ルンビニ巡礼―正確な仏陀生誕の地 ― 2009/12/18 15:10
遺跡が点在する聖園の中央に白い建物があって、皆そこに向かっているので、私もついていく。入口で靴を脱ぎ、中に入っていくと、建物は遺跡を覆うように建てられていて、中央の遺跡の上に突き出したブリッジの下に何かがあるようだ。行ってみると、緑色に苔(カビ?)むした石がガラスのケースに入れられていて、“正確な仏陀生誕の地”(The exact birthplace of Buddha)と書いてあった。えー、ここが? 宗教に、“正確”とか、“絶対”とか言われると、胡散臭く思ってしまうのはなぜだろう?
ルンビニ巡礼―石柱と対面 ― 2009/12/18 15:15
建物(マーヤー聖堂という)を出て、奥の方へ歩いていくと、建物の西側に茶色いエントツのようなものが立っていた。それがアショーカ王の石柱だった。7世紀に、仏典を求めて唐から天竺に向かった三蔵法師玄奘が、「大唐西域記」に“見た”と書き残した、かの有名な石柱である。去年、カトマンズの国立博物館で発掘の模様を映した写真を見て、その奇怪な文字(古代ブラフミー文字というらしい)を実際に自分の目で見てみたいと思ったのが、今回、ルンビニに来る直接のきっかけだった。実物は想像と違って意外にあっさりしていたが、側面に刻まれた碑文の文字は、やっぱり変だった。アショーカ王は方々に石柱を立てた記念碑マニアで(秦の始皇帝と趣味が似ている)、中には上に像を置いたものも残っていて、この石柱も、立てられたときには何かの像が上に置かれていたかもしれない。でないと、何となく間が抜けている。
ルンビニ巡礼―碑文 ― 2009/12/18 15:20
アショーカ王の碑文の内容は、掲示された英語訳が正しければ、以下の通り。「神々に愛されしピヤダシー(アショーカ)王は、即位20年に、御自ら、この地に行幸された。シャーキャムニ・ブッダがここでお生まれになった、それゆえ、生誕の地を示す石を参拝され、石柱が立てられたのである。主がお生まれになった地として、ルンビニ村の税を8分の1(のみ)減じられた」
ルンビニ巡礼―石柱に落書き? ― 2009/12/18 16:00
石柱の上の方に目を転じると、碑文とはまったく別の文字が刻まれていた。古代ブラフミー文字とは似ても似つかない、稚拙な文字で、デーワナーガリのようにも見える。大きさもバラバラ、ひっかいたようで、とても王様に命じられた石工が刻んだとは思えない。何だろう、あれ。落書き? 数年前に、フィレンツェの大聖堂に落書きした罰当たりな日本人がいたが、東大寺にも昔の落書きが残っているし、古今東西、遺跡といえば落書きが付きものである。人間は落書きする動物(ホモグラフィティトゥス?)か。
ルンビニ巡礼―ああ無常 ― 2009/12/18 16:10
聖園を出て博物館へ向かう。丹下健三のプランでは、聖園はぐるりと丸い池に囲まれているはずなのだが、乾期のせいで水が少ないのと、草ぼうぼうなのとで、計画で作られた池というより、原っぱの沼地に見える。ほこりっぽい道をしばらく歩くと、平和の火が燃えているところに着く。平和の火から真北に向かって運河が掘られていて、「歩き方」によれば、“小型の舟を運航する計画がある”そうだが、実行されるのは何年、何十年先のことになるのか。水もなく、雑草だらけで、よく見れば、堀の東側はまだ土のままで、ところどころに作業をする人(家族)のための小屋があって、洗濯物が干してある。これがルンビニ園? 西側の完成した方の道を、博物館に向かってとぼとぼ歩いていると、昔は世界中から巡礼者を集めた生誕の地が、今は草に埋もれ、“諸行無常”な有様になっているのを、仏陀はむしろ喜ぶかもしれないと思えてきた。