Go Go Everest ! (20)―トゥクラへ2009/12/10 09:41

トゥクラへ続く道

夜中にトイレに起きたときに、満天の星、特にアマダブラムの上にカシオペア座が掛かっていて、とても美しかった。12月10日朝7時30分起床。いつもより遅かったので、心配したテジくんが部屋まで覗きに来てくれた。いよいよ第3の難所越えだ。今日はロブチェまで行くだけなので、昼食を食べてから出発すればよく、朝はゆっくりできる。韓国人トレッカー氏は朝早くチュクンへ出発したそうだ。食堂でホットレモンを飲んでいると、休業のための片付けが始まったのか、戸棚の品物がすっかりなくなっているのに気づいた。そのうち、おじさんが2人現れ、木製の商品棚を運び出して行って、すっかりがらんとしてしまった。外ではスペイン人カップルが別のロッジに移るために荷物を作っている。カレーライスで昼食をとり、11時20分に出発。最初は登りで、ロブチェ・コーラの流れる谷の上まで出て、段丘沿いの道をしばらく歩くと、クーンブ氷河の端っこにあたるトゥクラに着く。そこから氷河のモレーンを登るのだが、この高度差350Mの登りが第3の難所である。段丘の道は陽が射して暖かく、ホットレモンにVAAMを入れて飲んだのが効いたのか、元気も回復。13時10分にトゥクラ(4620M)に着き、ヤク・ロッジでミントティーを飲む。

Go Go Everest ! (21)―ロブチェへ2009/12/10 15:10

行く手にプモリが…。

13時30分、トゥクラを出発。第3の難所の登りに入る。氷河が押し出したモレーンの中の踏み跡をたどっていくのだが、踏み跡があちこちに伸びているし、跡がよくわからないところも多く、どっちへ行けばいいのかまごついてしまう。と、後ろからテジくんが間髪を入れずに、「右です」、「左です」と指示してくれる。初めて富士登山に行ったとき、7合目の岩場で息を詰めて登ったために気分が悪くなったことがあるが、ちょうどそんな感じで、大きな石がごろごろしている間をぬって登っていくので、自然と歩幅が大きくなり、力が入るので、息が切れてしまう。数M登っては、息を整えるの繰り返しで、なかなかはかどらない。しかも、下から見えていたてっぺんがてっぺんではなく、まだ先があるとわかって、がっかりする。とはいえ、終わりのない登りはなく、トゥクラ(4620M)からトゥクラ・パス(4830M)まで、高度差200Mのモレーンをよじ登ると、平坦な道になり、左側にケルンが幾つも並んでいるのが見えてくる。ここがエベレスト登山で亡くなったシェルパの人達のお墓である。5000M近い高さのせいか、お墓と思って見るせいか、なにやら荒涼とした雰囲気だ。ここからロブチェまでは氷河の河原を遡る高度差100Mの緩やかな登りで、しばらく行くと、行く手にプモリが見えくる。あのプモリの真下が目指すカラ・パタールなのだ。15時10分、ロブチェ(4910M)のアルパイン・ロッジ着。ここまで12833歩だった。さすがに高度があるので、とても疲れた。

Go Go Everest ! (22)―ロブチェにて2009/12/10 18:08

ロッジの部屋からヌプツェを見る

ロッジの部屋からヌプツェ(7861M)の白い峰が見える。本日のゲストは10人くらい。1カ月前に60歳の日本人女性を連れて来たときには満員で部屋が貰えず、「食堂で寝ました」とテジくん。食堂にはストーブがあるから暖かいかと思ったら、夜間は消すし、すきま風があって、寒くて眠れなかったと女性がこぼしていたそうだ。幸い、私はそんなめにあったことは一度もないが、シーズン中はよくあることらしい。18時20分に茹でジャガイモと目玉焼きで夕食。ディンボチェのジャガイモは皮付きだったが、ここのは皮をむいてから茹でてあった。風邪気味のようなので、食事の前に行きつけの病院で貰ってきた葛根湯をお湯で溶いて飲む。実は、この“風邪をひいたような気分”というのが高山病の最初の兆候なのだが、そのときはまったく気づかなかった。20時に就寝。夜中に頭痛が始まり、深呼吸する。