チョラパス越えて(27)―ルクラ最後の夜2011/01/29 09:37


ナマステ・ロッジのダライラマ(若い)
明後日からランタンへ行くテジくんは、さっそくロッジの裏で洗濯を始めた。私は部屋で休みながら、下痢の原因を考えてみた。去年も帰国日にカトマンズのホテルでオーストラリア人女性から(おそらく)風邪をうつされ、インチョン空港で発熱、自宅に戻った途端に、文字通りバッタリ倒れ、2日間寝込んだ後、病院でウィルス性胃腸炎と診断された。今回は、あのときの下痢ほどひどくないし、すぐ発症したので、たぶんウィルス性ではなく、単なる食あたりだろうと推察、一昨日、何を食べたか思い出してみる。あの日の夕食はチキン・カレーだったが、カレーもライスも熱を加えているので原因とは考えにくい。唯一、疑わしく思えたのが、カレーと一緒に食べた唐辛子の漬け物だった。
唐辛子の漬け物とは、ケチャップに似た、赤いドロッとした食べ物で、唐辛子を塩とにんにくで漬け込んで作る。各ロッジの手作りで、それぞれ味が違うという。すごく辛いので、食べるのは、もっぱら地元民だが、私が辛い物好きと知っているテジくんは、食堂にこれが置いてあると、いつも勧めてくれるのだ。あのときも、勧められるままに瓶から一さじ掬ってカレーと一緒に食べ、“皆が瓶にスプーンを突っ込むのって、あんまり衛生的じゃないな”と、ぼんやり思ったのだった。確証はないが、食あたりとすれば、原因は、あのときの唐辛子しか考えられない。とりあえず、水分を補給しながら、出るものは出し、薬が受けつけられるようになったら、東京の病院で貰ってきた整腸剤を飲んで腸内で善玉菌が増えるのを待とう、と治療方針を決定。
トゥクパ(チベットのうどん)

暗くなって、ゴーキョで出会ったフランス人のカップルがロッジに、ふらりと入ってきた。<Trekking in the Nepal Himalaya>が推奨する“Three Passes”ルートを歩ききった強者で、二人とも顔の下半分が赤黒く日焼けしている。聞くと、男性はグルノーブル、女性はシャモニーの近くの人だそうだから、本物の“アルピニスト”で、1か月かけてトレッキングしてきたのだそう。
18時にトゥクパで夕食。固形物がまだ食べられないので、スープだけ飲み、19時に早々就寝。夜中に何度もトイレに起きる。


チョラパス越えて(26)―ルクラ2011/01/28 11:11


ヒマラヤ名物アップルパイ
12月24日7時起床。ロッジの先客は30代のアメリカ人の女性2人組と彼女達のガイドとポーター。ゲストの2人は、いかにも垢抜けた都会人で、どういう素性の人か興味を惹いたが、2人で2人の世界を作り上げていたし、こちらも気分が悪かったので、まったく話をしなかった。7時45分に朝食のオレンジジュースを飲む。昨夜、夕食としてマンゴージュースを飲んだので、朝は別の味にしてみたのだ。そして、食欲のないとき恒例のテジくんと私による“食べる”“食べない”漫才が繰り返された後、昨日まる1日ジュース1杯だった私が折れて、ジャム・トーストを注文。だがパンが切れていて、アップルパイとなる。これまでガイドブックなどで“どこそこのアップルパイが美味しい”という記述を何度か目にした、そのヒマラヤ名物アップルパイとの初対面だ。見た目も味も日本でよく目にするアメリカ風のアップルパイとは全然違い、中のフィリングが生っぽく、ほんのり甘くて、とても美味しかった(が、食べた後に飲んだ薬ともども、トレッキングの途中でまた全部吐いてしまった)。
あの丘の上がルクラだ
9時少し前に出発。パクディンからルクラへは高度差200Mちょっとの緩い登りだが、EBC往復で体力をすべて使い果たした後、エネルギーの自転車操業状態になっている体は、昨日摂取した全栄養分(ジュース1杯と黒糖1片)程度では、なかなか動いてくれない。むすっとした顔で、20M歩いては休み、歩いては休みを繰り返す。エネルギー切れを起こした両脚の筋肉が1歩ごとに悲鳴を上げ、ゴーキョ・リに登った日を“人生で最高に疲れた日”だと思ったのは、まだまだ甘かったと反省する。
ルクラの門
11時30分、ルクラのナマステ・ロッジ着。ロッジの食堂によろよろ入っていくと、カトマンズから着いたばかりの日本人が休憩していた。60代の女性2人組、70代の男性2人組、それに40代くらいの単独行の男性1人の合計5人で、男性2人組についているガイドは、テジくんと同じヒマラヤン・アクティビティーズ所属で、カトマンズのオフィスでチョラパス越えのアドバイスをしてくれた人だった。

