うゐの奥山行(13)―バンブーからデウラリへ ― 2009/01/14 12:29

バンブーを出ると、ふたたび谷越えの、かなり長い下りが始まる。モディ・コーラの渓谷はさらに狭まり、マチャプチャレの姿は後方に消える。東京で友人に“バンブーって竹って意味?”と聞かれたので、テジくんに確かめると“違いますよ”と笑う。この辺の地名はグルン語なのだそうで、テジくんにも本当の意味はわからないようだ。川を越えると、ふたたび長い上りがヒンク・ケーヴ(3170M)まで続く。行ってみると、ケーヴといっても洞穴ではなく、下方がえぐれた大きな岩で、岩陰でトレッカーが二人、休憩していた。日差しは強く、ここまでの上りで全身汗だくである。ヒンク・ケーヴを過ぎると、道はゆるやかになり、デウラリ(3200M)のロッジが真正面に見えてくる。12時20分、デウラリ着。シヌワからここまで、約14000歩だった。
うゐの奥山行(14)―デウラリにて(前) ― 2009/01/14 14:28

昼食の注文を聞きにきたテジくんが、「さっきの人たち(強力のこと)が、ゆっくりゆっくり行っても今日中にABCに着く、と言っていましたよ」という。つまりは、昼食を食べたらABCへ行こうという誘いなのだが、昨日の限界超えが尾を引いていることもあり、今日はここに泊まろうと主張する。すでにスケジュールを1日先行しているし、今日ABCに着いてしまったら2日も先行してしまう。そんなに急いでどうする、という気持ちもある。デウラリ(峠という意味)にロッジは5軒あるが、1軒を除いてすべてシーズンオフの休業に入っていた。1軒残って営業中のドリーム・ロッジのテラスは大勢のトレッカーでにぎわっていたが、恒例のスプライトを飲み、昼食のダルバートを食べて、のんびりスケッチしているうちに、いつの間にか人影がなくなっていた。どうやら皆下りて行ってしまったようだ。「今日もゲストは私一人だね」と話していると、トレッカーが一人現れた。彼は珍しく日本人(アジア系のトレッカーは、ほぼ全員が韓国人だった)で、名古屋の人。エベレスト方面をトレッキングし、アンナプルナに回ってきたのだという。今日はチョムロンから来たというから、かなりの健脚だ。ドリーム・ロッジでは、3連泊してダルバートの作り方を覚えて帰った日本人がいたとかで、「ちょっと、ちょっと」という日本語が流行っていた(その人はザ・たっちの3人目の双子だったのかも)。夕食の後、いつもはすぐ寝てしまうところを、ABCのあとはインドへ下るという名古屋のトレッカー氏と話をしていると、突然外が騒がしくなり、暗闇の中から「私の妻が…」という英語の叫び声が聞こえた(つづく)。