スリーパスに挑戦―Day16 (Lukla - Kathmandu)2015/01/27 11:35

12月21日 トレッキング最終日、カトマンドゥに帰る日である。
カトマンドゥに着いたら大韓航空のオフィスでフライトを変更して早めに帰国すべきか、それとも予定通り26日の便で帰るか、ずっと悩んでいる。5時ちょっと過ぎに起きて荷物を作り、6時にヌードルスープの朝食。スープはインスタントラーメンではなく、ちゃんとしたトゥクパだった。6時30分に飛行場へ。ルクラもカトマンドゥも天気がよく、問題なく飛んでいるようだ。
ルクラの飛行場
飛行場に行くと待合室にティーショップが出来ていた(↓)。以前は何にもない、椅子があるだけの空間だったのにオドロキである。
飛行場内のティーショップ
7時30分頃、最初の飛行機シムリック・エアーの1便が着陸し、すぐ後にタラ・エアーの1便が着陸。続いて私たちが乗る2便も到着、この便はもともと貨物用だったのだが、追加で人も乗せることになったもので、乗客は私とラジューくんの他に、イギリス人のカップルとガイド、ネパール人のおじさんの6人だった。
タラ・エアーの2便
一番前の席に陣取って、窓から外を見たら、前すぎてプロベラが邪魔になり、後ろに見えてくるはずのエベレストが見えなかった。7時55分ルクラの飛行場を離陸。
窓の景色(山)
窓の外に次回トレッキングで通る予定のルートが見える。やがて家並みが見えてきたら、そろそろトリブヴァン空港だ。
窓の景色(町)
行きは女性パイロットだったが、帰りは男性。前の席からコックピットが丸見え。
カトマンドゥ便のコックピット
8時25分、約30分でカトマンドゥに着陸。ラジューくんは親戚のおじさんに貰ったジャガイモ1袋を運んでいるので、ニルグマールさんに任せていた大きい方のザックも私が担いでタクシーへ。これですべてのトレッキングが終了した。

スリーパスに挑戦―Day15 (Phakding - Lukla)2015/01/25 16:21

12月20日6時前から、窓の下を通る隊商の鈴の音が聞こえてくる。7時に起きて荷物を作り、8時にチベッタン・ブレッドとミルクティーで朝食。やっぱりここのチベッタン・ブレッドが一番美味しい(↓)。
チベッタン・ブレッドの朝食
9時出発。今日はルクラに行くだけなので、急ぐ必要は全然なし。最後の登りをゆっくり歩く。パクディンを出たところで、また道を直しているおじさんに会い、また100ルピー寄付。100ルピーが多いのか少ないのか、よくわからないけど。
クッスム・カンクル(6367m)
そろそろクリスマスシーズンに入り、休暇を利用してトレッキングに来た人達にすれ違う。ドーレのテント場に赤い宿舎を設営していたオーストラリアのトレッキング会社の団体にもすれ違う。空は雲一つない快晴で、かえすがえすもあの日の雪が恨めしい。
運ぶ人
ルクラに着いてしまえばトレッキングは終わりだ。いろいろあったし、楽しかったけど、やっぱり不完全燃焼な気分が残る。春のような日射しを浴びて、名残惜しげにチョウタラで一休み。その横を担ぎ屋さんたちが重そうな建築資材を担いでナムチェの方へ歩いていく。ヘリで運ぶより、人が運んだ方が安いのだ。彼らの目にトレッカーがどう映るんだろう、と、いつも思う。
ナマステ・ロッジの食堂
11時15分、ルクラのナマステ・ロッジ着。庭に面したシャワー付きの部屋をもらう。ニルグマールさんとはここでお別れ。お礼を言ってチップを渡す。昼食後、2週間ぶりにシャワーを浴びて髪を洗う。ここはソーラーではなく、湯沸かし式なので、本当に熱いお湯が出た。鏡を見たら、バッチリ日に焼けてたので、今度こそパック。その後、庭の椅子に腰掛けて食堂に誰かが置いていった司馬遼太郎の<坂の上の雲>第5巻を読み始める。ロッジには私の他に東欧のカップルが泊まっているだけ。庭で日向ぼっこしていたら、ロッジのおばさんが食べていたミカンを分けてくれた。
18時チキンカレーライスの夕食。ラジューくんから、カトマンドゥに戻る便を明日21日に変更できたと聞いて一安心。15日以降は、ほぼ晴れていたので、トレッキングを諦めてルクラに下りてきたトレッカーたちも、ほぼ捌けたということだろう。

