アンナプルナ1周― 帰る日2012/01/23 08:28

12月26日、帰国の日が来た。6時50分に起床し、荷物を詰める。8時に屋上で朝食。帰りの飛行機は15時40分発なので、13時にホテルに迎えが来ることになっている。まだ時間があるので、一度歩いて行ってみたいと思っていたパタンで行ってみることにする。9時すぎにホテルを出て、タメルの人混みに出た途端に目にゴミが入る。まるでジョムソンみたいだ。パタンまでは旧王宮の角を右折し、カンティパトの大通りをひたすら南下し、バグマティ川を渡って、さらに南下したところにある。問題は、大きな通りを横断するとき。車とバイクがひっきりなしに通るのでタイミングが難しい。1時間ほどで、パタンの門に到着。ここをくぐると外国人は入場料をとられるし、観光するほどの時間はないので、写真だけとって引き返す。
パタンの入口まで散歩
帰り道、バグマティ川の橋の上からヒマラヤが霞んで見えた。
カトマンズのスモッグで霞むヒマラヤ
タメルに戻って、地図屋で次のトレッキングの場所を考えながら地図を物色。ランタン・ゴサインクンド方面にするか、それとも、またエベレスト方面にするか…。とりあえず、今回のトレッキング中に計画を立ててみたルートの地図を買っておく。地図屋の棚に、村上春樹の<海辺のカフカ>のペーパーバックが積んであった。村上人気は本当に凄い。
カフカ発見
約束の13時よりも10分早く迎えの車が来た。荷物を積んで座席に座ると、オフィスから春日山さんが見送りに来てくださると電話が入り、そのまま少し待つことに。3年前だったか、迎えの車が早めに来たので、そのまま乗って空港に行ってしまい、見送りに来てくれるはずのラグーさんを置いてきぼりにしてしまったのだ。ホテルはオフィスから近いので、ほどなく春日山さんが表れ、次回のことをお願いしつつ、お別れの挨拶。
出国ゲート前に売店が出来た
トリブバン空港に着き、中に入ろうとすると、係官から大韓航空は別の入口だよと言われて、びっくり。いつの間に入口が複数になったんだろう。チェックインして、出国手続きを済ませ、待合室へ行くと、何となくきれいになっている。航空会社のラウンジなんて前はあったっけ? 待合室のテレビでサッカーを見て時間を潰し、持ち物検査を受けてゲートへ。すると、びっくり、椅子しかなかったゲート内に売店(↑)ができているし、1と2しかなかったゲートが4まで増えている。そのうえ新しい西洋式水洗トイレも出来ていて、トイレットペーパーまで備え付け。おまけに運航状況を示す電光掲示板もちゃんと動いていた。やればできるじゃん、ネパール。観光年の収穫は大きかった!
機内からエベレストを見納め
予定より少し遅れ、16時近くなって離陸。ベルト着用のランプが消えたらすぐ後方の非常口前へ行き(復路は窓側の席がとれなかった)、韓国へ出稼ぎに行くらしいネパール人のおじさんと一緒に窓から去っていくエベレストを見る。おじさんが「エベレスト、エベレスト」と指さすので、私が「サガルマータ!」と言ったら、おじさん、にっこり。エベレスト=サガルマータだと知っているのは、世界中で(名付け親の)ネパール人くらいだろう。

