Go Go Everest ! (17)―ディンボチェへ2009/12/09 09:39

行く手にローツェが

12月9日、朝5時半にいったんトイレに起きると、気分が治っていた。さすがに寒く、トイレの水が凍っている。心配したほど足は痛まないが、念のために左足首にバンテリンを塗り、湿布を貼っておく。6時30分起床。ミントティーを飲み、7時45分に出発する。ディンボチェまでは高度差300Mのゆるい登りである。空は快晴。荷を運ぶヤクの群れと何度もすれ違う。途中で、日本人の若い女性を二人連れたガイドとテジくんが話し込んでいたので、後で聞くと、同じヒマラヤン・アクティビティーズのガイド仲間なのだそう。しばらくして、行く手にローツェの山並みが見えてくると、その下が目指すディンボチェ(4410M)である。9時15分、ディンボチェのアイランドビーク・ロッジ着。チキン・ヌードル・スープで朝食。

Go Go Everest ! (18)―チュクンへ2009/12/09 10:53

ローツェとアイランドピーク

朝食の後、ロッジの食堂に貼ってある写真を見たり、ペリチェの救護所が出した高山病の注意書き(1、ゆっくり登る。2、急激に高度を上げない。3、症状に注意を払う。4、悪化したら下る。5、病人を一人にしない。)を読んだりして、暇つぶしをしていると、テジくんが「そろそろチュクンに行きましょう」と言う。「なぜチュクンに行くの。行かなくちゃダメ?」と、行きたくない気分満々で聞くと、「高度順応です」と素っ気ない。“高度順応って、連泊してするんじゃなかったっけ?”とも思うが、仕方ない。10時20分頃にしぶしぶ出発。きつい登りではまったくなく、ローツェの岩壁を左に、アイランドピークを正面に見ながら、イムジャ・コーラの河原を遡っていくのだが、4400Mを超えているので、少し歩くとすぐに息が切れてしまう。苦しくなると、「登りが嫌いで、なぜここに来たんです?」という日本人トレッカー氏の言葉が呪いのように耳に蘇ってくる。 13時に疲れきってチュクン(4730M)のサンシャイン・エコ・ゲスト・ハウスに着き、陽が射してポカポカと暖かい食堂に腰掛けた途端に、うっかり寝込んでしまった。ハッとして目が覚めたときには15分が経っていた。危ない、危ない。ロッジの中庭に、冬山用の登山靴が何足も干してあった。本来なら、もうシーズン・オフの休業中なのだが、数週間後にアイランドピークに登るパーティが来るので、それまで営業するのだそう。登山靴も彼らに貸し出すためのものだった。

Go Go Everest ! (19)―ディンボチェにて2009/12/09 18:00

ロッジは今日から休業

食欲がないので、ポテトスープで昼食をとった後、14時すぎにチュクンを出発。今度は下りだが、高度があるので、やっぱり息が切れる。すっかり消耗して15時45分にディンボチェのロッジに戻った。この往復が、かなりこたえ、体力に不安を感じる。ロッジの部屋で電気を点けようとしたら、接触が悪いのか、まったく点かない。ロッジの青年から、「明後日から休業なのでロウソクで我慢して」と言われる。“明後日から休業?”。ロッジには他にスペイン人のカップルがいて、昨日は彼女の方が、今日は彼の方が具合が悪くなって休んでいるのだそうで、もう1日休養してからカラ・パタールを目指すのだそう。午後遅く、韓国人のトレッカーが1人到着し、彼の連れているガイドが偶然テジくんの隣村出身の19歳の青年だった。彼らはなんとゴーキョから逆にチョラ・パスを越え、カラ・パタールに寄って降りてきたという。どうりで体つきといい、装備といい、“いかにも”な感じのトレッカー氏である。テジくんが“隣(村)の弟(分)”から聞き出した情報によると、チョラ・パスは凍結が始まっていて、30分ほど凍った道を歩くことになるのだそうだ。「ポーターのおじさんが前、私が後ろにつくから心配いりません」とテジくん。問題はそこではないのだが…。すっかり登る気が失せていた私は、「ここで連泊しない?」と申し出てみるが、「このロッジは明日閉めてしまうので、泊まるなら他のロッジに移らないと」と言う。面倒臭くなって、明日出発することに同意し、それでも、ゴラクシェプまで行くというところを、途中のロブチェまでにしてもらう。トゥクラからロブチェが第3の難所なので、“ここを登れば休める”と思わなければ、とても登りきれないと思ったのだ。18時に茹でジャガイモとミントティーで夕食。脂っこいものが食べられなくなったのでジャガイモにしたのだが、この辺でとれた小粒のジャガイモは、甘みがあって、とてもおいしかった。