テンジン・ヒラリー・ルートを歩く Day8 Monjo2016/01/11 12:11

12月12日、晴れのち曇り
6時起床、7時にチャパティとゆで卵、ブラックティーという、ほとんど定番となった朝食を食べ、7時50分頃に出発。いよいよエベレスト街道に突入だ。スルケから再び登り。急な石の道をしばらく行くと、ルクラへの分岐点に。右へ行くとルクラだが、想像したよりもずっと急な登りだった。
右ルクラ、左ナムチェ
当然のことながら、私達は左へ直進。吊り橋を渡って再び登り。大きな学校と集落のあるチャウリカルカに着く(実はこの日、チャウリカルカの運動場でサッカー試合があり、ナムチェのホテル・カマルのおじさんが選手として出場していたことが後で判明する)。待望のエベレスト街道に入ると、何度も歩いた道なので、土地鑑があり、地震の被害がよくわかるようになる。
チャウリカルカのゴンパ
いつものビュー・ポイントでクッスム・カングルの写真を撮り、坂を登っていくと―
クッスム・カングル(6367m)ビュー・ポイント
そこにあったはずのテラスのあるロッジが跡形もなく崩れていた(↓)。ロッジ自体は向かいに建て直されていたので、少し安心したが。
坂の上のテラスのあるロッジは跡形もなかった
パクディンのグリーンヴィレッジ・ゲストハウスの手前にある、竹を支えに使ったロッジ(以前テジくんに「あんな建て方で大丈夫?ネパールには地震はないの?」と聞いたことがあった)は、やっぱり崩れていた。11時20分、去年泊まったビア・ガーデン・ロッジに着き、グリルド・チキンとホットレモンの昼食。このロッジは何を食べても美味しい。
崖崩れの跡
パクディンを出て、吊り橋を渡り、ドゥドゥ・コシの右岸に入ると、いつもの気持ちのいい林の中の道が、崖崩れで見るも無惨な有様になっていた。日も陰ってきて、さらに憂鬱な気分になる。
自作の仮設住宅
地震から8ヵ月経っているので、壊れたロッジを補修して営業したり、建て直しているところもあるが、まだビニールシートを屋根にした仮設の家で暮らしているところもあって、胸が痛くなる。
モンジョのシェルパ・ロッジでも結婚式
14時15分、モンジョのシェルパ・ロッジ着(前日に結婚式があったらしく、飾り付けが残っていた)。ホットオレンジを飲んで、時計のバッテリーを交換。18時にチーズ・スパゲティとミントティーの夕食。1週間ぶりに完食できた。

テンジン・ヒラリー・ルートを歩く Day9 Namche2016/01/11 13:31

12月13日、晴れのち曇り
6時起床、7時にチャパティとオムレツ、ブラックティーで朝食。7時50分に歩き始め、すぐモンジョのチェックポストに着く。いつもは記念写真を撮るのだが、今年はパス。この辺りも地震の影響でロッジが崩れたり、ルートが少し変わったりしていたが―
サガルマータ国立公園事務所
ジョルサレに着くと、すっかり様相が変わっていて驚く。何度か昼食を食べたリバーサイド・テラス・レストランは、川の上に張り出した自慢のテラスがなくなり、少し小さくなった建物で営業中だった。
建て直されたリバーサイド・テラス・レストラン
ジョルサレから河原を歩き、「エベレスト3D」にも登場する吊り橋(ラルジャ橋)を渡ると、地球の歩き方に「高山病にかかりやすい難所その1」に指定されている、高度差600mの上り。
「エベレスト3D」にも登場するラルジャ橋
去年は登り始めてすぐ気分が悪くなったが、今年は体調は万全。とはいえ、1週間ほどアップダウンを繰り返した後で、足に疲れが残っていて、スイスイとは行かなかった。
お約束のエベレスト・ビューポイントで1枚
2時間足らずで最初のエベレスト・ビューポイントに着き、写真を撮っていると、少し遅れてモンジョのチェックポストを出た自転車冒険野郎コンビ(事前にトレッキング許可をとっていないので、入園料を払ったりして時間がかかる)がやってきた。ここから合流して、一緒にナムチェのチェックポストへ。
ナムチェに入る前のチェックポストにて
11時にナムチェのホテル・カマルに到着。タマン兄弟のおじさんが経営するお馴染みのロッジで、私にとっては2012年、2014年に続く3年目の滞在。
昼食のチキン・バター・マサラ・カレー
部屋に荷物を降ろし、チキン・バター・マサラ・カレーとホットレモンの昼食を食べ、靴下と下着を洗濯。天気がよければ、ラジューくんとサガルマータ国立公園博物館へ景色(ここもエベレスト・ビューポイントなのだ)を見に行くことにしていたが、雲が出て中止に。代わりに、エベレスト・リンクのプリペイド・カードを買いにいくことにする。エベレスト・リンクとはエベレスト一帯で使える新しいWiFiシステム(ホットスポットの一種)だが、直営の事務所は閉まっていて、そこにいた女性に「インターネット・カフェに行ったら?」と言われてしまう。しかたなくネット・カフェでスマホのメールをチェック。1時間500ルピーだった。ロッジに帰って、ストーブで靴下を乾かし、18時にヤク・ステーキとポテトチップス、ミントティーの夕食を食べ、ストーブにあたりながらテレビを見たり、ロッジの子供と遊んだりして時間を潰す。

