)

12月26日。今日はトレッキングの予備日で、元気なら観光に出かけるところだが、市内はほぼ見て回ったので、休養に充てることに。起きてみると調子がよさそうなので、朝食を食べに食堂へ。3日間断食(?)した後の復食第一回目だが、調子にのって普通に食べてしまい、夜まで胃が重くて苦しむ。
復食開始

部屋の鏡で見ると、顔の下半分が赤黒く日に焼けて定着していて、びっくり。ずっと被っていた毛糸の帽子も、今は汚れてみすぼらしく見える。帽子がないと頭が寒いので、スーパーにジュース(今度はリンゴ)を買い足しに行った帰りに、路地に店を出していた青年から帽子を買う。250ルピーというのを200ルピーに値切ったのだが、もっと元気があれば、せめて150には値切られたのにと悔しく思う。買い物も体力勝負である。
ホテルに戻ると、ゴーキョで別れたKさんと再会。彼は隣のホテルに泊まっていて、昨日テジくんがメモを残したのだが、届いていないと言う。ホテルのせいではなく、テジくんがKさんの名前を誤って覚えていたためだろう。Kさんとメルアドを交換。部屋に戻って、再び本を読みながら休養を続ける。

チョラパス越えて(28)―カトマンズ2011/01/29 10:58


後ろは山、前は崖の飛行場
12月25日6時起床。7時までに荷物をまとめ、食堂でお茶を飲む。私が乗る飛行機は8時30分発の第2便だが、例によってカトマンズが曇りで、10時頃になるだろうという。去年もロッジで3時間待機したし、今年は例年にまして天候不順で飛行機の便が乱れているので、大幅な遅延は覚悟の上。しかし、9時15分頃、カトマンズを離陸したと連絡が入り、あわてて飛行場へ。が、途中でその情報が間違いとわかり、待合室は寒いとテジくんが言うので、日当たりのいいフェンス際で待つことに。
飛行場のフェンスで暖まる
10時少し前、第1便に続いて、私達が乗る第2便も到着。思ったよりずっと早かった。我先にと群がる乗客達をくぐり抜け、さっさと右側の一番前の席を確保。ただし、離陸してから、右側は正解だったが、カトマンズ行の場合は後の方が景色がよく見えることに気づく(中間は翼が邪魔になって×)。
カトマンズ空港のバッゲージクレーム
11時少し前、無事カトマンズのトリブバン空港に着陸。