テンジン・ヒラリー・ルートを歩く Day18 Kathmandu2016/01/20 12:56

12月22日、曇りのち晴れ
5時起床、6時にトースト、フライドエッグ、ブラックティーの朝食。サレリの実家に帰るニルグマールさんとは、ここでお別れ。晴れていれば6時30分に飛行場に行く予定が、あいにくの曇りで、ロッジで待機。いつもはトレッカーで賑わうロッジだが、今回は私以外にネパール人の家族がいるだけ。ずっとロッジの親戚かと思っていたら、そうでなく、朝の便でカトマンドゥに行くために泊まっていた人達だった。
ナマステ・ロッジの朝
朝食を終えても、なかなか天気は晴れず、3時間待って今日は無理かもと思った頃に、やっと連絡が来て、9時30分に飛行場へ。去年は売店が出来ていた待合室に、今年はテレビがついて、皆でプロレスを見ていた。ネパール人はプロレスが好きだな、と思う一方で、私の子供の頃はプロレスが大流行して、皆が街頭テレビで試合を見たりしていたことを考えると、日本とそんなに変わらないかな、とも思う。
飛行場の待合室にテレビが
そうこうするうちにタラ・エアーの1便はすぐに来て、先頭で乗り込み、去年とまったく同じ、コックピットのすぐ後ろの右側に座る。他の乗客は皆ネパール人で、外国人は私1人だ。
タラ・エアーの1便
10時離陸。この席からは翼が邪魔になってエベレストは見えないが、これまで歩いてきたルートの上を飛ぶので、ヌンタラの結婚式に出るカップルに出会ったプルテンのストゥーパがはっきり見えた。
眼下に、これまで歩いたルートが
10時30分すぎにカトマンドゥ空港着。ナマステ・ロッジで一緒だった家族も同じ便で到着。
意外なつながりのあった乗客
バッゲージ・クレーム(というほどの場所ではなく、道端で荷物を受け取る)に行ってみたら、国内線ターミナルが立派なビルになっていてびっくり。
国内線ターミナルが大刷新
ホテルに着き、お湯がぬるかったが、我慢してシャワーで体を洗い、特に汚れていた髪を3度もシャンプー。さっぱりしてからヒマラヤン・アクティビティーズのオフィスに行き、トレッキングの報告と精算。ここでいろいろ話をしていたら、ナマステ・ロッジで会った家族は、なんと春日山さんの大家さんの親戚だと判明。世の中、狭いです。
昼は桃太郎でカツ丼
昼食は桃太郎でカツ丼とビール。トレッキングが終わりに近づくと、いつもカトマンドゥに戻ったら、まず何を食べようか考え始めるのだが、今年は早々これに決めていた。

テンジン・ヒラリー・ルートを歩く Day17 Lukla2016/01/17 16:26

12月21日、晴れのち曇り
6時起床、7時にチャパティとゆで卵、ブラックティーの朝定を食べ、7時40分に出発。ナムチェの真ん中を流れている小川に屋根が出来て、なんだか観光地みたいになっている。集落を出て少し行ったところで、ネパールの国鳥ダフェを発見。餌付けをしているのか、ゴミを漁りにくるのか、この辺はダフェのビューポイントである。
ネパールの国鳥ダフェ
チェックポストを過ぎて少し下ると、いつものエベレスト・ビューポイントに着く。ここで昨日撮れなかったエベレストの写真を撮影。
最後のエベレスト・ビューポイントからの眺め
いつもならパクディンで1泊し、ルクラまで2日かけて下るのだが、今回はナムチェ→チュクン2日の予定に3日かけたため、ルクラまで1日で下って日数を稼がねばならない。今回は本当に休養日が1日もないトレッキングになってしまった。そろそろクリスマス休暇を利用してトレッキングに来た人達が多くなり、まだ元気な彼らとすれ違いつつ、トクトクまで来ると、ロッジの入口にクリスマス・ツリーが飾られ、大音量で陽気な音楽が流れている。民謡っぽい歌謡曲だが、聞けばネパールのクリスマス・ソングだそう。こんな山奥にもクリスマスの波が。
ヒマラヤの山奥にもクリスマス
11時50分にパクディンのビアガーデン・ロッジでチキン・フライドライスとホットレモンの昼食。再び歩き出す頃には、すっかり空が曇って太陽が隠れてしまい、気温もぐんぐん下がってきた。
チョウタラで一休み
ナムチェからパクディンは約800mの下りだが、パクディンからルクラまでは約200mの登り。チュプルンで、ジリからの道と交差する分岐点に通りかかる。9日前に、ここからEBCへ向かったのだと思うと感慨深い。そうこうするうちに、空から小さな氷の粒のような、雪のようなものが降ってきた。明日の天気は大丈夫だろうか、飛行機は無事に飛ぶだろうか。
ジリ方面との分岐点
15時にルクラの門に到着。門に掲げられている半身像の人物が、スルケに家があった、ネパール女性として初めてエベレストに登頂し(下山途中で遭難し)たパサン・ラム・シェルパである。
ルクラの門
15時10分、ナマステ・ロッジに着き、去年と同じ中庭に面したシャワー付きの部屋をもらう。去年と違って曇っていて寒いので、とてもシャワーを浴びる気にはならなかったが。

