チョラパス越えて(31)―空港にて2011/01/31 12:33


2011年はネパール観光年
20時すぎ、見送りに来てくれたラグーさんとホテルのロビーでお別れし、会社の車で空港へ。ドラゴン航空のカウンターが見つからなくて少しまごつくが、問題なくチェックインし、2階の出国フロアへ。と、壁に行方不明者の紙が。20代後半のオーストラリア人女性で、ランタン方面へ一人でトレッキングに行き、行方不明になったという。テジくんが言っていた“犬を使って山狩りをしたが、見つからなかった単独行の女性”というのは、この人かもしれない。去年の中国人青年のこともあるし、単独行には危険が多いなと改めて実感。
全機、搭乗中

待合室で、ハビエル・バルデム似のムキムキ青年を主人公にしたインドのメロドラマを見て、そろそろダッカからドラゴン航空機が着く頃だろうとゲートに向かう。手前で手荷物チェックを受けるのだが、浅黒い小柄な女性係官の振る舞いが、いかにも怪しい。ニヤニヤしながら念入りに身体検査し、どうでもいいような小物までいちいちチェックする。(この人、ゲイ?)。後で“頬を撫でられた”と話している日本人の女の子がいたので、やっぱり真性なのか。それにしても、観光年を迎える国の空港として、こういう係官は、いかがなものか。
さて、ゲートへ行くと、相変わらず大勢の乗客でごった返している。ふと見ると電子式掲示板が!(去年、あったっけ?)が、惜しいかな、全機“BOARDING”表示で、頼りになるのは、やっぱり係員の呼び出しなのだった。

香港の朝焼け

12月28日5時45分、香港に着き、キャセイ航空便に乗り換えて、14時20分、成田着。これで楽しかったトレッキングがすべて終了。赤黒く日焼けした顔のまま自宅に戻る。

チョラパス越えて(32)―トレッキングは油断大敵2011/01/31 13:33


遙かなるチョラパス
最後にちょっと波乱があったものの、ゴーキョに行き、チョラパスを越え、カラ・パタールに登り、EBCを見て(到達はしなかったけどさ)、達成感のあるトレッキングだった。何より、テジくんとの約束が果たせたことが嬉しかった。
さて、今年は去年の反省を踏まえて、高山病対策を練り直したことが成功につながったと思う。その対策とは、その1、ゆっくり登り、休養日を設ける。その2、水を沢山飲む。その3、頭が痛くなったら、頭痛薬を飲む(まあ、普通ですね)。中でも一番効果のあったのは1の休養日で、2番目が水分補給だと思う。去年まではサーモスでお茶を飲んでいたのだが、サーモスだと、なかなか冷めないので、朝昼晩ロッジでお茶を飲んでいても、全体的に量が不足したようだ。それで、今年は1Lの水筒を用意し、夜は、お湯を入れて湯たんぽに、朝、冷めたところにポカリの粉末を入れて、行動中に飲むようにした。頭痛薬はマッチェルモで試してみたところ、半日程度は誤魔化せるが、やはり高度順化までのつなぎといった感じ。

遙かなるエベレスト
今年、持っていってよかったものの第一はシルクのトラベル・ライナー。寝袋も汚れないし、肌触りがよく、暖かさが増す。まるで役に立たなかったのはブリーズライト。高山病の予防になるかと思ったが、私にはまるで合わなかった。また、食欲が落ちたときのためにと思って、日本から持っていったレトルトカレー(成田で没収の危機を逃れたものの)や、ふりかけ、インスタント味噌汁なども、ネパールのお米にまるで合わず、普通にダルバートやフライドライスを食べた方が、ずっと美味しかった。
遙かなるカラ・パタール

帰国後、私より一足先にカトマンズに戻り、その後、タイでロッククライミングをしているアンナ・リーズからメールが来た。なんと、カトマンズでお寺を観光しているときにスリに遭ってカメラを盗まれ、トレッキング中に撮った写真が全部なくなってしまったというのだ。気の毒に。私にも身に覚えがないわけではないので(カテゴリー欄のMachupicchu参照)、彼女が写っている写真を何枚かメールに添付して送った。
トレッキングは、前(私)も、後(アンナ・リーズ)も、油断大敵である。