テンジン・ヒラリー・ルートを歩く Day2 Chimbu2016/01/06 11:20

12月6日
バスターミナルに停まっていた2台のバスのうち、1台はまだ暗い6時に、2台目は7時に出ていった。さすがにバンダルから乗る客はおらず、この先で乗客を拾いながらカドマンドゥへ向かうのだろう。私は6時に起きて荷物をまとめ、7時に朝食、7時半に出発。この時間割がこの後も標準となる。
バス・ターミナルの朝
ロッジの前で子ザルに餌をやっていた。餌はチウラ(干飯)。
ロッジの子ザル
私も朝食のチベッタンブレッドに蜂蜜をつけて食べ、7時45分にバンダル(2180m)を出発。初めはバイクが走りそうな泥道のゆるやかな下り。しばらく行くと地震で崩れた家や寺院がある。
地震で崩れた寺院
リク・コーラが流れる谷間に出て、さらに下っていく。日が射して暖かいが、思ったほどではないし、暑いと足に汗をかくからと、アプローチ用の軽いシューズを履いていたのが、さすがにヒマラヤの道、石がごろごろしていて、足首が痛くなってくる。
次第に山の中へ
キンジャ(1630m)に着く前に、吊り橋を2度渡るのだが、そのときに突然めまいがして、気分が悪くなってくる。キンジャのチェックポストでトレッキング許可証を見せる。なんとチェックポストは地震のときに中国が送った救援物資のテントだった。
キンジャのチェックポストは災害用テント
キンジャで昼食となるが、気分がどんどん悪くなり、スープくらいしか食べられず、突然腰も痛くなる。ぎっくり腰かなと思ったが、腰痛の原因は心因性だから、気分が悪くなったことの不安が痛みを引き起こしたのだろうと判断。それでもなぜ気分が悪いのか原因がわからない。とりあえず、トレッキング・ブーツに履き替え、不安を抱えたまま今日の目的地セテへ向かう。キンジャから先は地図に”険しい登り”と表記があるほどの急坂だが、登りで苦労する以上に、めまいと吐き気で、休み休み登っているうちに、ついには動けなくなり、セテまで半分ほど行程を残した、チンブというところでギブアップ。食欲もなく、ロッジの部屋に入ると靴を履いたまま倒れるように寝てしまう。

テンジン・ヒラリー・ルートを歩く Day3 Goyam2016/01/06 12:06

12月7日
5時起床。6時にラジューくんが様子を確かめに来る。まだ気分は本調子ではなく、紅茶とヌードルスープのスープだけ飲み、昨日の遅れを取り戻すため、今日はいつもより早く7時10分に出発。
来た道を振り返る
30分ほど歩いて、来た道を振り返る。キンジャ(1630m)からラムジュラ・ラ(3736m)まではずっと登りだが、さすがに険しい部分は終了。8時20分、昨日泊まる予定だったセテに着く。
昨日泊まるはずだったセテのロッジ
さらに登って、10時にダカチューのロッジで休憩。今回のトレッキング初のスプライトを飲む。丘の上に出たので、遠くに雪をいただいた山々が見えてくる。
ダカチューから見た山々
11時45分、ゴヤム(3220m)着。私の様子を見て、ラジューくんが、どうしますか?と聞くので、気分が悪いから今日はここで泊まろうと応える。この決定がこのトレッキングに意外な影響をもらたすことになった。
部屋の場違いなポスター
ヒマラヤ山中とは思えない、場違いな南の島のポスターが貼られたロッジの部屋で休んでいると、外で話し声がする。ネパール人とは思えない日本語アクセントの英語を話すガイドと英国人の2人組だった。が、ネパール人と思った青年は本物の日本人で大阪の人。ジリで英国人に声をかけられ、パーティを組んでエベレスト・ベースキャンプまで行くのだという。日本人はツトムくん、英国人はネイサンと言い、2人とも自転車で世界旅行中の冒険野郎だった。
ゴヤムのロッジの猫
ロッジはタシデレ・ロッジ(タシデレはチベット語で、こんにちはという意味)と言い、ご主人は陽気な学校の先生で、仙台と名古屋に子供が住んでいるそう。私は夕食のベジ・モモを食べてすぐ寝てしまったが、その後、チャン(どぶろく)をふるまってくれたらしく、翌朝、皆二日酔いで頭が痛いと言っていた。予定通りに歩いていたら泊まらなかったはずのところでの思いがけない出会いだった。