テンジン・ヒラリー・ルートを歩く Day16 Namche2016/01/17 12:51

12月20日、晴れのち曇り
トレッキングも今日を入れて残り2日。そのせいか、よく眠れず、来年はどこへ行こうかとか、カトマンドゥへ帰ったら何を食べようかとか、どうでもいいようなことを考えて、悶々として過ごす。ともあれ、6時起床、7時にジャム・トースト、ブラックティーの朝食。7時45分出発。
パンボチェからタンボチェへ
ミリンガへ渡る橋が落ちているので、イムジャ・コーラの河原に下り、ぐるっと回って仮橋を渡り、タンボチェへ登り返す。
落ちた橋を上から見たところ
朝は晴れていたのに、タンボチェでエベレストの写真を撮ろうとすると、ガスが出てきた。

タンボチェでガスってくる
タンボチェの坂を下り、吊り橋をプンキ・テンガへ渡ると、そこからサナサまで長い登りになる。こんなに長かったかなと思いながら登っていくと、辺りが次第にガスってきて、ふと見上げると、木の葉についた水滴が凍って、山全体が白くなっている。
山の中腹にキャンジュマ
前半バンダルからスルケまでは、晴れたり曇ったりだったが、後半エベレスト街道に入ってからは晴天続きで、去年と違って天候に恵まれたねとラジューくんと話していたのに、ついに運が尽きたのだろうか。11時30分に去年、泊まったキャンジュマのアマ・ダブラム・ビュー・ロッジに寄り、卵入りヌードル・スープ、ホットレモンの昼食。ロッジには生まれたばかりの子犬が2匹いた。
最後のエベレスト・ビューポイントもガス
再び歩き始め、ナムチェの手前の最後のビューポイントからエベレストを振り返ると、雲で何も見えなかった(↑)。遠くは見えなくなったが、代わりにニルグマールさんムスク・ディア(ジャコウ鹿)を見つけて教えてくれる(↓)。オス1頭、メスと子供5頭、全部で6頭の一家だった。
ムスク・ディアー
去年は、この辺りでダフェを見かけたのだが、今年は水滴が凍りついて白くなった森と霧で、まるで別世界である(↓)。
ナムチェへの道
13時20分、ナムチェのホテル・カマル着。寒かったのでジンジャー・ハニー・ティーを飲み、インターネット・カフェへ行って、メールをチェック。ネット・カフェでもミルクティーを出してくれた。
霧の中のナムチェ
18時にグリルド・チキン、ライス添えの夕食。するとネイサンがやってきたので、ラジューくんと3人でククリ・ラムで乾杯し、トレッキングの無事終了を祝った。

