チョラパス越えて(7)-マッチェルモ2011/01/03 15:39

12月14日6時起床。少し頭痛がする。4000Mを超え、そろそろ高度の影響が出てきたらしい。去年の反省をふまえて、今年はいろいろ高山病対策を考えてきた。その1つが、頭痛にはアスピリン、というもの。完全な対症療法だが、登山物のノンフィクションを読んでいて、頭の痛くなったクライマーがアスピリンを飲む記述があり、そうか、頭が痛くなったら頭痛薬を飲めばいいんだ、と思いついたのだ。うまくいくかどうかわからないが、とりあえず頭痛薬(バッファリン)と葛根湯を飲んでおいた。実は、テジくんもミンマールくんも風邪をひいていて、私を挟んで前(ミンマールくん)と後ろ(テジくん)で咳をしていて、2人の風邪がうつったのか、それとも自発的に風邪を引いたかで、咳と鼻水がひどくなってきていたのだ。
ドーレを出発
8時45分出発。今日は昨日と同じ西側の渓谷の道をマッチェルモ(4410M)まで300Mほど登るだけだ。11時15分にマッチェルモのヒマヤラン・ロッジ着。12時に昼食をとり、少し頭痛もするので部屋で休むことにする。
すると、12時頃は晴れていたのに↓
ヒマラヤン・ロッジの庭にて
5時頃に起きてみると、うっすら雪が積もっていた。↓
うっすら雪が



チョラパス越えて(8)-ゴーキョ2011/01/05 08:03

12月15日6時起床。夜半に風の音が聞こえていたが、起きてみたら晴れていた。7時にベジ・ヌードル・スープで朝食。7時40分、いよいよゴーキョに向けて出発だ。今日はマッチェルモ(4410M)からゴーキョ(4750M)まで、300Mほど登るだけ。山道に入ったところで、道の真ん中に、土で作った皿に牛の頭を入れたお供えを発見。これって、幸先がいいってこと(?)
シェルパ族のお供え
さらにドゥードゥーコシ川の源流をたどっていくと、行く手に世界で6番目に高い山、チョー・オユー(8201M)が見えてくる。あの下が目指すゴーキョだ。
行く手にチョー・オユーが
ゴジュンパ氷河の端っこに着き、モレーンを登りきると、最初の湖(というか、ほとんど水たまり)に着く。ここがロンポンガ・ショ(4650M)で、なぜかわからないが、アヒルが住み着いている。
ここからはゴジュンパ氷河に沿ってのゆるやかな登りとなる。
ロンポンガ・ショとチョー・オユー

しばらく行くと、2つめの湖タボチェ・ショに着く。チョー・オユーを目指して、さらに歩いて行くと、湖の横でテントを張って休んでいる人達がいた。彼らは、韓国人登山隊のサポート隊で、本隊は今、マッチェルモ・リに登っているのだそうだ。その夜、マッチェルモ・リの頂上付近で光が見えたが、それがビバーク中のクライマー達らしかった。(↓真ん中の山がマッチェルモ・リ)。
タボチェ・ショとマッチェルモ・リ
さらに行くと、3つめの湖ドゥードゥ・ポカリと、正面のチョー・オユーの左手に、こんもりとした小高い山が見えてくる。これがゴーキョ・リ(5360M)である。右手にゴーキョ(4750M)のロッジの屋根が見える。
ゴーキョ・リとドゥードゥ・ポカリ

11時20分、ゴーキョ着。ゴーキョ・リゾートに投宿。窓からドゥードゥ・ポカリとマッチェルモ・リの見える眺めのいい部屋に荷物を降ろした。

チョラパス越えて(9)-ゴーキョ・リ登頂2011/01/06 13:11

12時にじゃがいもと目玉焼きで昼食。14時にゴーキョ・リに向けて歩き出す。5550Mのカラ・パタールは、5180Mのゴラクシェプから400Mほど登れば着くが、5360Mのゴーキョ・リは、カラ・パタールより低いものの、4750Mのゴーキョから600Mも登らねばならない。<Trekking in the Nepal Himalaya>では登り2時間と書かれていたが、私は小休止を何度も挟み、何度も諦めかけながら、3時間もかけて登った。今度も、後から出発したアンナ・リーズ&ラスクマール組に楽々追い抜かれてしまう。
ゴーキョとドゥードゥ・ポカリ
17時、ゴーキョ・リ着。頂上は意外に狭く、高所恐怖症気味の私は、ちょっとビクビクしながら、テジくんにお約束の記念写真を撮ってもらう。苦労の甲斐あって、ゴジュンパ氷河の向こうにエベレストとローツェがくっきり映える。少し距離があるので、カラ・パタールのようにヌプツェがエベレストの邪魔をするということがない。遠くにマカルー(8463M)も見え、これで8000M峰14座のうち、6座を見たことになる。
山頂で×××と叫ぶ
夕日に染まるエベレストを見ながら下山。18時40分に、ヘロヘロに疲れてロッジに戻った。
夕焼けのエベレストとローツェ

