再びのランタン・ゴサインクンド - 出発まで2018/01/04 13:48

さて、ヒマラヤ・トレッキング10年目はどこへ行けばいいのか、2016年にネパールから帰ってからずっと考えていた。前々から10年目はまたテジくんと1回目と同じABCに行きたいと密かに思っていのだが、諸般の事情により不可能となり、昨年同時期にランタンに行った登山家で写真家の谷口京さんが撮ったティルマンズ・パスの写真があまりにも神秘的で美しかったので、パスの手前くらいまでは私でも行けるかもと思って情報を集めた。ところが、ランシサ・カルカまでは「地球の歩き方」にも情報が出ているほどだが、その先となるとさっぱり。ランタンの地図を頼りにあれこれ頭をひねってみたが、ラジュくんも私には無理というので、ティルマンズ・パスは諦め、まっすぐ北上すれば着くだろうモリモトB.C.に目的地を定めた。それでもランシサ・カルカで1泊ないしは2泊キャンプの必要がある。ガイドはスリーパスをドタキャンした(と言えなくもない)ラジューくんが、ぜひやらせてくれというので彼に頼むことにした。ヒマラヤン・アクティヴィティーズが絡まないトレッキングは今回が初めてである。
*)モリモトB.C.というのは、1961年にランタン・リルン初登頂を目指した大阪市立大山岳部遠征隊がランタン氷河の奥を踏査した際に登った山で、隊長の森本嘉一氏の名をとってモリモト・ピークと名付けられた(森本氏は、ランタン・リルン登頂中、C3地点で雪崩にあい、隊員1名シェルパ1名と共に遭難された)。その山のベースキャンプがモリモトB.C.で、ランタン氷河の縁にある。ちなみに、モリモト・ピークにはベンダン・リという現地名があるが、今はモリモトの名も地図に記載されている。その後、大阪市立大山岳部は、64年の第二次遠征隊の敗退を経て、78年第三次遠征隊によってランタン・リルン初登頂を果たした。

再びのランタン・ゴサインクンドーカトマンドゥへ2018/01/06 13:35

12月8日、9:10成田発、仁川乗り換えでカトマンドゥへ。2年前に仁川→カトマンドゥ便の時間が変更になり、成田を早朝発ってその日のうちにカトマンドゥに着けることになったのはいいのだが、飛行機がエベレストの横を通る頃には日が暮れてしまうので、以前のように機上からエベレストの写真は撮れず、ヒマラヤの白い峰を見るのがせいいっぱい。
夕焼けのヒマラヤ
トリブヴァン空港に30分以上も早く着いて、ホテルの迎えが来るまで空港の外で待つことになるかとハラハラしたが、結局スーツケースが出てくるのが遅くて、稼いだ時間はチャラに。外に出ると、ホテルの迎えが来ていた。ラジューくんとも無事再会。
トリブヴァン空港のバゲージクレーム
去年から計画停電がなくなったカトマンドゥは、おしゃれな店が増えて、雰囲気がぐっと明るくなった。電気が使えると、こんなにも違うものなのかとしみじみ。しかし、前のカトマンドゥの雰囲気も好きなのだが。交通渋滞は相変わらず、ラグーさんだと、すぐに近況報告になって、ずっとおしゃべりするのだが、ホテルの運転手とは特に何も話すこともなく、タメルのホーリー・ヒマラヤへ。予約した部屋はスーパー・デラックスという超広いツイン。(↓)
ホーリー・ヒマラヤの広いツイン・ルーム
バイクで追いかけてきたラジューくんとロビーで簡単な打ち合わせ。実はラジューくんは、お父さんが足を悪くして、実家に帰ることになったので、今回のトレッキングは土壇場で2歳上の兄スンくんがガイド、去年ポーターについてくれた甥のルペシュくんが今回もポーターということに変更になったのだった。明日スンくんと顔合わせの時間を決め、
桃太郎の餃子
初日はやっぱりギリンチェで、と行ってみたら、年中無休のはずが7日、8日と臨時休業。しかたなく近くの桃太郎で焼き餃子と野菜炒めでエベレスト・ビールを飲む。これで970ルピー。