アンナプルナ1周― 予備日2012/01/21 12:01

12月25日、5時に目が覚めるが、予備日で何もすることがなく、そのままベッドでグズグズする。今回のホテルは去年までのホーリー・ヒマラヤではなく、中心部のモールの中にあるホテル・カトマンズ・リゾート。遅くまで人通りがあって賑やかなところだ(悪く言えば騒々しい)が、昨夜は、さらにクリスマス・イブということで、遅くまで音楽が聞こえていた。幸い、私の部屋は最上階だし、モール側ではないので、気にならなかった。ちなみに私の部屋はMt.Everestというダブルベッドとシングルベッドの広いツインルーム(↓)。難を言えば、シャワーがソーラーなので、午後は熱いお湯が出るが、朝晩(特に朝)水になってしまうこと。それにスタッフが素人っぽいことか。
カトマンズ・リゾート・ホテルのペントハウス
驚いたのは、朝食を食堂ではなく、屋上で食べること。ビュッフェ・スタイルで、パンケーキや卵は、その都度スタッフが焼いてくれる。天気がよいと気持ちがいいが、太陽が出るまではジャケットが必要だ。
25日の朝食
日の当たるテーブルを選んで紅茶を飲んでいると、充電を終えたばかりの携帯が鳴った。東京から、友人のご主人が亡くなったという知らせだった。驚いてフロントに行き、ノートパソコンを借りて(事前の情報では宿泊客用のパソコンがあるということだったが、見あたらなかった)、メールをチェックすると、訃報の載ったURLを送ってくれた友人がいたので、ネットで記事を読む。ふと、アンナプルナ・サウス上空のオーラは、この予兆だったのか、と思う。
ホテルの屋上で朝食
9時30分、散歩に出る。いつものようにアカシュ・バイラヴ寺院まで南下し(ダルバール広場には行かずに)引き返す途中で、寺院の前に黒山の人だかりが出来ているのを発見。隙をみて割り込んでみたら、なんと山羊を犠牲に捧げているところで、覗いた途端に赤い血がピューっと吹き出して、ギョッとする。
人だかりを覗いたら…
お父さんとバイクに乗った少年サンタに遭遇。タメルのあちこちでサンタの赤い帽子が売られていて、カトマンズに“クリスマス”という西洋文化が凄い勢いで浸透していることを実感する。
子供サンタ発見
散歩の後、ヒマラヤン・アクティヴィティーズのオフィスに行き、トレッキングの報告。これでアンナプルナ方面に2度、エベレスト方面に2度行ったので、次はランタン方面か、という話になる。が、その前に、6月にキャンセルしたカイラス山に行かねば。
カトマンズのスーパーマーケット
ロンリー・プラネットに載っているスーパーに行ってみる。いつも行くタメルのスーパーは観光地値段で、かなり高いのではないかと気づいたのだ。探し当てたスーパーはビッグ・マート(↑)に変わっていたが、確かにタメルのスーパーより品揃えが豊富で安い。預ける荷物の重量を気にしながら土産物を買い込む。ただ、ここも利用者は外国人かお金持ちっぽいから、地元の店で値切って買った方が安いかも。レジで支払いをすると、お姐さんが“メリー・クリスマス”と言ってキャンデーを1個くれた。
スワヤンブナート参道、急だけど、すぐ。
ホテルに買い物を置いて、スワヤンブナートへ。ボウダナートか迷ったが、近い方にした。ヴィシュヌマティ川を渡り(土手のゴミの山を見ると、急激に人口増加しているカトマンズは、インフラ整備が待ったなしの状態だと改めて思う)。住宅街を抜け、仏具を売っている店が並んでいる道を、しばらく歩くと、丘のふもとに着く。物乞いをよけながら、急な石段をあがると(外国人は拝観料200ルピーを払う)、正面に巨大なドルジェ(金剛杵)を配したストゥーパがある。クリスマスだからか、大賑わいだ。マニ車を回しながらストゥーパを1周し、チベット仏教のゴンパに寄って、友人のご主人の冥福を祈った。
スワヤンブナート参詣
タメルに戻って、マッサージへ。去年は友愛ヘルスセンターに行ったので、今年は別のところにしてみた。“<地球の歩き方>に出ているところが安心”というテジくんの主張に従い、グリーン・ハーツを選ぶ。店はヒマラヤン・アクティヴィティーズの向かいのビルの1階で、なんとなくクイーンズウェイに似ている。リフレクソロジー45分、マッサージ1時間のお薦めセット(1600ルピー)を試してみた。お店はきれいだし、担当してくれたお嬢さん(美人)は真面目に揉んでくれたが、技術的には努力賞といった感じ。本格的に揉まれたい人は友愛ヘルスセンターの方がいいかも(値段も安い)。
ギリンチェで初トンバ
最後の夕食は、やっぱりギリンチェで。これが本当に最後になったら後悔するので、いつも頼むのをためらっていたトンバ(↑)を頼んでみる。トンバとは、発酵した麦にお湯を掛け、下に溜まった汁(ちょっぴりアルコール分がある)をストローで飲む、いわゆるチベットのホット・ビールで、魔法瓶のお湯を継ぎ足して、何度か楽しめる。他にベジ・モモとチョウメン(チベットの焼きそば)を頼んで(チョウメンの盛りがいいので、さすがに残してしまった)、全部で285ルピーだった。最後なので細かいお金を使ってしまおうと、レジで財布を開けてみたら280ルピーしかない。仕方がない、と、1000ルピー札を出そうとしたら、お兄さんが“いいよ”と、5ルピーまけてくれた。ありがとう。ご馳走さま。

