3度目のスリーパス― Day15 Lumde to Namche ― 2017/03/19 09:31
12月21日晴れ

5時30分起床。7時にチベッタン・ブレッド蜂蜜、ブラックティーの朝食。ロッジのおばさんは料理が上手で、とっても美味しかった(↓)。

7時30分出発。タメで1泊する方が楽だが、ルンデからナムチェまで1日で歩くか、ナムチェからルクラまで1日で歩くかの選択で、前者を選んだ。ルンデを出てすぐ、レンジョ・ラに向かう西洋人のトレッカーに会い、「この先、問題ない?」と聞かれたので、「全然問題ないですよ」と答えた。マルルンを過ぎた頃、なぜ彼がそんな質問をしたのか、その理由が分かった。地震で道が崩れていたのだ(↓)。

ボテ・コシ川を北上するこのルートは昔からチベットの交易で使われてきた道で、よく整備されていた。2014年に通ったときは何の問題もない、穏やかなルートだったのに、タメ・ティンの入口にある大きなストゥーパもしっかり壊れ、見る影もなかった。

2014年のときのストゥーパ(↓)

10時40分タメ通過。ロッジのある方の村は、外から見ただけだが特に問題はないよう。2014年に泊まったロッジもちゃんと建っていた。

道中長いので、タメでは休憩せず、そのままボテ・コシを渡って、川の北側の山肌のルートに。

昼すぎにはナムチェに着くだろうし、それほどお腹がすいてないからナムチェのホテル・カマルでカレーを食べよう、という私の大甘の予想は大外れ。12時にタモのマヤ・レストランで休憩。オニオン・オムレツを食べる。よく晴れて日差しが強く、暑いし、足が蒸れて痛くなってきた。2014年のときは木漏れ陽の中を歩く快適なルートだと思ったのに。

2014年のときに休憩した思い出のストゥーパ(↑)。ここから、まだ1時間弱。14時30分、やっとナムチェが見えた(↓)

14時45分、ホテル・カマル着。休憩入れて7時間15分、歩数にして3万4690歩、今回のトレッキングで最高の歩数を記録(第2位はゴラクシェプからゾンラの2万2089歩。コンマ・ラ越え1万3421歩,チョラ越え1万3596歩、レンジョ・ラ越え1万9744歩で、登りはゆっくり歩くので意外に歩数が少ない)。
ダイニングでジンジャー・ハニー・レモンを飲んで一休みし、汗をかいたので外の水道で顔と手を洗い、タオルを洗って干しておく。ホテルのWiFiは遅いので、去年も行ったインターネット・カフェへ行き、メールをチェック(1時間500ルピー)。ホテルに戻るとシンガポールの若者グループ11人が到着。ホットレモンをノミながらストーブにあたってジョセフ・キャンベルの「神話の力」を読む。18時にカレーライスとブラックティーの夕食。しばらくストーブにあたって和んでから寝る。
3度目のスリーパス―Day14 Renjo La to Rumde ― 2017/03/18 12:01
12月20日晴れ
いよいよ最後の山場、レンジョ・ラ越えである。5時起床、6時30分パンケーキ、蜂蜜、ブラックティーの朝食、7時出発。ゴーキョ・ショを左に見ながら、ゆっくり登っていく。池の表面にパリラプツェが映って美しい(↓)

しばらく行くと、後ろからゴーキョのロッジで一緒だったアメリカ人の若いカップルが追いかけてくるのに気づく。休憩中に追いつかれ、先に出る。また休憩中に追いつかれの繰り返し。彼らについている陽気なポーターとニルクマールさんは仲がいい。

中腹まで来てゴーキョを振り返ったところ(↑)。2014年の下りのときには道を間違えたが、登りの方が断然ルートがわかりやすい。3時間ほど歩いて、ようやく峠が見えてくる(↓)

11時、第3の峠、レンジョ・ラ(5360m)着。エベレストをバックに記念写真。スリーパス達成。やったぜ!

