チョラパス越えて(2)-ルクラ2011/01/01 10:18

12月11日、いよいよ出発。カトマンズからルクラへ飛ぶ。今年は、夏に日本人が巻き込まれる墜落事故があったのを皮切りに、10月、11月のトレッキング・シーズン中、天候不順でルクラ便が乱れに乱れた。何日も飛行機が飛ばず、ルクラにトレッカーが溢れ、中には、しびれを切らして、バスが通っているジリまで6日間かけて歩いた人もいたそうだ。私が乗る便は7時30分発のタラ・エアーだが、当然のことながら遅延。気長に待つつもりでいたら、意外に早く呼び出しがあり、7時10分すぎにバスで飛行機へ。もう出発?と思いきや、そのまま飛行場の端っこで待機となる。やっぱりね。なかなか出発しないし、冷えてきたなと思ったところで、車が来てトイレに送ってくれるという。じゃ、行っておくか、と車に乗り込んだ途端に出発の合図。あわてて飛行機へ。8時10分離陸、ルクラへ向かう。
飛行場の端っこで待機中
テジくんから言われた通り、左側の一番前の席に座る。天気はほぼ晴れ。窓から初エベレスト。
初エベレスト
ルクラのナマステ・ロッジで朝食。去年は、カラ・パタールに登ったところで高山病になり、チョラパスに行かずに下山した、という経緯がある。今回は去年の反省をふまえて、高山病対策をいろいろ考えてきた。テジくんの方も同じで、なんと酸素ボンベ(中国製)を用意してくれていた。ダイヤモックス(高山病の薬)も持ってきたという。お互い、準備万端である。
用意周到
10:00にトレッキング開始。ルクラからパクディンに向かう。

チョラパス越えて(3)-ジョルサレ2011/01/01 10:50

今回ポーターを頼んだミンマールくんは、テジくんの村の近くの出身。チョラパス経験者で、年齢はテジくんと同じ23歳。テジくんが10日前から予約していたという青年だ。実は、去年のポーターのおじさんに頼もうとしたが、連絡がとれなかったのだそうだ。一緒に行きたいと言ってくれていたのに残念だ。でも、依然として、おじさんの名前を知らないテジくんもどうかと思う。
ルクラ(2840M)からパクディン(2610M)へは、ドゥードゥーコシ川を遡る緩い下り。街道沿いの村では、あちこちで新しいロッジが建築中。聞くと、来年のネパール観光年を見越してのこととか。崖に張り出した、とっても危なそうなロッジを発見。これでも大丈夫とテジくんは言うが…。2年前にランドルックで3階建てのロッジの2階の床が落ちた事件を思い出し、あのロッジはどうなったのか聞いてみると、今もあのままだそうだ。やっぱりね。ネパール人が大丈夫と請け合うときは、話半分くらいに聞いておいたほうがよさそうだ。
あぶないロッジ
12時30分にパクディンのグリーン・ヴィレッジ・ゲストハウス着。去年、行きと帰りに1泊ずつしたロッジである。去年は2階がダイニングだったが、今年はダイニングを1階に移し、2階はすべてゲスト用の部屋に改築されていた。
パクディンのグリーン・ビレッジ・ロッジ
昼食にダルバートを食べ、13時45分に出発。さらに奥地へ。
国立公園管理事務所のおじさん

ジョルサレのチェックポストで国立公園の入園料を支払い、去年、昼食を食べたリバービュー・レストランの向かいにあるブッダ・ロッジに投宿。1日目にここまで歩く人は少ないのか、ゲストは私1人だ。ここで、部屋に鍵がかかっていて私物を持って来られなかったミンマールくんが、今晩中に取りに行くといって来た道を戻っていった。

チョラパス越えて(4)-ナムチェ2011/01/02 09:37


12月12日6時起床。いよいよ本格的なトレッキングの始まりだ。7時半にヌードル・スープで朝食をとり、8時に出発。ジョルサレ(2740M)の軍のチェックポストでトレッキング許可証を提示し、チェックを受ける。
テジくんとミンマールくん
ジョルサレ(2740M)からナムチェ(3440M)へは高低差700Mある急な登り。ドゥードゥーコシ川の河原をしばらく歩いて、吊り橋を渡ると、いよいよナムチェへの坂道が始まる。ここまでは去年と同じルートだ。
ナムチェから先は、去年同様ゴラクシェプに行ってからチョラパスを東から越えるか、それとも先にゴーキョに行って西から越えるかの選択になる。チョラパス越えは<地球の歩き方>に載ってないので、今年はより本格的なLonely Planetの<Trekking in the Nepal Himalaya>を参考にした。その中に、コンマ・ラ、チョ・ラ、レンジョ・ラという3つの峠を越える”Three Passes”コースが紹介されていて、そこでは東から峠を越えることになっているので、漠然とゴラクシェプまで去年と同じコースを行くつもりでいた。だが、テジくんは、去年カラパタールまで行ったし、途中で高山病になって下山することになると、ゴーキョを見ずに終わるので、先にゴーキョから回りましょう、と、もっともなことを言う。
エベレスト絶景ポイント

