うゐの奥山行(2)―カトマンズへ2009/01/10 15:33

12月12日、成田を発って、香港経由でカトマンズに向かう。快晴。窓の外には富士山。すっぽりと雪に覆われた雪山になっていた。そもそも、ヒマラヤに行こうと思いたったそのもとをたどっていくと、大学時代に国文の教授に“いろは”をノートに書かされたときにさかのぼる。誰でも知っている48文字。前半はやさしい。色は匂へと散りぬるを、我が世たれそ常ならむ。しかし後半は難しい。うゐの奥山、今日越えて、浅き夢見し、ゑひもせす。いったいうゐの奥山とは何なのだろうか。いろは歌は弘法大師が雪山偈(無常偈)を和訳したものという伝説がある。雪山偈の雪山とは、釈迦が雪山童子と言われていたからなのだが、雪山偈の諸行無常の思想といろは歌はまったくのイコールではないと私は思う。うゐのおくやまとは、もちろん具象の山ではない。が、そのとき、私のイメージの中に、ヒマラヤと川口慧海の姿が重なったのだった。

うゐの奥山行(3)―カトマンズからポカラへ2009/01/10 16:03

ポカラ空港

12月14日、ポカラ空港着。快晴。ポカラの町からアンナプルナ連峰の山々が見渡せる。飛行機の中からも美しい山々は見えていたのだが、インド系のカップルに席を譲って、逆側の席に移ったため、ほとんど見えなかったのだ。いいさ、これから毎日見ることになるんだから。ネパールに来てみてわかったのは、インフラ整備がまったく遅れていること。特に電力の供給が追い付かず、しばしば停電する。さすがに空港で停電はないが、必要な所以外は、すべて人力で行われていて、荷物の検査も係官の前でトランクを開けてみせるのだし、飛行機から荷物を降ろし、台車で運んできて、乗客に引き渡すのも、全部係員が目の前でやってくれるのである。原始的だが、成田で荷物が出てくるのを待っているよりも迅速だった。何しろ、すべて目の前だからね。

うゐの奥山行(4)―ポカラ2009/01/10 16:55

空港で出迎えのタクシーに乗り、ホテルへ。トレッキングに同行してくれるガイドはカトマンズからバスで来るため、バスが到着する2時頃まで散歩に出ることに。ポカラはフェワ湖の周辺に発達した町で、ポカラという名自体、池という意味のネパール語ポカリから来ている(と、ガイドブックに書いてある)。そのポカラの象徴、聖なる山マチャプチャレが、左右にアンナプルナ連峰の山々を従えて美しい。湖ではプロの洗濯屋とおぼしき人々が楽しそうに洗濯していた。そのときはまだ、明日からのトレッキングが波乱の幕開けになるとは思いもよらない、のんびりした観光気分の私であった。