スリーパス・ルートに挑戦―出発まで2015/01/08 09:29

2011年にアンナプルナ・サーキットを歩いた後、ガイドのテジくんと次はスリーパスに挑戦しようと話し合ったものの、2012年に準備を進めているときに、テジくんから韓国へ出稼ぎに行くことになったと連絡が来た。結局、計画の変更はせず、新しいガイドとスリーパスに挑戦することになったのだが、これが全然うまくいかなかった。当初の予定では、レンジョ・ラ(5360m)、チョラ(5420m)、コンマ・ラ(5535m)という3つの峠(ゆえにスリーパスという)を西から越えることにしていたのに、準備不足もあって、直前に東からに変更。ところが、ディンボチェで風邪をひき、最初のコンマ・ラ越えを諦め、せめてEBCまで行こうとしたものの、咳がひどくなり、ロブチェに到達したところでトレッキング自体の中止を決意した。すぐ下れば、フライトを前倒して帰国し、年末年始の休みに入る前に主治医に診てもらえるとの判断だった。体調を心配したヒマラヤン・アクティビディーズのラグーさんがヘリを出そうかとまで言ってくれたのを断り、自力で下ったのだが、食欲がなく、ジュースと果物くらいしか食べられてなかったので、足が上がらず、本当に辛い下山になった。
ディンボチェで風邪をひく
ナムチェの雑貨屋(薬屋と言われたが、どうみても雑貨屋だった)で抗生物質を買って飲み始めてからは、ようやく咳が治まってきて、カトマンドゥに戻って大韓航空でフライトを変更し(大韓のチケットは手数料5000ルピーで変更可)、無事に帰国できたのだけれど、このときの体験は思い出したくないことが多すぎて、このブログにも書かなかったし、今回データを開けるまで撮った写真も見なかった。
下りの昼食(リンゴと白湯)
2013年に比較的楽だといわれるランタン・ゴサインクンドのルートを選んだのは、前年の反省を踏まえてのことで(結果についてはtrek2013を参照のこと)、そこでトレッキングの楽しさを再認識でき、ある程度自信も取り戻せたので、2014年はスリーパスに再挑戦しようと決意したのだった(つづく)

スリーバス・ルートに挑戦―Kathmanduへ2015/01/11 09:49

12月4日、いつものように成田から大韓航空で仁川経由カトマンドゥへ。ところが仁川空港のトランジット・ホテルでカメラがないことに気づく。11月に買ったばかりの新品で、バッテリーもSDカードも予備を含め、準備万端整えておいたのに。がっくり。気を取り直して、閉店直前の免税店に駆け込み、一番小さい(安い)デジカメを購入。予備のバッテリーも追加で買い、ホテルの部屋で充電しておく。
機内からエベレスト
翌5日、30分遅れで仁川を発ち、カトマンドゥへ。今回も機内からエベレストを撮影(お約束)。飛行機を降りるのは遅かったが、通関は空いていて、1番で入国審査を終える。無事トランクを回収し、空港の外に出ると、昨年に引き続きガイドをしてくれるラジューくんが手を振ってくれた。車でタメルのホテル・ホーリー・ヒマラヤへ。すると、向かいの建物が改装されてホーリー・ヒマラヤの別館になっており、中国人のツアー客がワサワサいる。びっくり。レセプションに行くと、いつもの美人の女の子の姿が見えない(どうやら辞めたらしい)。がっくり。部屋に荷物を置き、ロビーでヒマラヤン・アクティヴィティースの女性スタッフを交えてトレッキングの打ち合わせ。明朝5時45分にラジューくんがホテルにピックアップに来ることになる。
ギリンチェ改装
いつもの両替屋で600ドル両替。1ドル97.20ルピーで58320ルビーのところを58400ルピーにしてもらったものの、危うく1000ルピーごまかされそうになる(手元を見ていてよかった)。いったんホテルに戻って荷物を片付け、ギリンチェで夕食。なんとギリンチェの壁がやけに華やかになっている。レジのお兄さんに聞くと、3か月前に内装を変えたとかで、WiFiも出来るようになっていた(↑)。メニューも少し変わり、サンミゲル・ビールが消えてエベレスト・ビールが登場。値段も全体的に上がり、サービス料がプラスされるようになった。ミックス・チョウメンとビールで480ルピー。7年前に比べて、びっくりするほど高くなった。
エベレスト・ビールのラベルも改装
ふと見ると、エベレスト・ビールのラベルまで変わっていて、エベレスト初登頂のテンジン・ノルゲイ・シェルパ(をヒラリーが撮った写真)ではなく、エベレスト12回登頂のニマ・ゴンブ・シェルパになっていた。これまた、びっくり。