ゴーキョのロッジで買った軽食(お弁当は高いし、いつも全部食べきれないのでチョコバーとゆで卵だけ)を食べながら休憩していると、後ろのカップルのポーター氏が一足先に着いたので、3人の記念写真を撮ってもらう。彼の指示でとったポーズ(↓)。私の左手がエベレストのてっぺんを指しているのが笑える。

11時30分下りに入る。レンジョ・ラからは、しばらく階段状の石の道。ここからルンデまで、高度差約1000m、距離も長い、長い下りである。

2014年のときは早朝だったので、峠に出るまで陽が射さず、暗くて陰気な感じがしたが、今回は昼下がりで、日差しが強くて暑い。平らなところまで降りて、レンジョ・ラ方向を振り返ったところ(↓)2014年にも同じようなところで写真を撮ったはず。

14時、谷底に、ようやくルンデ(4370m)が見えてくる(↓)実はここから見えたのは夏の家畜小屋で、ロッジはさらに山裾を越えたところだった。ヒマラヤは見えてからが長い。

15時、ルンデの、その名もスリーパス・ゲストハウス着。ゴーキョから休憩入れて8時間だった。陽のあるうちに靴を干し、南向きに下って顔が日に焼けたのでパック。あまり高い場所でパックすると寒いが、そろそろいいだろうと。1時間遅れでアメリカ人の若いカップル一行が着く。下りで差がついた。18時、ベジモモ、ブラックティー、ジンジャー・レモンの夕食。「こころ」を読み、寝つけないので眠剤を飲んで寝る。
3度目のスリーパス―Day13 Gokyo Ri ― 2017/03/18 11:09
12月19日晴れ
6時30分起床。血中酸素濃度69~76% 体調はよく、高山病の兆候はまるでないが、深呼吸してもこれ以上にはならない。7時30分にトーストと蜂蜜、ブラックティーの朝食。8時すぎに出発。2014年には湖を見に行ったので、今回はゴーキョ・リ(5483m)に登ることにした。2010年以来で、あのときは夕方登ったので、昼間は初めて。

ゴーキョ・ショの淵を渡ると正面にゴーキョ・リ(↓)。カラ・パタールは300mの登り、ゴーキョ・リは600mで倍以上差があるが、ゴーキョ・リの方が断然歩きやすい。ロンリープラネットでは両方とも往復4時間の設定である。

しばらく登ると、下にヘリコプターがやってきた(↓)。シャンボチェ、ゴラクシェプについで3度目で、今回はヘリによく会う。

中腹から明日越える予定のレンジョ・ラが見える(↓)。あそこを越えれば、念願のスリーパス達成である。

休み休み登って11時にゴーキョ・リ着。山頂にはゴラクシェプとゾンラで一緒だったアメリカ人の女性がいて、写真を撮っていた。大きなカメラを持っているのでプロの写真家かもしれない。明るくて気さくな人で、歳は40代か50代の始めくらい、体が引き締まっていて、感心するほど強い。私と違って、ちゃんとトレーニングしているんだろう。
山頂から見たゴジュンパ氷河、ロンポンガ・ショ、タボチェ・ショ(↓)。ゴーキョ・ショ(元ドゥードゥ・ポカリ)、トナク・ショ、ゴジュンパ・ショを合わせてフィフス・レイクということは、2014年のトレッキングのときに書いた。

エベレストをバックにお約束の記念写真(↓)

五色のタルチョ(プレイヤーフラッグ)で飾られた山頂で休憩(↓)。ガーゼのマフラーを巻いて日焼け予防。昼間はたいていこの格好で歩いている。ルペシュくんはスマホをチェック。

12時30分にロッジに戻り、ツナサンドとブラックティーの昼食。2010年に食べたときは、すごく美味しかったのに、今回はバターではなくマーガリンが塗ってあったのでちょっとがっかり。18時にスパゲティ・ボロネーゼとブラックティー。量が多くて食べきれなかった。「坊ちゃん」を読み終わり、「三四郎」に。
3度目のスリーパス―Day12 Tagnag to Gokyo ― 2017/03/18 10:40
12月18日晴れ
5時に腕時計の目覚ましが鳴って目が覚める。止めるのを忘れていた。今日はゴーキョに行くだけなので、急ぐ必要はない。6時30分に起きて荷物を作り、8時にトースト、ジャム、ブラックティーの朝食。8時40分頃に歩き始める。

30分ほど歩いてゴジュンパ氷河の縁に登ると、チョー・オユー(8201m)が見えてくる。ここからモレーンを下って氷河を渡る。

氷河の縁は急で滑りやすく、中は石がゴロゴロしていて歩きにくい。氷河は移動しているので、ルートは毎年変わり、目印にケルンが立っている。石と砂の下は氷なのでルートを外れると危険だ。

