ルンビニ巡礼―出発 ― 2009/12/18 08:36
12月18日、朝6時に起きて準備。着替えと洗面道具だけ持っていき、残りはトランクに入れて、ホテルに預けることに。飛行機は9時発だが、8時に出れば十分間に合うということだった(どうせ遅れるから)が、迎えの車がなかなか来なくて焦る。8時20分にホテルを出て、8時35分に空港に到着。空港使用料の支払い窓口に長蛇の列が出来ていて、またまた焦るが、手荷物検査も身体検査もスムーズに終わり、8時45分に出発ロビーに。ところが、というか、やっぱりというか、私の乗るバイラワ行きの便がディレイとなる。国内線のゲートは2つあるが、使われているのは1カ所だけなので、その付近で待っていて、係員が行先を叫ぶ声を聞きのがさなければ乗り遅れることはないが、運行状況を知らせる掲示は離れたところにあるので、ゲートと掲示の前を何度か往復。そのうち、係のお姉さんに顔を覚えられて、「あなたの便はまだよ」と言われる。ロビーに掲げられたサンミゲル・ビールの広告でにやけている男が何となくユースケ・サンタマリアに見えてくる。
ルンビニ巡礼―バイラワへ ― 2009/12/18 09:22
10時45分、ようやく出発。去年ポカラに行くときは席が決まっていたが、今回は自由席なので、ヒマラヤが見える方(右)の窓際に座る。しばらくすると、広々としたテライ平野の向こうにヒマラヤの山々が見えてくる。ヒマラヤは、およそ7000万年前に現インド亜大陸が現ユーラシア大陸にぶつかった際、間に挟まれた海底の堆積層が押し上げられてできたのだそうだ。つまり、天に突きだした、あの白いギザギザは、大陸と大陸の間に出来た皺なのである。しかもその皺は、今も年に5ミリの割合で深くなっているという。地球って、でっかい。
ルンビニ巡礼―バイラワからルンビニへ ― 2009/12/18 11:58
11時30分すぎにバイラワ空港着。頼んでおいたホテルからの迎えの車でルンビニへ。と、そこはサタジット・レイの「パテル・パンチャリ(大地の歌)」の世界だった。草葺き屋根の傾きかけた家では、仏陀の時代からそれほど変わらぬ生活が続けられているように見える。バイラワからルンビニに向かう道は、幹線道路ながら、約1.5車線(両側で)という微妙な広さで、舗装が雑なのと、補修をしないのとで、ところどころに穴が空いている。車は穴を避けつつ、砂煙をあげて猛スピードで走ってくるトラックを避けつつ、悠然と走る自転車や、身を乗り出して寝そべっている犬や、牛や、鶏を避けつつ走らなければならないので、クラクションを鳴らしっぱなしである。私はうるさいと思うけど、ネパールの人はクラクションが好きなのかなあ。そして走ること30分、聖園を囲む柵が見えて来た。
ルンビニ巡礼―聖園へ ― 2009/12/18 14:17
ホテル(ブッダ・マヤ・ガーデン)はルンビニ園の東南角にあり、ゲートからは1Km近く離れている。ホテルの部屋で、熱くはないが冷たいとまではいえない微妙な温度のシャワーを浴び、さっぱりしたところで、いよいよ聖園へ向かう。1896年にドイツの考古学者がアショーカ王の石柱を発見したことがきっかけとなって作られたルンビニ園は、ルンビニ開発公団が丹下健三のマスタープランに沿って開発を進めている仏教の巡礼地かつ観光センターで、世界遺産にも登録されている。と、ここまではガイドブックに載っている説明だが、ゲートを入って、目当ての石柱のある聖園地区へ歩いていくと、ガイドブックから想像していたのとはまったく別の光景が広がっていた。そう、そこはただの野っ原だったのである。
ルンビニ巡礼―聖園に入る ― 2009/12/18 14:30
めげずに歩いて行くと、塀で囲まれた場所があり、どうやらそこが聖園地区らしい。中に入ると、片側に土産物を売る店が並んでいるので、ここが野原ではなく、観光地であることがわかる。どんどん先に進むと、インフォメーション・センターという看板が出ている小屋があって、ここで入場料50ルピーとカメラの使用料75ルピーを支払い、チケットを貰う。少し行くと詰め所があって、警備員が立っていたので、チケットを見せて本当の聖園の中に入った。東洋人のおばさんが一人でぶらぶらしているのが珍しかったのか、警備員のおじさんから、親しげに話しかけられる。