3度目のスリーパス― Last day in Kathmandu2017/03/28 15:19

12月26日晴れ
6時起床。熱いシャワーを浴びる。8時30分に1階のダイニングで朝食を済ませ、荷造り。チェックアウトは11時ということなので、散歩がてら買い物に出ると、10時前だからなのか、いつも行く蜂蜜屋もスパイス屋も閉まっている。
相変わらずのボブ・マーリー
11時にトランクをホテルに預けて、また蜂蜜屋に行くと、今度は開いていたので、蜂蜜(ハニー・ハンターが獲ってくるワイルド・ハニー)と蜜蝋製のリップクリームを買う。おじさんが「昨日、前を通っただろ?」と言う。ヒマラヤン・アクティヴィティーズのオフィスへ行く途中にあり、毎年寄るので、顔を覚えたらしい。お茶に誘われたが、今からボウダナートへ行くし、午後4時に迎えが来るのでそれほど時間がないと言って断る。去年はスワヤンブに行ったので、今年はボウダナートへ行こうと決めていた。地震で壊れたストゥーパの頭の部分の修理ができて、目が開いたと聞く。タメルから歩いて行く途中、軽食屋の前で、ちんまり待っている犬に遭遇。結界でもあるのか、敷居をまたいではいけないと教えられているのか(↓)、左奥の山羊とは大違いで、おとなしい。
犬の結界
タメルからボウダナートまでは歩いて1時間15分くらい。ネパール式道路横断のスキルを磨きつつ、チャバヒルまでリングロードを北上し、ボウダナートへ右折すると、またも警官がネズミ取りをやっているのに遭遇(↓)。
ネズミ取り中
ボウダナートではストゥーパの落成記念で、各地から信者が集まり、法要が開かれていた。いつもなら上にあがって、ぐるっと1周できるのだが、私のような部外者は、北側の一部にしか上がれなかった。
ボウダナート
ストゥーパの台座にはめこまれたマニ車を回しながら右回りに1周。私の前で臙脂の衣を着て数珠を手にしたお坊さんや、チベット族のおばさんが熱心にお経を唱えながら回っていたが、私はそこまで信心深くない。
マニ車を回しながらストゥーパ一周
歩いてタメルに戻り、ハンコック・サランで遅めの昼食。チャプチェとキムチ・ジョンでゴルカビールを飲む。帰りにスパイス屋へ寄ると、向かいの大きな店舗に引っ越していた。元の店舗は地震で危険になって閉めたのだそう。愛想のいい店主が、「朝、来たでしょう」と言うので、「見たんなら、声をかけてよ」と言っておく。店主は商売上手で、いろいろ薦められたが、怪しいサフランとお茶だけ買い、「後は来年ね」、と言って帰る。16時半にラグーさんが車でホテルに来てくれ、空港へ。今年から大韓航空はカトマンドゥ20:30発→仁川翌5:30着、仁川発10:10発→成田12:20着に変更になった。そういえば、去年はインドの経済制裁があって、ハノイで給油してから仁川に行ったんだっけ。
帰りの大韓航空機
さて、今回のトレッキングはこれですべて終了。体調を崩すこともなく、3度目のトライで念願のスリーパス越えを達成、2011年のアンナプルナ・サーキットと並ぶ、最高に楽しいトレッキングとなった。

3度目のスリーパス― Day19 Lukla to Kathmandu2017/03/28 11:13

12月25日晴れ
6時ちょっと前に起きて荷造り。6時45分、荷造りを終えて外に出てみたら、明るくなってきた空は、幸い晴れているようなので一安心。最後に測った血中酸素濃度は96%で、カトマンドゥで測ったときよりもよい。7時30分チベッタン・ブレッドとブラックティーで朝食(↓)ロッジ代金1泊3食WiFi利用料入れて2570ルピーのところ、細かいお金がなく、まごまごしていたら、ニルクマールさんが70ルピー奢ってくれた。
朝食のチベッタン・ブレッド
8時半すぎに飛行場へ。今日はよく晴れて山が見え(↓)気持ちも前向きに。これから同じルートをもう1度歩けと言われたら喜んで歩く。本当に、最初からもう1度歩きたいくらいだ。
ルクラ飛行場、晴れ
チェックインを済ませたら、私たちの便はまたもタラ・エアーの2便(↓)。キャンセル組から乗せてくれるのかと思ったのに。
またもタラ・エアーの2便
10時15分にやっとタラ・エアーの2便到着。トレッカーと荷物が降りるのを待って、乗り込む。一番前は眺めが悪かったなと思い出し、前から3番目の右の席に座るも、結局は雲がかかって山はよく見えなかった。
いよいよ出発
11時少し前にトリブヴァン空港着陸。これにて今回のトレッキングはすべて終了。
カトマンドゥ着
国内線の発着所内にできた屋根付きのバッゲージ・クレームで荷物を引き取り、タクシーでホテルへ。タクシーを降りる際に、ルペシュくんにチップを渡し、お礼を言って別れた。
カトマンドゥのクリスマス
ホテルの部屋で19日ぶりにシャワーを浴び、髪を洗った。熱いシャワーが何と贅沢なことか。さっぱりした後、桃太郎に行き、お約束のカツ丼とエベレスト・ビール。その後、ヒマラヤン・アクティヴィティーズでトレッキングの報告。春日山さんの予言が当たり、私が初めて欠航体験をした年となった。
この日はクリスマスで、夜のタメルは、サンタ帽をかぶったり、今年流行のピカピカ光る角やリボンのカチューシャをつけた人たちで賑やか。角はたぶんトナカイの角のつもりなのだろうが、悪魔の角にも見える。夕食はいつものようにギリンチェに行き、チョウメンでトンバを飲んだが、いつものお兄さんの姿が見えず、ちょっとがっかり。

