うゐの奥山行(15)―デウラリにて(後)2009/01/15 08:07

デウラリのロッジの食堂

ガヤガヤと声がしてガイドとポーターが私たちのいる食堂に入ってきた。そのあとからアジア系の中年女性と初老の西洋人が現れた。女性は不機嫌そうに私の前に座りこみ、広口の水筒を出してガイドに水を入れて持ってこさせると、ザックの中から袋を取り出して中身の粉を入れ始めた。ガイドと話す言葉が韓国(朝鮮)語だったので、女性が韓国(朝鮮)系とわかった。初老の男性は彼女の夫で、プリンストンと編みこまれた帽子をかぶっているので、プリンストン大学のOBか関係者なのだろう。ガイドの説明によると、奥さんが高山病になり、急遽ABCから下ってきたのだという。粉の正体は日本人にもらったというポカリスエットで、水筒にポカリ2袋、ビタミンCの粉を2袋入れて、がしゃがしゃと混ぜ、4分の3ほどグビグビ飲むと、残りを夫の方へ「あなたの分」といって差し出した。よほど気分が悪いのか、体全体から不機嫌オーラが発散されていて、食堂の和やかな空気が一変してしまった。名古屋のトレッカー氏が「ダイヤモックスを持ってますけど」と申し出ても返事がないし、ご主人から「何か食べるか?」と尋ねられても、「胃がムカムカしているのに食べられるわけないじゃない!」と噛みつくように応える。恐~い。しばらくして、ご主人が頼んだトマトチーズ・ピザが運ばれてくると、ご主人と一緒に食べ始めた。翌朝、MBCへ向かう道すがら、「あの奥さん、恐かったね」というと、「恐かったですね」とテジくん。「高山病といってたけど、ピザ食べてたから、きっと大丈夫だね」、「ピザ食べてましたね。大丈夫ですね」。みな、黙って同じことを考えていたのだった。

うゐの奥山行(16)―マチャプチャレBCへ2009/01/15 10:56

ヒウンチュリ(6434M)

12月18日、いよいよABCだ。テジくんから、気温があがると雲が出て景色が悪くなるので、いつもより早く出発しましょうといわれていのだが、結局、あたりが明るくなるのを待って、6時45分頃に歩き始める。実は、ここまで予定を先行して急いできたのは、天気のいいうちにABCを見せたいテジくんの配慮だったのだ。モディ・コーラの河原に沿ってマチャプチャレBC(3700M)を目指す。傾斜はきつくないが、大きな石がごろごろしていて、歩きやすいとはいえない。昨夜の一行は、真っ暗闇の中、よくここを下ってきたものだと思う。奥さん、よほど頭が痛かったに違いない。デウラリからMBCへつづく道は、急峻な崖に挟まれた雪崩の名所である。気温が緩むと危ないので、雪の季節、ここを通るのは午前中に限るという。テジくんもガイドになったばかりの頃、日本人のゲストを2人連れてここを通ったとき、ほんの1、2分差で巻き込まれそうになったことがあるそうだ。しばらく歩いていると、テジくんが上の方を指し、「ヒウンチュリが見えますよ」という。見あげると、崖の上で三角形の白い頂が朝陽に光っている。「ヒウンは雪、チュリは山で、雪山という意味です」。その言葉が胸の奥にすとんと落ちた。私は、あの山を目指してここにきたのか。