アンナプルナ1周― カトマンズまで2012/01/21 11:46

12月23日13時頃、迎えの車でバグルン自動車道をポカラへ。フェディからだとすぐだが、ナヤプルからだと山越えになる。車道は1.5車線という微妙な広さで、舗装がいい加減で、ところどころに穴が開いている。対向車を避けつつ、穴を避けつつ、カーブの多い山道を走るのはとってもスリル。しかも、道路補修用らしい砂利の山がところどころで道をふさいでいたりする(↓)ので、とっても危ない。
道路の真ん中に砂利の山
15時頃、ポカラのホテル・スプレンディッド・ビューに到着。部屋に荷物を置き、ロビーでネットをチェックしていたら、“6時まで停電するので”と、PCを仕舞われてしまった。
ポカラのホテル・スプレンディッド・ビュー
部屋でシャワーを浴びて休憩。18時にロビーでテジくん、アムリットくんと待ち合わせて、レイクサイドのレストランで祝杯をあげる。二人とも今日と明日はポカラに泊まり、明後日から(行ってきたばかりの)プーン・ヒルにまた出かけるのだ。明日はポーターとしてABCトレックに行くテジくんの弟も合流するそう。
ホテルの窓から見たマチャプチャレ
12月24日6時起床。いよいよカトマンズに帰る日が来た。荷造りして、向かいのホテル(同じ経営)の食堂で朝食を食べる。7時にテジくんがチケットの手配を兼ねて見送りに来てくれる。実は、テジくんがポカラに残ることになって、カトマンズに着いてからホテルまでどうやって行くかが問題になった。バス・ターミナルからタメルまでタクシーに乗ればいいだけのことだが、今までアムリットくんに預けていたザックと自分のザックと荷物が2つになる。ザックを2個持ってタクシーを探し、値段を交渉し、ホテルの場所を説明し…と考えていったら不安になってきた。けれども、よくよく聞けば、グリーンラインのバスが停まるのはナヤ・バスパークではなく、タメルの近くで、そこから歩いても15分くらいだという。“よし、歩いて行こう”と決意。グリーンラインのバス乗り場で、荷物を預けるときに、テジくんが車掌のおじさんに“カトマンズに着いたら、この人にタメルに行く道を教えてやって”と頼んでくれた。
カトマンズ行きグリーンラインのバス
8時に発車。テジくんが窓側の席をとってくれたので、遠ざかっていくマチャプチャレとアンナプルナ連峰がよく見える。トレッキング中はよく見えなかったアンナプルナⅠが、こちら側からは、はっきり見える。アンナプルナⅠに初登頂したのはフランス隊だが、当時は地図がなかったので、まず測量して登頂するピークを探したという話がなるほどと頷ける。アンナプルナⅠは雪崩が多く、エベレストに比べて登山料は2分の1だが危険度は3倍といい、“キラーマウンテン”と呼ばれている。1996年のエベレスト大量遭難事故を生還した登山家アナトーリ・ブクレーエフも、翌1997年に雪崩に遭って亡くなった。
ようやくアンナプルナⅠがはっきり見える
9時にドライブインに立ち寄ってトイレ休憩した後、10時50分にグリーンライン経営のリバーサイド・スプリングス・リゾートに到着、昼食休憩となる。食事は、チョウメン、カレー、野菜炒めなどを自由に選べるバイキング・スタイル。とりあえず全部選んで食べ、お代わりした。
グリーンライン経営のリゾートホテル
食事を終えてバスに戻ると、大半の乗客がチトワン行きに乗り換えたので、乗客が4人になっていた。車掌のおじさんが、“前に座ったら?”と運転手の後ろの席に座らせてくれる。なので、後半は運転席越しに、スリル満点のドライブを堪能。万国共通らしいトラック野郎精神による、ど派手な装飾を楽しむ(下の写真は“Care Fully”と書かれたトラック)。
ネパールのトラック野郎
14時30分頃、カトマンズ着。車掌のおじさんからタメルへ行く道を教えてもらい、大きなザックを背中に、小さなザックを前に担いで、よろよろと歩き出す。大きなザックを担いで歩くのは初めてで、これでトレッキングするのはとても無理だな、と改めて思う(アムリットくんに感謝)。途中、少し迷ったが(迷ったら、ホテルよりカトマンズ・ゲストハウスの方が有名だから、ゲストハウスの場所を訊くよう、テジくんに言われていた)、10分ほどでホテルに到着。フロントで電話を借り、テジくんの携帯に無事に着いた旨、連絡する。
タメルのクリスマス・イブ
タメルの電飾を見て、今日がクリスマス・イブだったことに気づく。カトマンズのクリスマスって、いつから、こんなに賑やかになったんだろう? 17時40分、さっそくギリンチェに行くと、いつものお兄さんが私の顔を見て、笑顔で挨拶してくれた。いつもと違うものを試そうと、クリスピー・フライド・チキン(コーンフレークの衣で揚げたもの)でビールを飲む。