3度目のスリーパス― Day18 Lukla2017/03/28 10:29

12月24日曇り
4時30分起床。荷造り。6時にトーストと目玉焼き、ブラックティーの朝食を済ませて6時15分から待機。昨夜、ヒマラヤン・アクティヴィティーズの春日山さんから、酸素濃度測定器を次に来るグループに渡すようにとの連絡があったので、今回のトレッキングのお礼(チップ)と一緒にニルクマールさんに渡す。そのままロッジのダイニングで5時間以上待ち、やっと11時30分に呼び出しが来て飛行場へ(↓)。
曇天のルクラ飛行場
チェックインを済ませて待合室に入る。私とルペシュくんが乗る便はタラ・エアーの2便である。
ルクラ飛行場の待合室
12時少し前にタラとシムリックの1便が来た(↓)が、その後、待てども待てども何も来ない。空は曇天で、ときどき雲間に山が見え隠れするものの、こんなに視界が悪ければ乗らない方が安全かもしれないな、とも思う。そのうち、シムリックとゴマがキャンセルになり、搭乗予定だった人たちがどんどん帰っていき、待合室が寂しくなった。
タラ・エアーの1便
15時がリミットで、その後はキャンセルになるというので、時計を睨みながら待っていると、15時10分前に最後に残ったタラもキャンセルに。外でニルクマールさんが待っていてくれ、荷物を引き取ってナマステ・ロッジに戻る。ベジ・トゥクパで遅い昼食をとり、昨夜と同じ部屋(A2)をもらって、カトマンドゥ用の薄着から温かい服に着替える。ニルクマールさんは飛行機が出るまでいてくれるというので一安心。
キャンセルの手続き
ロッジでは昨夜は使えなかったWiFiが使えるようになっていたので、メールをチェック。18時に野菜とポテトチップス添えチキンステーキ、ブラックティーで夕食。
夕食のチキンステーキ
もし明日も欠航になると、いよいよヘリの算段をしなければならない。明後日の午後までにカトマンドゥに戻れれば、帰国便は夜なので何とかなる、などなど、いろいろ考えるも、結局は運任せ。何とかなるさと諦めて、「門」を読んで20時頃寝る。

3度目のスリーパス―Day17 Phakding to Lukla2017/03/28 08:57

12月23日曇り
6時起床。起きてみると曇っている。9月から続いていた記録的晴天がここでストップ。明日まで晴れてくれたら何も問題なかったのに、不安的中。前途に暗雲が漂い始める。
ついに曇り
7時30分にフライドエッグ・トーストとブラックティーの朝食を済ませ、8時10分に出発。今日はルクラまで200mちょっと登るだけ。血中酸素濃度は94%に戻り、体調は万全だ。
フライドエッグ・トースト
歩き始めてみると、曇って寒い。そういえば去年も雪がチラチラして寒かったっけ。1時間弱で、去年の地震でロッジが壊れたクッスム・カングルのビューポイントを下り、タド・コシ・コーラにかかる鉄橋を渡ると、対岸に建築中だった新しいロッジは、ほとんど出来上がっていた(↓)
タド・コシ・コーラ橋
地震の数年前に崖崩れで掛け替えた吊り橋(↓)を渡る。崖崩れはそのままなので、結構恐い。
最後の吊り橋
パクディンから1時間半でスルケとの分岐に。右の道に入れば、6日でバス便のあるシヴァラヤまで行ける(去年歩いたテンジン・ヒラリー・ルート)。ルクラの飛行場が使えないときは、サレリまで下って、ジープでカトマンドゥに戻ることが出来るが、カトマンドゥまで5日かかる。
シヴァラヤへの分岐
10時30分、ルクラの門に着く。あたりは、すっかり曇っている。このときはまだ知らなかったが、この日ルクラ飛行場では全便欠航しており、ときおり聞こえるエンジン音はヘリの音だった。
ルクラの門
いつものナマステ・ロッジに投宿、去年と同じ、中庭に面したシャワー付きのツインルームに荷物を置き、12時にトゥクパで昼食。午後は部屋に戻り、寒いので寝袋にもぐりこんで「それから」を読む。
チキン・トゥクパ
ロッジには西洋人の若いトレッカーが2人いて、あちこち歩き回ってヘリの算段をしている。帰国便の日程が迫っている様子。今はクリスマスのシーズンでトレッカーを乗せてくるヘリがいつもより多いから、運がよければ、ゲストを降ろして空で帰るヘリに乗せてもらえる。これだと1人2~300ドルくらい(普通は1機2000ドルくらいで、これを人数で割る)ナマステ・ロッジの若主人が事情通で、もし飛行機が出なかった場合、頼むと空席を見つけてくれる。さて、どうなることやら。念のため、手持ちのドルを数えてみると、ギリギリなんとかなりそう。暗くなって、トゥムリンタルから来たというトレッカーが現れたくらいで、ゲストの数は私を入れて5名ほど。これまで晴天続きで順調だったから、それほど溜まってないようだ。18時にチキン・カレーライスとブラックティーの夕食を済ませて寝る。