最後のスプライト

部屋に荷物を置いて食堂に戻ってみると、男性2人組の1人が、「チョラパスへ行ってきたんだってね」と声をかけてきた。どうやら私が席をたっている間、テジくんが何やら吹聴したようだ。“クソ、おしゃべりな奴”と思ったが、私があまりにヘロヘロだったので、ガイドとしてゲストの名誉挽回に努めてくれたのかもしれない。トレッキングに出発していく5人を見送って、少しするとミンマールくんが戻ってきた。実は今日ゲストが着くことを知っていたテジくんが、もしやポーターの仕事があるかもと、今朝彼だけ先に行かせていたのだ。が、着いてみたらポーターは既に決まっていて、飛行場まで仕事探しに出かけてみたがダメだったという。残念だが、ここでミンマールくんとはお別れ。少し多めにチップを渡し、これまでのお礼を言う。

チョラパス越えて(25)―パクディン2011/01/27 08:03


木立の間からエベレスト
12月23日7時45分起床。荷物を作っていると、風邪をひいたのか、熱っぽくて調子が悪い。食欲がないので、前夜、注文しておいた朝食をガーリックスープに替えてもらい、薬を飲む。
9時に出発。今日はパクディンまで下っていくだけだが、ナムチェからドゥードゥーコシの河原までは高度差600Mもある急坂で、<Trekking in the Nepal Himalaya>には“多くのトレッカーは、すべてのトレックの中でこの下りを最もハードに感じる”とある。私は下りが好きなので問題はないはずだが、歩き出してみると、体調が回復するどころか、どんどん悪くなり、お腹も緩くなってくる。途中で下痢止めを飲んでみたが、ドゥードゥーコシの吊り橋を渡ったところで、すべて吐いてしまった。
ドゥードゥーコシの流れに沿って下る

11時30分、ジョルサレのリバービュー・レストラン着。テラス席はトレッカーで溢れていたので、食堂の中に入っていくと、隅に大きな冷蔵庫が置いてあった。ヒマラヤで冷蔵庫を見るのは初めてだ(電気はどうしているんだろう?)。本来なら、ここで昼食をとるところだが、食欲がないので、スプライトだけ飲む。
リバービュー・レストランの立派な冷蔵庫
熱があるので、昨日シャワーがぬるかったり、部屋が寒かったりしたせいで風邪でも引いたのだろうと思っていたが、下痢になってみると、食あたりかもしれない。去年は高山病になったものの、パンボチェで元気を回復、余裕で下山したのに、今年はナムチェで思わぬ不覚をとってしまった。
国立公園管理事務所の前で
12時、サガルマータ国立公園管理事務所の前で、げっそりした顔で記念写真。14時20分、やっとの思いでパクディンのグリーンヴィレッジ・ゲストハウス着、倒れるように寝込んでしまう。