スリーパス・ルートに挑戦―Day1 (Lukla-Phakding)2015/01/11 10:56

12月6日4時ちょっとすぎに起床、荷物を作る。トランクをホテルの倉庫に預け、お弁当をもらって6時にホテルを出て空港へ。
ルクラ行の機内から
いつも出発が遅れ、待合室で2、3時間ぶらぶら過ごすのに、この日は待つ間もなく、すぐ搭乗。7時10分に離陸し、なんと7時36分にルクラの飛行場に着いてしまった(エベレストが見えるところで乱気流に遭い、写真は撮れなかった)。こんなにスムーズに行ったのは初めてだ。飛行場で今回ポーターについてくれるラジューくんのお兄さんに挨拶し、ナマステ・ロッジに寄ってミルクティーで一息いれる。(2012年は他のロッジに泊まったので)4年ぶりのナマステ・ロッジは、改装されてダイニング・ルームが広くなっていた。
ルクラのチェックポスト
8時45分にナマステ・ロッジを出発。パクディンまでは約200m下るだけなので、何の問題もない。
ロッジ(相変わらず)建設中
ところどころで新しいロッジの建設現場を通りすぎる。随分ロッジが建ったのに、まだ増えるようだ。道も整備されているようで、とても歩きやすい。パクディンの手前で夫婦が道を直していて(前に、この辺で山崩れがあり、橋が流されたりした)、寄付を求められたので、寄付金箱に100ルピー入れておく。
パクディンのロッジの部屋
11時20分、パクディンのビア・ガーデン・ホテル着。ツインの角部屋を貰う(↑)。ヴェジ・フライド・ライスの昼食を食べ、特にすることもないので、昼寝をしたり、ヒーローも悪人もやたらに強いインド映画をテレビで見たりして、18時にフライドチキン(ビア・ガーデンというからにはフライドチキンが美味しいかもと思って)とミントティーの夕食を食べ、19時40分就寝。初日はこんなもの。

スリーパスに挑戦-Day2 (Phakding - Namche)2015/01/13 15:32

12月7日6時10分起床。ナムチェの坂が埃っぽいので、コンタクトでなく、新しい眼鏡をかけてみることにする。7時にチベッタン・ブレッド&ハニー、ミルクティーで朝食。ここのチベッタン・ブレッドが今回のトレッキングで食べたなかで一番美味しかった。
7時30分出発。
ロッジ建設ラッシュ
ザンフテのあたりは、ロッジの建設ラッシュである(↑)大きな資本が立派なロッジを作っているように見える。そのうちトレッキングに来る人も様変わりするだろう。
ジョルサレのリバービュー・レストランの前
10時、ジョルサレのリヴァー・ヴュー・レストランでヴェジ・エッグ・トマト・サンドイッチの昼食(トースト・サンドだった)。ミルクティーにヤクの糞を燃やしたときの独特の焦げたような味がするようになる。
11時、ジョルサレ発。以前より高い位置に掛け替えられた吊り橋を渡り、ナムチェへの坂を登り始めるが、途中で原因不明の吐き気が起きて、食べたものを吐いてしまう。見かねたラジューくんがザックを持ってくれるが、なかなか調子が出ない。
最初のエベレスト・ビュー・ポイント
14時15分、ジョルサレから3時間15分もかかって、やっとナムチェのホテル・カマル着。胃がムカムカするのでスプライトを飲んでみるが、吐き気が治まらない。しばらく部屋で寝ていたが、もしかしたら風邪かもと思い直し、お湯をもらって葛根湯を飲み、ついでにホットレモンも飲んで、お腹を温めてみる。それでも、なかなかスッキリしないので、胃が原因なら正露丸が効くかもと、ためしに2粒飲んでみたら、ムカムカが治まってきて、びっくり。もう1杯ホットレモンをもらい、ビタミンCとアリナミンも飲んでおく。

スリーパスに挑戦-Day3 (Namche)2015/01/13 16:06

12月8日6時30分、起床。いつもはナムチェで休まず、先を急ぐのだが、今回はラジューくんの勧めに従い、休養日に設定した。昨日体調を崩したので、ちょうどよかった。昨夜は夕飯を食べずに寝たので、起きたらお腹が空いていて、朝食の前にカトマンドゥから持ってきたお弁当の残りのバナナを食べ、正露丸を2粒飲んでおいた。部屋の窓からコンデ・リが見えた(↓)
ナムチェから見たコンデ・リ
朝食はリンゴ入りコーンフレークにミルクをかけたもの。ミルクはもちろん温かい。ただし、コーンフレークが湿っていてシャクシャクしなくて、がっかり。朝食の前に、念のために葛根湯も飲んでおいた。
リンゴ入りコーンフレークの朝食
前の晩、ラジューくんと、今日どこに散歩に行くかという話になった。ナムチェで行ける場所といえば、シャンボチェの丘に登るか、クムジュンへ回ってゴンパでイエティの頭を見るか、サガルマータ国立公園ビジターセンターに行ってエベレストを眺めるかくらいしか選択肢がない(ロンリー・プラネットにはタメ往復も載っているが、タメには翌日行くことになっている)が、もう全部行ってしまった。ラジューくんは、私の体調も悪いことだし、ビジターセンターが近くていいと言うが、ここには本当に何度も行って、展示物も説明書きも隅から隅まで見てしまったので、あまり気が進まない。朝になって、そういえばシェルパ・ミュージアムには行ったことがないと気づき、行ってみることにした。
ナムチェのシェルパ・ミュージアム閉館中
シェルパ族の伝統的な暮らしをテーマにしたシェルパ・ミュージアムは、ビジターセンターに行く途中、軍のバラックの手前を左折したところにあった。入ってみると、敷地の真ん中に小さなストゥーパ、大きくて立派なロッジ、シェルパの生活様式を見せる建物、山の写真を展示する建物があったが、どれも閉まっていた。どうやらシーズンオフらしい。仕方がないので、シャンボチェの丘に方向転換し、登り始めてみたら体調が戻っておらず、足が重く、吐き気もする。とてもエベレスト・ヴュー・ホテルまでたどりつけそうもないので、途中のパノラマ・ホテル横で引き返した。帰り道にふと思いついて雑貨屋でライターを買い、ロッジの部屋で胃の上あたりにお灸をすえてみた。これがとてもよく効き、昼食のチキン・フライドライスを半分食べることができた。午後も昼寝の後で、もう1度、お灸をしておく。