テンジン・ヒラリー・ルートを歩く Day10 Tengboche2016/01/11 13:46

12月14日、晴れ
6時起床、7時にチーズ・トマト・トーストとブラックティーの朝食。ロッジの裏で、お香を焚いていた。7時45分に歩き始め、途中で雑貨屋に寄ってライターを買う(30ルピー)。
お香を燃やす
キャンジュマまでは、ゆるゆるした高度差100mの上り、そこからプンキ・テンガまでは、ちょっと急な300mの下り。とはいえ、これまでのアップダウンのきつさとは比べものにならない。
ナムチェとコンデ(6186m)
キャンジュマへ向かう道すがら、向かいの山肌に張り付いたポルツェの村が見える。去年、雪でチョラパス越えを諦めたとき、タンナからポルツェへ行こうと思ったのは本当に無謀だったなと改めて思う。
ポルツェの村
去年泊まったキャンジュマのロッジの前を通り(オーナー夫婦に「お茶を飲んで行ったら?」と誘われたが、「帰りに寄ります」と言って先を急いだ)、プンキ・テンガまで長い坂を下っていくと、途中で大きな木を運んでいる人達に遭遇した。4月の地震で崖が崩れ、木が随分倒れたようで、今年はストーブで薪を焚くロッジが多いような気がする(国立公園内なので伐採禁止、ナムチェから上は、ヤクの糞を焚く)。この木は大きいので、薪にするのではなく、家を建てる材料にするのだろう。
倒れた大木を運んでいる人々
プンキ・テンガで休憩し、ホットレモンを飲む。以前は、川の流れの上に木橋が架かっていたのだが、数年前から吊り橋になった。ここを渡ると、タンボチェまで高度差600mの登り。地球の歩き方で「高山病にかかりやすい難所その2」に指定されている急坂だ。
プンキ・テンガの吊り橋
南向きの日当たりのいい斜面を歩くので、日焼け止めを塗ったうえで、念のためにガーゼのマフラーを頬被りのように顔に被る。おばさんは見かけなど気にしていられない。
カンテガ(6685m)
12時ちょっとすぎにタンボチェのタシデレ・ロッジ着。窓からエベレスト、ローツェ、アマ・ダブラムが一望できる”眺めのいい部屋”をもらう。昼食(チキン・フライドライス)を食べて、散歩へ。以前テジくんと行った、加藤保男(1982年に日本人初のエベレスト冬期登頂に成功し、下山中に遭難した)の碑や、(なぜか)ジュディ・オングが建てた橋本龍太郎の碑などが並んでいる尾根から写真を撮り(↓)、帰りにゴンパへ寄ったら本堂が閉まっていたので、明朝出直すことにする。
タンボチェのゴンパ、アマ・ダブラム、ローツェ
ロッジは、いろんな国のトレッカーで結構混んでいた。さすが人気のトレッキング・ルートである。プンキ・テンガへ下るときに追い越した西洋人の中年夫婦がいたので、話をしてみたら、香港在住のドイツ人だった。奥さんの方はポニーに乗って、ご主人の方は徒歩で、ここまで来て、明日引き返すのだそう。ご主人は長野の白馬へスキーに行くとも言っていた。そうこうするうちに夕暮れになり、それぞれテラスに出て、夕焼けに染まるエベレストをカメラに収める。雲一つなく晴れた、こんな美しい夕焼けは珍しいだろう。
夕焼けのエベレストとローツェ
ロッジでブプサで一緒だった青森の若いカップルに再会。ツトムくんの言う通り、本当に「地球の歩き方のスケジュール通りに」歩いているらしい。ツトムくんは半ば呆れていたが、私は、ある意味、すごいと思う。