チョラパス越えて(24)―ナムチェの夜2011/01/26 10:10


ナムチェもロッジの建設ラッシュ
村に入ると、ここでもロッジの建設ラッシュ。1階の屋根の上に2階を付け足したり、来年の観光年に向けて準備に余念がない。往路ではホテル・カングリだったが、復路は去年と同じブッダ・ロッジに投宿する。というのは、カングリはソーラー発電なので4時近くならないとシャワーが使えないが、ブッダは湯沸かし器で給湯するので、いつでも入れるからだ。カングリは、ゲストが私だけだったため、ストーブを焚いてくれなくて寒かったとテジくんも不満を漏らしていた。ただし、カングリで食べたノンベジのダルバートは最高に美味しかった。
お約束のご褒美
3階の眺めのいい個室を貰い、さっそくシャワー室へ行ってみると、去年より広い所に変わっていたが、お湯はぬるめで、ちょっとがっかり。シャワーの後、恒例のスプライトを飲んでいると、さすがに体が冷えてきて、あわてて厚い下着に着替える。ロッジは、アメリカ人の若いカップル、若年寄り風の怪しい青年、60代の上品なご婦人と、それぞれのガイドで賑やか。後から体格のいいロシア人2人組も加わった。日暮れて寒くなると、若いカップルのガイドが食堂の電気ストーブを点け、正面にどっかり座ると、他のガイドとおしゃべりを始めた。テジくんは空いた椅子を持ってきて私を座らせてくれたが、彼はゲストをほったらかし。そのうち、女性の方が“寒いから部屋に引きあげる”と言うと、“ストーブより寝袋の方が温かい?”と笑う。後でテジくんに聞くと、彼は“ゲストはEBCに行きたがってるが、寒いのは嫌だからゴーキョに行かせるつもり”と、うそぶいていたそうだ。ガイドもピンキリである。若いカップルは見るからにトレッキング初心者だが、ロシア人2人組は、これからアイランド・ピークとアマダブラムに登るという、かなり本格派のクライマーだった。ゲストもまた(私を含め)ピンキリである。
悲劇の引き金となったカレー

ナムチェで、ディンボチェからチュクンを回って下ってくるアンナ・リーズと再会する約束だったが、登山用具店にアイスアックスを返しに行ってきたテジくんは、姿が見えないと言う。携帯でラスクマールさんに連絡を入れてもらうと、アンナ・リーズがディンボチェで体調を崩したため、予定を早めて下山し、今はルクラにいることがわかった。彼女に電話を代わってもらい、メール・アドレスを交換する。18時、チキン・カレーで夕食。ブロイラーではない鶏肉は、きっと美味しいだろうと思ったからだが、これが今回のトレックで私がした最悪の決定となってしまった。

チョラパス越えて(23)―ナムチェ2011/01/25 10:40


コンデリとクムジュン集落

9時30分、タンボチェの坂の下りにかかる。クリスマス休暇を利用してやってきたと思われるトレッカーと何人もすれ違う。去年はこの坂を往復したが、今年は下るだけなので、問題なし。1時間ほどでプンキ・テンガまで下る。と、去年はこんな橋(↓)だったのに――
去年渡ったプンキ・テンガの橋が…
少し下流に新しい吊り橋が架かっていた!
いつの間にか吊り橋になっていた

クッソー、いつの間に? 吊り橋嫌いな私は、がっかり。
キャンジュマの分岐に戻る

ドゥードゥーコシを渡って、去年ここを登りたくないばっかりにチョラパス行きを決めた坂(なんて単純なんだ!)を、チョラパス効果のおかげで難なく登り、12時少し前にサナサの分岐に戻る。これでゴーキョ・チョラパス・EBC1周トレックの終了だ。
ナムチェの入口にあるマニ石
キャンジュマのタムセルク・ロッジで昼食をとり、去年と同じ場所からアマダブラムとタムセルクをスケッチ。これでお別れとなるアマダブラムを振り返りながら、14時ちょっとすぎに村の入口をどっかり塞いでいる大きなマニ石(とっても邪魔)を左側から下ってナムチェに戻る。