11時すぎ、ゴーキョ(4750m)が見えてくる(↓)。左の小山が明日登ることになっているゴーキョ・リ(5360m)だ。

11時45分、2014年にも泊まったナマステ・ロッジに着、ジンジャー・レモンで一息つく。たしか2010年もここだったはず。血中酸素濃度65~75%。12時30分にマッシュルームオムレツとブラックティーの昼食。陽の射すダイニングルームで「我が輩は猫である」を読む。18時、夕食にビーフストロガノフならぬヤクストロガノフ(↓)を食べて寝る。

3度目のスリーパス- Day11 Cho La to Tagnag ― 2017/03/12 11:49
12月17日晴れ
4時30分起床。いよいよ第2の峠、チョラ・パス越えだ。5時に出発するらしい韓国人グループが騒がしい。見ると南極に行くような極地仕様のジャケットを着込んでいる人もいる。
6時に朝食のはずが、ダイニングに誰もおらず、結局6時20分にジャム・トーストとブラックティーの朝食。7時に出発。谷間の道なので最初は薄暗いが、徐々に日が射して明るくなってくる。

2010年に西から歩いたときは、パスを越えてから意外に長く感じた、その緩い下りを、今回は逆に登っていく。約1時間ちょっとで峠の下に着き、先に出た韓国人グループに追いつく。

チョラの東側は岩がごろごろしたきつい登り。半分登ったところ(↑)で、やっと縁が見えてくる。登りあぐねている韓国人グループを1人抜き、2人抜きして、ついには先頭に。登りの残りの半分は、ほとんど崖のガレ場で、前回は立っていられず、座って尻で降りた。日本の山なら梯子を設置するだろう。9時30分、峠の上に出る(↓)。正面に見えるのはアマ・ダブラム。

ここからは氷河の上を歩いて渡る。前回はアイゼンをつけなくても雪の上の足跡をたどって行けたが、今回は雪が驚くほど多く、凍結していて、様子がまったく違う。ヤクトラックスを買ってきたので、さっそく靴に装着。ただ、ニルクマールさんもルペシュくんもアイゼンがないので、このままでは峠まで歩けない。少し先の、いよいよ雪原に出るというところで韓国隊のポーターたちが何やら相談している。どうやらルートをつけてくれたらしい。

私のポールはダブル、ルペシュくんはシングルなので、ルペシュくんのポールをニルクマールさんに渡し、私のポールを1本ルペシュくんに渡し、3人シングル・ポールで凍結した雪原に出る。峠に向かって傾斜の増す凍った坂を、ポーターがつけてくれた跡をたどりながら、慎重に登っていく。陽が射して表面が溶け、つるつる滑る。ヤクトラックスを持ってきて本当によかった。

10時40分、ようやく峠に着く。氷河の上を歩いているときは、まったく余裕がなかったが、ここで一気にリラックス。緊張が解けて、笑いながら記念写真。危なかったけど面白かった!

第2の峠、チョ・ラの記念写真(↓)

小休止し、軽食をとって再び出発。2010年に登りあぐねた西側の崖を下って、下から見上げたところ。こっちも難しい。

チョラは西から越えると取り付きまでが長い。つまり、東から越えると、越えてからが長いということだ。ルートは氷河跡のU字谷で、途中の水場で韓国隊のポーターたちが食事を作っていた。今日はそこでテント泊するらしい。

13時、前回「あれがチョ・ラだ」と驚いたところまで来る(↑)。

14時すぎ、谷底の氷河のふちに、ようやくタンナが見えてくる。見えてもなかなか着かないのがヒマラヤ。足も疲れてきて、この谷の下りがすごく長く感じられる。14時40分、タンナ着、ゾンラから休憩込みで7時間40分だった。2014年に雪に降り込められたときと同じロッジに投宿、部屋で着替える。血中酸素濃度を測ると65%~75%。汗が冷えたのか、くしゃみと鼻水が出たので、念のために葛根湯を飲んでおく。18時、ベジモモとガーリックスープで夕食。疲れのせいか、スープの化学調味料のせいか、気分が悪くなる。