再びのランタン・ゴサインクンド - Day02018/01/10 11:08

12月9日7時すぎに起床。荷物を片付けてから1階へ降りて朝食。このホテルに初めて泊まった10年前からいる、愛想のいいお兄さんに挨拶。最初は旧館の食堂で、イギリス式に卵の焼き方から何からオーダーする形式だった。今は旧館とホテル・アンナプルナとの間にあった広々した空き地にホテルが建ち並び、日当たりが悪くなった旧館はほとんど使われていない。
ダルバール広場
朝食の後、散歩に出る。前日選挙があったので、あちこちに旗や垂れ幕が残っている(↓)。いつものようにアサン・チョークまで下ってアンナプルナ寺院にお参りし、ダルバール広場(↑)まで行き、ロープの前で回れ右して(ロープをまたぐと入場料をとられる。無料だった震災の年以来、中に入っていないので、どれほど修復が進んでいるのかさっぱり分からない)アカシュ・バイラヴ寺院まで戻って北上する。
前日が投票日だった選挙のポスター
アサン・チョーク(↓)は工事中のようで、何やら仕切りが出来ていた。一昨年は、ここからインドラ・チョークへ行く道の舗装工事だったが、ついにアサン・チョークの舗装にも着手するのだろうか。
アサン・チョーク工事中
インドラ・チョークのそばで豆腐を売っていたおばさん(↓)
豆腐売りのおばさん
カテシンブー・ストゥーパに立ち寄って、マニ車を回しながら塔を一周、トレッキングの無事を祈る。突然現れたおじさんが鳩に餌をやり始め、そこら中の鳩が集まってきて大騒ぎ(↓)。
鳩おじさん
ホテルのWiFiにうまく繋がらないので、タメルのインターネットカフェに寄って、メールをチェック。1時間100ルピー。さすがにナムチェより安い。いつもの両替商で両替をしてから(300ドルで30500ルピーにしろと交渉したら、全部500ルピー札でくれた)、いつものビッグマートへ行って買い物。実はホテルの周辺の店舗に変化があり、旅行代理店だったところに新しいスーパーやら大きな酒屋が出来ていた。試しにスーパーに入ってみると、それほど高くなさそうだったので、エベレスト・ビールの缶を買ってみた(140ルピー)。14時30分にロビーでラジューくんとお兄さんのスンくんに会い、明日からのトレッキングの打ち合わせ(ラジューくんが相変わらず自信満々なので、私はこの時もまだスンくんが弟だと思っていた)。
18時に念願のギリンチェに行き、ベジモモと鶏手羽串でトンバを飲む。トンバはほどよく発酵していて、とても美味しかった。
ギリンチェのベジモモ

再びのランタン・ゴサインクンド―Day1 シャブルベシ2018/01/28 14:45

12月10日朝4時に起きて荷造り。持っていかないものをまとめてスーツケースに入れ、ホテルに預ける。5時45分にチェックアウト。2泊で100ドル。6時にスンくんとルペシュくんと3人でタクシーでナヤ・バスパークへ。バス(全部指定席)に乗って出発を待つうちに、夜が白々と明けてくる。
夜明けのナヤ・バスパーク
6時20分頃に出発。しばらくは上り。道は狭く、山が迫っているうえ、地震後、あちこち工事が続いているのでトラックが多く、すれ違うときがスリル満点だ。道は渋滞気味。のろのろと山を越えると、今度はタディ・コーラに向けてのろのろ下っていく。
山道はトラック渋滞
10時30分頃、ビドゥルという町にさしかかると、警官が道路を封鎖していた。昨日選挙の開票があり、マオイスト(毛沢東派=共産党)が勝って、その勝利集会があるのだそう。1時間半くらい待つというので、少し早いが昼食休憩となる。
規制中の女性警官たち
通りに面した食堂で昼食を食べ、外に出てみると、集会へ向かう赤い旗を掲げた人たちを乗せたトラックやバンが次々にやってきた。車はここから先には行けないので、ここで降りて徒歩になる。
マオイストの勝利集会
食堂で食べたネパール定食ダルバート(↓)。もちろんノンヴェジ(鶏)。
ビドゥルで昼食
1時間半では済むまいと思っていたのだが、本当に1時間半で封鎖が終了。15時頃にドゥンチェに着き、チェックポストでトレッキング許可証のチェックを受ける(↓)
ドゥンチェのチェックポスト
16時15分頃、ようやくシャブルベシ着。2013年に同じルートをバスで通ったときも、道が悪くてひどく揺れる(雨期の頃、大雨で崖崩れが起きたりする)と思ったが、今回は地震で道が痛んだため、そのときの3倍くらいひどかった。
シャブルベシまで乗ってきたバス
18時30分、カレーライスで夕食。風邪気味で喉が痛くなり、葛根湯を飲む。夜になって、念のため風邪薬を飲むことにする。この判断があとあと響いてきてしまうのだが…。