スリーパスに挑戦―Day14 (Namche - Phakding)2015/01/25 14:39

12月19日6時30分起床。荷物を作り、7時30分にチーズトーストとミルクディーの朝食。夕食が軽くて起きたらお腹が空いていたので、出発の日にカトマンドゥのホテルで作ってくれたお弁当の残りのリンゴを食べる。
8時30分出発。ナムチェの村を出てすぐ、チェックポストの手前の空き地でダフェに餌付けをしているらしく、いつも何羽かウロついている。そこで撮り損なったオスの写真を撮る。瑠璃色の羽根が美しいダフェは和名ニジキジというらしい。
ネパールの国鳥ダフェ(オス)
今日は金曜日で、金曜の午後と土曜にナムチェで市(バザール)が立つので、荷物を積んだゾッキョ(ヤクの交配種)やロバの隊商に何度も遭遇し、そのたびに道を譲る(余裕のある場所で山側に避けないと危ない)。やがて最後のエベレスト・ビュー・ポイントも過ぎ、ドゥドゥ・コシとボテ・コシの合流地点に架かる吊り橋(ラルジャ橋というらしい)にさしかかる。下に小さく見えるのが、これまでの橋で、上が崖崩れの後に架け替えられた今の吊り橋(↓)、ぐっと高い位置になった。
新しい吊り橋と古い吊り橋
吊り橋を下れば、もう3000mを切っており、歩くのに何の問題もない。登りも楽ちんだ。モンジョのサガルマータ国立公園事務所(↓)着。以前は頼めばスケッチブックにスタンプを押してくれたが、印影を悪用されたそうで、押してくれなくなった。残念。
サガルマータ国立公園事務所
事務所前の看板の説明書きでゴーキョの“フィフス・レイク”の謎が解けた。思った通り、ロンポンガ・ショを1番として数える方法だった(↓)
フィフス・レイクの謎、解ける
事務所前でラジューくんの友達(ガイド)に記念写真を撮ってもらう。他人に撮ってもらうと、たいがい足が切れるのはなぜだろう?
記念写真
12時、パクディンのビアガーデン・ホテル着。今回2本目のスプライトを飲む。パクディンの手前でオーストラリア3人組についていたポーターの青年にばったり。新しい荷物を担いで、もう1人の青年とナムチェへ向かうところだった。
ヤク・ステーキを食べる
往路のときと同じ部屋をもらい、時間がたっぷりあるので、次回のトレッキングのコースを考えて仮のスケジュールを作ってみたり、窓から見える景色をスケッチしたりして過ごす。18時、肉っぽいものが食べたくなり、夕食はヤク・ステーキに(↑)。牛肉というよりは、立田揚げにしたら鯨肉と言っても通じるような味だった。さすがにビアガーデンだけあって、ここのフライドポテト(実はポテトチップスと言う)は、ちゃんと揚げてあった。

スリーパスに挑戦―Day13 後篇(Namche)2015/01/18 16:16

昼食の後、汗で濡れた衣類をテラスに干して、コンデ・リをスケッチしたり、下の通りを眺めたりして過ごす。16時前からダイニングルームのストーブに火を入れてくれたので、ストーブ前に椅子を出して暖まる。昨日から泊まっているショッキングピンクのダウンを来た西洋人のおばさんと話をしてみたらフィンランド人だった。もう何回もトレッキングに来ているそうで、前回カラ・パタールに登ったときにエベレストがちょっとしか見えなかったので、今回はリベンジに来たと言う。彼女の住む町は、冬は零下20度にもなり、毎日暗く、憂鬱なので、冬になると“難民”のように南に来るのだそう。子供が二人、孫もいて、離婚した夫がクリスチャンで、クリスマスの行事は彼が準備するけど、そういう家族の集いが苦手だから逃げてくる。“クリスマス難民”のようにね、と言って笑う。「フィンランド映画が好き」と言ったら、「アキ・カウリスマキ知ってる?」と言うので、「もちろん」と答えたら、嬉しそうだった。
ナムチェの路地
午後になって、中国人の若いカップルと、アメリカ人らしい年配の夫婦が到着したが、山にはあまり慣れていない様子(靴がいかにもスニーカーなのだ)。特に中国人の青年の方は軽い高山病らしく、ぐったりしている。
今日は、ほとんど体を動かさなかったので、夕食は軽めにし、20時すぎに寝る。ところが、21時すぎにグラっと揺れて(時計を見たら21時17分だった)、地震かとびっくり。揺れはすぐに止んだので、しばらく様子を見たが、誰も騒ぎ出さないので、そのまま寝続けた。翌朝、ラジューくんに聞いたら、やっぱり地震だった。

スリーバスに挑戦―Day13 前篇 (Namche)2015/01/18 15:14

12月18日8時起床。今回これでナムチェ4泊目である。昨夜食堂で会った、エベレスト登攀史にやたら詳しいアメリカ人(?)の小太りの青年(といっても30代)が「明日は雪」という謎の予報を残し、ゴーキョを目指して出発していった。やはりナムチェから引き返すわけにはいかないのだろう。「気をつけて」と言っておく。
朝食のチベッタン・ブレッド
8時20分チベッタン・ブレッドとブラックティーの朝食。蜂蜜を頼んだら、寒くて固まっていて、刺さったフォークが抜けないのでジャムに替えてもらう。食事の後、今日はどこに行くかという話になり、前回調子が悪くて行き損ねたホテル・エベレスト・ヴューに行こうと提案。少なくとも日陰で凍結している道を歩くより、南向きのシャンボチェの丘の方が安全である。
雪のナムチェ俯瞰図
凍結したナムチェの路地をヒヤヒヤしながら抜け、今回は何の問題もなく、丘への急坂をぐんぐん登る。途中、荷物を持って下ってくる村人達とすれ違う。彼らは冬の間カトマンドゥあたりで避寒するのだそう。ふと下を見ると軍のバラックに隣接するビジターセンターと、その上の空き地(ヘリポート)が見えた(↓)。その少し下にあるのが、この間行ったシェルパ・ミュージアムである。
シャンボチェからビジターセンターを見下ろす
シャンボチェの丘は、ところどころ雪が溶けて芝がのぞいている。「ここで休みましょう」とラジューくんが言うので、芝の上に腰を下ろすと、「実は…」と、びっくりするような打ち明け話。(なぜ今頃そんな話を?)、ラジューくんはいつも変なタイミングで変な話をする人である。彼は5人兄弟の末っ子で、お兄さんのニルグマールさんとは15歳も歳が離れており、長男で真面目なテジくんとは性格がまったく違う。
jエベレストを見ながらビールを飲む
2009年以来2度目のホテル・エベレスト・ヴュー着。あのときはテジくんとミントティーを飲んだが、今回は「打ち明け話」の成り行き上、ビールで乾杯。エベレスト・ヴューはテラスの前にあった木が伐られて、前より眺めがよくなっていた。