「人生で一番疲れた」と言いながらゴーキョ・リゾートの食堂に入っていくと、先に戻っていたアン・リーズ達に加えて、チョラパスを越えてきた日本人青年と、レンジョパスを越えてきた西洋人の青年がストーブにあたっていた。食欲がすっかりなくなり(スプライトがなかったので)コーラとお湯だけ飲んで夕食に。テジくんが心配してダイヤモックスを持ってきてくれるが、薬には頼らず、明日を休みにして体を休めることにする。これが今回のトレッキングで私がした中で最良の決定だった。

チョラパス越えて(10)-休養日2011/01/09 10:25

12月16日、今日は休養日と決めたので早く起きる必要はないのだが、習慣で6時頃に目が覚めてしまう。アンナ・リーズに、「私は今日ここで休むから、ゴラクシェプで会いましょう」と挨拶すると、「あら、私達も一緒よ」との返事。約束を守って、チョラパスまで一緒に行ってくれるらしい。12時まで、窓から見える景色をスケッチして過ごし、12時30分にタイチャーハンで昼食。普通のチャーハンにマッシュルームとカシューナッツが入ったもので、カシューナッツがタイ風ということになるらしい。
なぜかタイチャーハン
午後は、食堂の日当たりのいい一角に寝そべって、こういう時のために持ってきた立川武蔵先生の名著<はじめてのインド哲学>(講談社現代新書)を読む。
ロッジの食堂でヌクヌク
テジくんが、退屈じゃないですか、散歩に行きませんかと誘ってくる。ゴーキョからは、ゴーキョ・リの他に、ゴジュンパ氷河を遡ってゴジュンパ・ショ(4980M)まで行く片道3時間のサイド・トリップがあるが、全然歩く気のない私は断固拒否し、ひたすら休養に努める。元気を持てあましたテジくんは、まだ行ったことがないからと、14時すぎにミンマールくんと連れだってレンジョ・パスに出かけて行き、16時40分頃戻ってきた。レンジョ・パスまで2時間半での往復とは、さすが。<Trekking in the Nepal Himalaya>では、レンジョ・パスまで片道4時間の設定なのだ。戻ってきたテジくんから、レンジョ・パスの写真を見せてもらい、18時にツナマヨ・サンドイッチと紅茶で夕食。テジくんがカトマンズから持ってきてくれたリンゴも食べる。休養日のおかげで、完璧に高度順応が出来た気がする。
夕食後、ストーブに当たりながら、昨日出会った日本人青年と話をする。彼はKさんというプロのカメラマンで、友人達とメラ・ピークに登ってから、単独でチョラ・パスを越えてきたのだそうだ。映画好きで、私が見逃した『断崖のふたり』を東京映画祭で見ていたので、原作の<裸の山、ナンガ・パルバート>を読んだばかりの私とメスナー兄弟の話になる。メスナーの弟ギュンターはナンガ・パルバット登頂後、雪崩に遭って死んだのだが、その誘因となったのは、一足先に頂上アタックに出た兄を追うため、オーバー・ペースになって体力を消耗したことにある。プロの登山家でさえオーバー・ペースになれば体調を崩すのだ。そこで私が考えた高山病対策その2が“ペースを上げないこと”だった。去年はウォーキングの癖が抜けず、早足で失敗したので、今年は“ギュンターの轍を踏むな”、“2歩のところを3歩で、3歩のところを4歩で”を合い言葉に、ショパンの<別れの曲>をゆっくり弾くペースで歩いてみたのだ。

チョラパス越えて(11)-タンナ2011/01/09 12:36


12月17日6時30分起床。8時にチキン・ヌードル・スープで朝食。8時40分頃、アンナ・リーズ組と一緒にタンナに向けて出発。タンナはゴジュンパ氷河の東側にあり、今日は西から東へ氷河を渡るだけだ。地図ではタボチェ・ショまで南下してから、氷河を横断することになっているが、先導のミンマールくんは、ゴーキョを出てすぐ、早くも氷河の縁を登り始める。昨日たっぷり休養をとったはずの私だが、この最初の登りで早くもめげそうになる。砂と石のまざった氷河のモレーンを歩くというのが大の苦手なのだ。
ゴジュンパ氷河を渡る
ケルンを目印に、踏み跡をたどってモレーンを渡る。下が氷河なので、変なところを歩くとクレバスに落ちる危険がある。ミンマールくんによれば、ケルンがかなり動いてきているので、来年には、もっと北に新しいルートを作ることになるだろうとのこと。
休憩中のアン・リーズ&ラスクマール

氷河を渡りきったところで、チョー・オユーを背にして休憩。氷河の東の縁を乗り越え、さらに南下していくと、タンナ(4700M)のロッジが見えてくる。

タンナのロッジが見えてくる
11時すぎにタンナのホテル・クンビラ着。実は、このロッジは去年ディンボチェで泊まったロッジのオーナー(テジくんの言う社長さん)が新しく建てたもので、まだ一部建築中だ。最近は<Trekking in the Nepal Himalaya>を読んで<Three Passes>や、チョラパス越えに挑戦するトレッカーが増えているようなので、タンナのロッジを利用するトレッカーもますます増え、商売繁盛となるに違いない。ロッジの従業員は地元の青年と2人の若い娘さんで、彼女たちの作る料理はなかなか美味しかった。