アンナプルナ1周― Day16 ナヤプル2012/01/20 15:23

12月23日6時起床。今日はトレッキングの最終日、ポカラへ帰る日である。6時15分にロッジの屋上に行き、アンナプルナ・サウスとヒウンチュリをスケッチしていると、東の空が赤く染まってきた。昨日あたりから雲が出ていたが、その雲に朝日が当たり、えもいわれぬ色に輝いている。特に、マチャプチャレの上には茜色の雲の光輪が出来て、神々しいばかり。
朝焼けのマチャプチャレ
正面のアンナプルナ・サウスの上には、オーラのような光が差している。これは何かの啓示なのだろうか?
アンナプルナ・サウスの不思議なオーラ
7時30分にグルン・ブレッド(チベッタン・ブレッドと同じもの。ガンドルックはグルン族の村だから)と蜂蜜、ミルクティーで朝食。8時に出発。いよいよ最後の下りである。
最後の下り
3年前に苦労して登った急坂を、どんどん下っていく。あのとき親切にしてくれたおじさんの家を探したが、登りと下りでは見える景色が違うせいか、それとも3年で様子が変わってしまったせいか、どこがどこやら全然わからなかった。
キムチェを上から見る
9時50分、キムチェの下の車道に着く。今はポカラからここまで車で来られるのだ。朝、トレッカーを乗せてきたタクシーが客待ちをしている。以前は、このまままっすぐモディ・コーラの川岸まで下り、サウリ・バザールを経てビレタンティへ出たのだが、今は車道を歩いて、直接ビレタンティへ行くようになっている。
キムチェの下まで道路が出来た
道路沿いには既に売店が何軒も出来ている。アンナプルナ・サーキットのこちら側も随分変化しているのだ。しばらく行くと道の真ん中に竹竿の塔が出来ていた。テジくんに聞くと、ダサイン(ヒンドゥー教の秋祭り)のときに、ここにブランコを掛けて乗るものだそう。誰でも乗れ、外国人でもOKだという。
ダサイン祭りのブランコ
11時すぎ、ビレタンティが見えてくる。3年前、(バンダで出発が早まったため)まだ暗い中を、ナヤプルからここまで歩き、橋のたもとのロッジで朝食のお弁当を食べたのだった。あのときのロッジは健在だが、あのとき渡った橋の隣に、新たに自動車用の大きな橋が架かっていた。3年の変化は意外に大きい。
ビレタンティの新しい橋を渡る
橋を渡って、ホテル・エベレストで休憩。スプライトを頼むと、冷蔵庫から瓶入りを出してくれた。すっかり都会である。トマト・チーズ・オニオン・サンドイッチを頼んだら、なんとホットサンドだ(↓)。量が少ないので、ベジ・ヌードル・スープを追加する。
ホテル・エベレストのホットサンド
昼食を終え、12時に出発。すぐTIMSの、続いてNTNC-ACAPのチェック・ポストがある。スケッチブックを出し、2カ所で記念にスタンプを押してもらう。NTNC-ACAPの係のおじさんは、親切にもスタンプに日付とサインまで書き入れてくれた(↓)。
スケッチブックに記念の判子をもらう
15分ほどで、ナヤプル(新橋)の名の由来となった橋に到る。かつて新しかった橋が今では最も古くなっていること、パリのポンヌフと同じである。
ナヤプルの由来となった橋
橋から10分たらずでナヤプルの町に出る。ナヤプルはアンナプルナ・トレッキングの出発・到着点で、銀行や土産物屋の立派な建物が並んでいる。そこから坂を少し登ったところが駐車スペースで、ポカラへ帰るタクシーが客待ちをしている。迎えの車が来るのを待つ間、売店の娘さんに記念写真を撮ってもらう。3年前にフェディでタクシーの運転手に撮ってもらった写真はピンぼけだったが、今回はバッチリ(↓)。
トレッキング終了の記念写真