10時少し前、ナムチェ手前のエベレスト絶景ポイントに到着。去年は、地元のおばさんがみかんを売っていたが、今年は時間が早いのか、まだ誰もいない。1日目にジョルサレまで歩くトレッカーは、なかなかいないのだ。実はテジくんもチョラパス越えは初めてで、とてもはりきっている。それはいいのだが、私が元気なうちに少しでも行程を稼いでおこう、という心づもりか、ちょっとずつ多めに歩かされている気がする。
ナムチェに到着
10時50分、ナムチェに到着。村に入る手前のところで人が騒いでいて、指さす方向を見たらダフェがいた。ダフェはネパールの国鳥で、キジの一種。瑠璃色の羽が美しい。私は見るのは初めて。あわててカメラを構えるが、やっぱりボケボケだった。

チョラパス越えて(5)-モンラ2011/01/02 10:54

12月13日6時起床。どんなガイドブックも、高度順化のためナムチェで2泊するよう勧めているのだが、4000Mまでは自信があるし、ゴーキョ・ルートは高度の上がり方が穏やかだから大丈夫とテジくんが言うので、そのまま先に進むことになる。昨夜のうちにアイスアックスを借りてきたテジくんは、ついでに私達と同じ時にチョラパスを越えるパーティを見つけてきて、一緒に越えましょう、と言う。
7時45分、いよいよ出発。タンボチェへの分岐までは去年と同じ道をたどるのだ。
ナムチェを見下ろす

ナムチェの背面の山を登り、山肌をぐるっと回り込むと、アマダブラムが見えてくる。正面がエベレストとローツェである。去年、おじさんがトレッカーから寄付を集めていたところまで来ると、寄付の成果か、道がかなりよくなっていた。去年の場所から少し先のところで、また同じおじさんが寄付を集めていたので、ちょっとだけ寄付をし、さらに奥地へ。
アマダブラムが見えてくる
ミンマールくんが、カモシカを見つけて教えてくれる。昨日のダフェといい、今年は動物にめぐまれている。
カモシカ発見
そのうちに、また何かを発見したミンマールくん。なんと今度はダフェ。クムジュンから、それほど遠くないところだからだろうか。テジくんの弟は、なんとダフェを×××したのだそうだ。びっくり。
ダフェ発見

チョラパス越えて(6)-ドーレ2011/01/03 10:11

サナサの分岐を右へ下ると、プンキ・テンガを経てタンボチェへの登りへ至るのだが、今回は左に道をとって、ゆるい登りを2Kmほどたどってモンラ(3975M)に至る。そこからポルツェ・テンガまで、逆落としのような急坂になる。タンボチェの坂も相当難物で、去年は、ここを通らずに済むからという安易な判断でチョラパス行きを決めたのだったが、実はポルツェ・テンガの坂の方が短いながら急で難しいとテジくんは言う。どうやら私は目先の困難を避けたいばっかりに、さらに大きな困難にはまる傾向があるようだ。
行く手にモンラが…
11時55分、ポルツェ・テンガ(3680M)着。がんばったご褒美にスプライトを飲み、フライドライスの昼食をとっていると、ガイドを連れた若い女性が追いついてきた。彼女はコロラド大学に勤務するアンナ・リーズで、3か月間の休暇を利用し、前半はヒマラヤでトレッキング、後半はタイで友人とロッククライミングを楽しむのだという。テジくんが見つけてきたチョラパスを一緒に越えるパーティというのが彼女とガイドのラスクマールさんだった。彼女もこの坂には苦労したようで、ラスクマールさんに荷物を持ってもらったのだと言って照れていた。
日陰は凍結
12時50分、ポルツェ・テンガからドーレ(4090M)へ向かって出発。ゴジュンパ氷河へ続く渓谷の西側を遡っていく標高差400Mほどの登りである。西側は日当たりが悪いので、渓谷からドゥードゥーコシ川へ流れ落ちる小川はすべて凍っていた。アンナ・リーズ達より早めに出たのに、途中で楽々追い抜かれてしまう。さすがロッキー山脈で鍛えたアスリート。私のような俄トレッカーとは大違いだ。
ドーレから天候が下り坂に
14時40分、ドーレ着。午後になって雲が出てきた。雪が降るとチョラパスが越えられなくなってしまうのだが、さて…。