テンジン・ヒラリー・ルートを歩く Day15 Pangboche2016/01/17 12:39

12月19日、晴れ
今日から下り。6時起床、7時にチャパティ、ゆで卵、ブラックティーの朝定。昨日、「わざわざ朝早くカラ・パタールに行かなくてもいいですよね」と言っていたツトムくんは、言葉に反して、カラ・パタールにエベレストの日の出を見に行ったようだ。メルアドを書いた名刺をネーサンに託すと、少し前から頭痛がしていた彼は今日下ることにしたと言う。
ロブチェのロッジが見えてくる
私達は7時50分ころ出発、2時間たらずでロブチェを通過。
ロブチェのロッジとヤク
トゥクラ・パスへ向かう途中、地震で地面に亀裂が出来ているのをラジューくんに教えてもらう。
地震の亀裂
トゥクラ・パスから下を眺めたところ(↓)。登りはあんなに苦労したのに、下りはあっけない。
上から見たトゥクラ・パス
パスは易しかったが、トゥクラからペリチェまでの道がうんざりするほど長く感じられる。しかもクーンブ・コーラの河原なので、風が吹き抜けて寒い。12時20分、ペリチェで昼食。ペリチェはほとんどのロッジが地震の被害を受けたそうで、そのせいか、トレッカーがいないせいか、開いているロッジを見つけるのに一苦労だった。
クーンブ・コーラの橋は落ちてなかった
ペリチェからクーンブ・コーラを渡る橋は、幸い落ちていなかった。橋を渡るとペリチェ・パスまで登りになる。
ペリチェ・パス
ペリチェ・パスの上に出ると、タムセルク、カンテガの峰が見えてくる。ここからパンボチェまで下る道は、私の好きなトレッキング・ルートだ。14時20分、パンボチェのエベレスト・ビュー・ロッジ着。2010年と同じロッジだ。ここでエベレスト・リンクのプリペイド・カードを売っていたので、試しに3時間350ルピーのカードを買ってみる。最初はカード自体に問題があったようで、カードを替えてもらって再挑戦。今度はうまくいった。が、いったんログアウトすると3時間以内でも繋がらなくなってしまう。まだ問題が多いシステムのようだ。

テンジン・ヒラリー・ルートを歩く Day14 Everest BC2016/01/15 11:16

12月18日、晴れ
6時起床。さすがに寒い。7時にチャパティとゆで卵、ブラックティーという朝定を食べ、7時50分に歩き始める。まずはゴラク・シェプまで、クーンブ氷河が干上がったモレーンの上を歩く2時間30分の登り。
ゴラク・シェプへの道
10時35分、少しバテ気味ながらも、無事ゴラク・シェプ(5140m)着(↓)。ロッジの前の白い砂地は池の跡、てっぺんの黒い丘がエベレスト・ビューポイントのカラ・パタール(5550m)、その背後に聳えているのがプモリ(7165m)だ。
ゴラク・シェプ(5140m)
ハムチーズ・サンドとホット・マンゴージュースの昼食を済ませて、11時30分にEBCへ出発。クーンブ氷河の土手(モレーン)の道(↓)を、ヌプツェの壁を右手に見ながら北上する。
モレーンの道
EBCは氷河の上にあり、氷河が動くので、毎年位置が変わる。今年は例年より手前で、2時間ちょっとで着く。エベレスト登山の最初の難所、悪名高いアイス・フォールが見えてくると、エベレストの峰はロー・ラ(6026m)に隠れていく。ゆえにEBCから山頂はわずかしか見えず、エベレストを眺めるには、EBCよりもカラ・パタールに登る方がいい。
クーンブ氷河とアイス・フォール
2010年のチョラパス越えのときに、欲ばって早朝カラ・パタールへ行き、その足でEBCへ行こうとしたら、氷河を渡る直前でスタミナが切れてしまった(ロンリープラネットには“1日で両方行くのは無理”とある)。なので今回が初EBCである。前回引き返した地点から少し先で、モレーンの急坂を下って氷河に入る。厚い氷の壁がせりあがった間をぬっていくので、つるつる滑って歩きにくく、危ない。
氷河を渡ってベースキャンプへ
シーズン中には世界中から登山家が集まり、テント村ができるベースキャンプだが、シーズン・オフの今は誰もいない。4月の地震のときに雪崩で大勢の人が亡くなったので、跡にケルンが立っていた。それまで雪崩はヌプツェで起きたものと思っていたが、ヌプツェではなくプモリだった。現地に立ってみると、ヌプツェならまだ距離があり、クッションとなる岩壁もあるが、プモリから氷河の上までは一直線で、雪崩が起きたら、ひとたまりもなかったろうと実感できる。この雪崩で、日本人で唯一犠牲となったのが、中国登山隊のドキュメンタリー撮影に参加していた山方浩さんという録音技師で、映画業界にいる友人の知り合いだった。ケルンの前で東京から持っていったお線香を焚き、山方さんを始め、犠牲になった多くの人々の冥福を祈った。
4月の雪崩で多くの犠牲者が出たEBC
同行した自転車冒険野郎コンビと一緒に記念写真を撮り合い、氷河を渡り返して土手の上の道をゴラク・シェプへと戻る道すがら、「前回はEBCまで行けずにモレーンの端で引き返したんだ」と言ったら、「それは正解でしたね」とツトムくん。急坂を降りて氷河を往復する、この最後の行程は予想以上にきつかったので、前回無理して先に行ったら、途中で力尽きて、日があるうちにロッジに戻れなかったなと改めて思った。無事に帰るまでがトレッキング(登山)である。