3度目のスリーパス― Day16 Namche to Phakding2017/03/19 10:56

12月22日晴れ
6時起床。トレッキングがほぼ終わり、下界に近づいてきたせいか、反省したり、考えたり、変な夢を見たりするようになる。
コンデ・リ
7時30分チーズトマト・トーストとブラックティーの朝食を済ませて8時に出発。今日はパクディンまで下るだけなので楽。ナムチェから見たコンデ・リ(↑)。これで見納めかも。
最後のビューポイント
30分でビューポイントに着き、お約束の写真を撮る(↑)もう大韓航空の機内からエベレストの写真は撮れないので、これが最後かも。
いまだに恐いラルジャ橋
9時にラルジャ橋着。下から幾つもラバの隊商が登ってくるため、橋のたもとで、しばらく停滞。しかし、下りは特に問題なく、体調も(油断してシャワーを浴びたりしなかったので)万全で、どんどん下る。10時20分、国立公園管理事務所に着き、トレッキング許可証を提出してチェックを受ける。お約束の記念写真(↓)。クリスマス休暇を利用して来たトレッカーが増え始める。さすがに去年より、ずっと多い。
国立公園管理事務所前
トクトクの土産物屋兼ロッジが改修中だった。去年はクリスマス・ツリーが飾ってあって、ネパールのクリスマスソングが流れていた。地震の補修もあるだろうし、エベレスト街道、あちこち改修中である。
トクトクの土産物屋改修中
ザンフテのロッジの前を通ると、テラスで休憩中のゴーキョ・リで会ったアメリカ人の女性とばったり。これで4度目の遭遇だ。よほど縁があるらしい。とはいえ、特にアドレスの交換もせず、そのままお別れ。
パクディンのマウンテン・リゾート
12時15分パクディンのマウンテン・リゾート着。いつもは左岸の集落にあるロッジ(ラジュくんの場合はビアガーデン・ロッジ、テジくんの場合はグリーンヴィレッジ・ゲストハウス)に泊まったが、今回は集落に入る吊り橋を渡る前の、右岸にあるマウンテン・リゾートへ。行ってみるとロッジは新しく、石造りで立派だし、部屋はきれいで、まるでホテルのよう。そのうえ電気のコンセントがあり、ちゃんと充電できるので感動(↓)。ただし、シャワールームの電灯がつかなくて夜はヘッドランプを使わなければならなかったり、洗面台の排水が悪かったり、ちょっと残念なところも。仕方がない、山の中なんだから。
シャワールーム付きの豪華ツインルーム
13時にチキンフライドライスとブラックティーで昼食。フライドライスは2種類の豆が入っていて美味しかった。そのうち、アメリカ人の4人家族(両親と12歳くらいの女の子と7歳くらいの男の子)を連れたラジュくんがやってきた。実はニルクマールさんがラジュくんと連絡をとりあい、ここで落ち合うことにしていたのだ。往路プンキテンガの途中ですれ違ったときは素っ気なかったが、彼を信頼してくれる家族との2度目のトレッキングということで自信満々の様子。まずまず一安心である。
シェルパ・ビールでチキンステーキ
マウンテン・リゾートは広々とした芝生の前庭があり、テーブルと椅子が出してある。午後は靴を干しがてら、日記をつけながら日光浴(部屋は午後から陽が射さず寒い)。だが背後(西側)が山なのですぐ日が陰ってしまう(左岸の方に集落があるのはそのためだろう)。18時にチキンステーキとポテトチップス(フライドポテトのこと)、以前ビアガーデン・ロッジでポスターを見て以来、ずっと気になっていたシェルパ・ビールを飲んでみる。味はエベレスト・ビールの方が好きかも。