うゐの奥山行(18)―ABCにて2009/01/17 08:55

アンナプルナ・サウス

来るときには大勢のトレッカーとすれ違ったが、全員下りてしまったのか、パラダイス・ガーデン・ロッジには名古屋のトレッカー氏と私以外にゲストの姿はない。テラスも食堂も二人占めである。夕食をダルバートにするつもりで、昼食はトマトスパゲティにする。ダルバートは量が多いので日に2度は食べられないが、テジくんもモヘンドラくんも毎食山盛りにお替りして、もりもり食べている。昼食のあと、アンナプルナⅠがよく見えるロッジのテラスの端っこで、テジくん、モヘンドラくんと記念写真を撮る。ここは氷河が削り取った崖の縁で、下はモレーンだ。登山保険のことで何度か保険会社の担当とメールでやりとりしたとき、「氷河には絶対に降りないでくださいね」といわれたが、実際、降りるなんて考えられないほどの絶壁である。ちなみに、ABCまでは普通の海外旅行保険でカバーできるが、トレッキングをアレンジしてもらった現地の旅行会社から積雪の可能性もあるという連絡を受けたので、念のために登山保険に入ってきたのだ。ロッジの裏の小高い丘に碑があって、五色のタルチョが風にはためいている。ここはアンナプルナ登頂で遭難した人の記念碑で、台座だけでなく、周囲の岩にまで登山家の名を刻んだプレートがとりつけられている。一番新しいのは今年の5月のものだった。午後の陽ざしの中で見上げる頂は、死の影もなく、ただ美しい。突然、「雪崩ですよ」とテジくん。耳を澄ましても風の音が聞こえるだけだ。が、しばらくしてアンナプルナ・サウスからゴーっという音が聞こえた。日が西に傾くにつれ、山肌がさまざまな形をみせ、見ていて見あきることがない。しかし、日が陰ると急速に冷えてきて、テジくんに注意され、ダウン・ジャケットを着る。海外通販で買ったマムートのダウンの初めての出番である。真夜中、トイレに起きたとき、満天の星空の下、月光に照らされた山々の幽玄な美しさに息をのんだ。地上に神の住む場所があるとしたら、まさにここだろう。

うゐの奥山行(19)―ABCからシヌワへ2009/01/17 10:43

アンナプルナⅠ峰

12月19日、あとは来た道を戻るだけだ。なんとなく終わってしまったようで寂しい。6時30分にガーリック・ヌードル・スープとミントティーで朝食。今日からは急ぐ必要がまったくないので、出発前に裏山に登ってみることにする。昨日、名古屋のトレッカー氏が、「地球の歩き方」に載っている“並みいる12のピークが一望できる”写真は、あそこから撮ったに違いないといいだし、登ってはみたものの、途中で道がわからなくなって戻ってきた山だ。テジくんは「7分で登れましたよ」と得意気だった。昨日はとても行く気になれなかったが、最後になって“行けるところは行っとこう”精神がむくむくと頭をもたげ、挑戦してみることにした。テジくんが心配してついてきてくれる。が、小石と砂でできた山は急なうえに、足元からグズグス崩れていく。サンダルで上ろうというのがそもそもの間違いだ。50Mほど上ってガンガプルナの先っぽが見えたところで断念する。今日はチョムロンまで下るという名古屋のトレッカー氏を先に見送ってから、8時に下山開始。ドリーム・ロッジのおばさんに手を振りながらデウラリを通過し、下り3万5千歩を無事歩き通して、15時にシヌワ着。振り返るとマチャプチャレからABCにかけて雲がかかっている。「雪かもしれませんね」とテジくん。1日の差だった。

うゐの奥山行(20)―シヌワからジヌーへ2009/01/17 12:37

チョムロンの猫

12月20日、7時15分にシヌワを出発。最初はチョムロンへの谷越えだ。深い谷を挟んで真正面にあるチョムロンを見て、「ここに橋をかけたら楽ですね」とテジくん。確かに。だが、そんなバンジー・ジャンプな橋があっても渡る気になれるかどうか。なにしろ、ここの吊り橋ときたら、必ずどこかが壊れているか、傾いているかなのだ。しかし、往路でシンガポールの生徒たちが息を切らして上っているのを見て覚悟していたチョムロン手前の急坂は、歩き方に慣れてきたのか思ったほどきつくなく終わり、9時にチョムロン着。ロッジで名古屋のトレッカー氏と再会する。昨日もバンブーとシヌワで追いついて、そのたびに別れの挨拶を交わしてきたが、このあとゴレパニ方面へ右折する彼とは、これが最後のお別れ。我々は左折し、チョムロンから逆落としのような坂を下ってジヌーへ。9時45分、ジヌー着。ロッジに荷物を預け、河原の露天風呂へ向かう。

うゐの奥山行(21)―ジヌー温泉2009/01/17 13:19

ヒマラヤの露天風呂

河原までは“行きは15分下り、帰りは30分上る”坂道で、かなり歩きでがあるが、着いてみると石造りの大きな浴槽が3つも並ぶ立派な露天風呂だった。脱衣場みたいな小屋もある。最も川上の浴槽は、お湯を抜いて清掃中だったが、掃除のおじさん以外に人影はなく、貸し切り状態である。お湯の温度は40度は十分あり、ぬるくて、入ると出られなくなったマチュピチュ村の村営浴場とは大違いだ。せせらぎの音を聞きながら浸かっていると伊豆の温泉にいるみたいで、ここがヒマラヤであることを忘れてしまう。川下の2つの浴槽の間に、お湯が流れだしている筧があり、ここは体を洗う場所らしいのだが、うたせ湯にすると、とても気持ちがいい。しばらく浸かって、着替えをすませた頃、村の人たちが大勢温泉に入りに来た。早めに来てよかった。