うゐの奥山行(5)―ナヤプルからビレタンティへ2009/01/11 09:59

ホテルでガイドのテジくんとポーターのモヘンドラくんと顔合わせ。テジくんは21歳の学生で、日本語の勉強中。ということで、彼とは日本語で話すことにする。明日は朝食のあと、9時にタクシーで出発ということに決まる。が、別れたあとで連絡が入り、明朝ポカラでデモがあるので、デモを避けるため、7時に出発しようということになる。その後、また連絡が来て、7時が6時、6時が5時となる。思うに、タクシーの運転手がデモが始まるまでに町に戻っていたいのだろう。12月15日、いよいよ出発。眠れないまま、4時に起き出して、ホテルが用意してくれたお弁当を持ち、5時に迎えのタクシーでナヤプル(1070M)へ。道は舗装されていないので車はかなり揺れる。ナヤプルとは、新しい(ナヤ)橋(プル)という意味(とテジくんに教えてもらう)。歩き始めたのは6時すぎ。まだ暗く、月明かりが頼りだ。インカ道と同じ、石を敷き詰めた街道で、慣れない冬山用のトレッキングシューズを滑らせ、後ろを歩いているテジくんをひやひやさせる。6時40分、ビレタンティ(1025M)に着き、テジくんが検問所にトレッキング許可証を見せに行っている間、茶店のテラスで、モディ・コーラ(コーラは川という意味)の流れを見ながら朝食。次第にあたりが明るくなってくる。

うゐの奥山行(6)―キムチェからガンドルクへ2009/01/11 10:39

サウリ・バザール(1220M)を過ぎた頃から、次第に上りがきつくなってくる。シューズは冬山用だが、太陽が昇ってみると、日差しが強烈で、気候は初夏に近い。こちらは汗だくなのに、テジくんもモヘンドラくんも涼しい顔。彼らに後ろにつかれ、あおられているようで、なかなか自分のペースがつかめない。そのうえ、東京でひいた風邪が治らず、鼻水で息ができなくなるため、しばしば短い鼻水(を拭くための)休憩をとることになる。昨夜、あまり眠ってないせいか、車に酔ったせいか、いきなりきつい山道を歩いたせいか、おそらくはそのすべてが原因なのだろう、突然気分が悪くなり、ガンドルク(1940M)の村にさしかかったところで吐いてしまう。私の様子を見ていたおじさんが、椅子を出して座らせてくれた。「わしらでも、気分が悪くなることはあるよ」と優しい。そのうち、「ジュンコタベイを知ってるか」というので、「田部井淳子さん、エベレストに初めて登った女性」というと、彼女がエベレストの前に女性隊でアンナプルナに登頂しに来たときに世話をしたことがあるという。家にあがらせてくれ、裏の畑に来ていた猿を見せてくれ、みかんをくれた。仏壇があり、チベット語のお経がおいてあったので、あとでテジくんに聞くと、この辺に住んでいるのは仏教徒のグルン族なのだそう。12時30分、今日の目的地、ガンドルクのスノーランド・ロッジに到着。

うゐの奥山行(7)―ガンドルクにて2009/01/11 11:23

スノーランド・ロッジの前には、アンナプルナ・サウスからマチャプチャレまでが一望のもとに広がっていた。ここまで来るとマチャプチャレの頂が文字通り、魚(マチャ)の尻尾(プチャレ)の形に見える。まだ胃の調子が悪いので、昼食はパスし、庭のテーブルで絶景を眺めながらスプライトを飲むことにする(「テジさん、スプライトが飲みたいです」というと、テジくんがキッチンからスプライトの缶とグラスを持って駆けてきて、グラスに注いでくれるのだ。お姫様になったみたい)。スノーランド・ロッジは伝統家屋を模して建てられたきれいなロッジだが、そろそろシーズンオフなのでゲストは私一人だ。テジくんによると、この辺のロッジは、インド軍や英国軍に入って戦争に行ったグルン族の人々(グルカ兵として勇猛なことで知られる)が、戦争から帰って切り拓いて建てたもので、スノーランド・ロッジも今のオーナー(テジくんのいう、社長さん)のお祖父さんが除隊後に建てたものとか。衛星放送が入り、キッチンでテレビを見ていると、ニュースでブッシュがバグダッドで靴を投げられた映像が流れ、みんなで大笑い。ブッシュはヒマラヤでも嫌われている。