アンナプルナ1周― Day15 ガンドルック2012/01/20 10:57

12月22日5時起床。5時30分、水筒だけ持って、まだ暗い中をヘッドランプをつけてテジくんと二人でプーン・ヒル(3210m)へ向かう。
朝焼けのアンナプルナ・サウスとマチャプチャレ
6時20分、頂上に着くと、既にかなりの人がいる。プーン・ヒルはポカラから4、5日のトレッキングで簡単に来られるので人気があり、シーズン中は立錐の余地がないほど人で埋まるそう。6時30分頃、空が白み始める。明るくなると、東のマチャプチャレから西のダウラギリ、南の平野部へ360度の展望が開ける。プーン・ヒルのプーンとは、この地方に住む部族の名。展望台はテク・バハドゥル・プーン少佐を記念して建てられたもの(という立て看板がある)。ただ、これだけ高いと、展望台の上でも下でも、見える景色にまったく差はない。茶店もあり、テジくんが温かい紅茶を買ってきてくれる。記念写真を撮ってもらい、戻ろうとすると、昨日シカで別れたガイド二人とばったり。どうやら、ゲストをゴレパニまで歩かせることに成功したらしい。“やったね!”と(ゲスト2人はそっちのけで)4人で握手。
プーン・ヒルの見晴台
8時にロッジに戻って朝食。チベッタン・ブレッドに蜂蜜をつけて食べていると、近所のおじさんがやってきて、私が日本人だと知って、“Spirit of the world book”という小冊子(↓)を差し出す。話を聞くと、ゴレパニに電気が敷設できたのは日本人の“ジロー・カワキタ”の寄付のおかげで、震災のニュースを聞き、日本のことをとても案じている。ついては、この小冊子に地震を弱める方法が書いてあるので、ぜひ2冊持って帰ってくれ、とのこと。おじさんの言うジロー・カワキタとは文化人類学者で、登山家としても知られる川喜田二郎氏のことに違いない。とても熱心に言うので、断り切れずに受け取っておいた。後で読んでみたら、“神に祈れば地震のパワーを減らすことができる、そのための方法は…”というようなことがネパール語と英語で書いてあり、おじさんは、その宗教団体のゴレパニ支部の人らしかった。
地震のパワーを弱める本
8時30分、出発。登りは昨日で終わったとばかり思っていたのに、これからデオラリ(3080m)までは、プーン・ヒルと同じくらい登らねばならないとわかって、がっくり。森の中を行く道で、歩きやすいが、何しろ、朝プーン・ヒルを往復したばかりなので、がっかり度が高い。
本当に最後の登り
1時間ほど登って丘の上に出ると、向こう側の山のてっぺんにプーン・ヒルの展望台がくっきり見える。だったら、プーン・ヒルに登らずに直接ここに来れば同じことじゃないか、と思う(そうする人もいるそう)。
プーン・ヒル遠望
デオラリからガンドルックまでは1100mあまりの下りになる。細い渓流に沿った、急な山道で、日が当たらないところでは滝が凍っていて、歩いているとわからないが、意外に寒いようだ。途中で、逆から登ってくるフランス人の親子連れや、中高年の日本人グループ(テジくんによれば、アルパイン・ツアーの人達)とすれ違う。ここの登りはかなりきついだろう。
滝が凍っている
11時頃、バンタンティ(2606m)を過ぎたところで小休止し、みかんを食べる。川を渡ると、道は再び登りに。12時30分、タダパニ(2710m)のフィッシュテイル・ビュー・トップ・ロッジで昼食。デオラリの前後から、抜いたり抜かれたりしていた足の速いアメリカ人が、両手にコカコーラとファンタを持って記念写真を撮っている。話を聞くと、コカコーラに勤めているとか。25年前にアンナプルナ・サーキットを歩いたことがあるそうで、“当時は(ロッジを指して)こんな風なものはなかったな”と感慨深げ。
タダパニのロッジから見ると
タダパニからは、森の中を行くゆるやかな下り。途中でアムリットくんがサル(ラングールという種類)を見つけて教えてくれる(残念ながら、写真はピンぼけ)。
ピンぼけなサル
2時間ほど歩き、ガンドルックに入ってすぐ、ロンリー・プラネット・ロッジを発見(↓)。ほとんどのトレッカーがロンリー・プラネットのガイドブックを持っているし、ノースフェイスからボブ・マーリーまで、人気者は何でもロッジの名前になるのだから、流れとしては当然か。
人気者の証明?
さらに20分後、スノーランド・ロッジの上を通過。2008年に、初めてのヒマラヤ・トレックでABCへ行くとき、初めて泊まった思い出のロッジである。が、“あのロッジは階段が狭いし、トイレが外なので、今回はもっといいロッジに泊まります”とテジくん。
ガンドルックのスノーランド・ロッジ
3年間経験を積み、“違いのわかるガイド”になった今のテジくんお薦めの宿が、この3階建ての立派なアンナプルナ・ロッジである(↓)。
泊まったのはアンナプルナ・ロッジ
16時15分、ロッジに着き、熱いシャワーを浴びる。鼻水が出て来たので、葛根湯とビタミンCを飲んでおく。18時30分、ブフ・モモとガーリックスープで夕食。テレビでプロレスと「プレデター」を見て寝る。