チョラパス越えて(20)-ペリチェ2011/01/18 12:33

12時少し前にトゥクラのロッジに着き、テラスで紅茶を飲んでいると、私とテジくんが日本語で話しているのを聞きつけ、韓国人の青年が話しかけてきた。大阪に4年いたことがあるそうで、日本語がかなり上手い。帰国後トレッキングをアレンジする会社に就職したところ、上司に実際に体験して来いと言われてトレッキングに来たと言う。上司の指示でジリからルクラへも飛行機を使わず、1週間かけて歩いたそうで、「ネパール人は、なぜ山を横から回らず、上から越えるんでしょう?」と嘆く。聞くと、2日間登り続けて越えた山もあるとか。そんなに苦労して登ってきたのに、ゴラクシェプで高山病になり、カラ・パタールの上まで行けずに下ってきたと言う。これからカトマンズに戻って、次は(これも上司の指示で)アンナプルナ・ベースキャンプに行くと言う。どうせなら、先にアンナプルナBCに行ってからエベレストに来た方が楽に高度順化できたんじゃないかと私などは思うのだが、上司の指示なら仕方がないか。昼食に頼んだモモ(チベットの餃子)が食べられず、ガイドの青年に食べてもらっているのを見て、去年の自分を思い出し、大いに同情してしまった。
ヒマラヤ特製太陽熱調理器
私の方は、フライドライスを美味しく平らげ、12時40分すぎに、トゥクラを出発。ペリチェに向かって、しばらく谷を下り、ふと振り返ると、遙か彼方にチョラパスが見えた。
振り返ると、遙か彼方にチョラパスが
しかし、好事魔多し。ペリチェの手前で凍った小川を渡っているときに、足を滑らせて川に落ちてしまう。これまで何度か危ない場面があっても何とか落ちずに済んだのに、とうとう右足が、ざぶんと水に落ち、ついでに左足も滑って小川の中に。我ながらバランスの悪さに呆れる。が、幸い、防水スプレーでシューズを3重にコーティングしてきたので、靴下が少し濡れただけで、中まで水が浸透せずに済んだ。
ペリチェに到着

14時すぎにペリチェを通過、ペリチェパスに向かう。


チョラパス越えて(21)-パンボチェ2011/01/18 13:33

ペリチェの集落を過ぎてロブチェ・コーラに架かる橋へ向かう。村外れのロッジで、昨日ゴラクシェプで一緒だったオーストラリア人グループのガイド達が休んでいる。聞くと、彼らは今日ここに泊まるのだそうだ。橋を渡ってペリチェパスの登りにかかる。去年は高山病と疲れとで不満たらたらの苦しい登りだったが、今回は難なく10分足らずで登れてしまう。呆気なくて、びっくり。
ロブチェ・コーラに架かる橋
14時40分、パスの上に出ると、正面にタムセルクが見えてくる。ここからは、午後の日差しを浴びながら、イムジャ・コーラの西側の谷に沿ってパンボチェまで下っていくだけだ。
ペリチェパスの上に出る
15時少し前にオルショに着き、ロッジのトイレを借りる。ここから見るアマダブラムは、西壁にむき出しになったツロ氷河のせいで、ペリチェの谷から見るのとは、また違った趣がある。
アマダブラムとツロ氷河
16時15分、パンボチェの手前でミンマールくんが、またもカモシカを見つける。振り返ると、イムジャ・コーラの向こうに、雲をかぶったローツェが見える。ここまで下ると、アマダブラムが、その名の通り“お母さんの首飾り”に見える。テジくんによれば、今年の夏、日本人の登山家がアマダブラムで遭難し、救助に向かったヘリが墜落、乗員が全員亡くなったそうだ。遭難した日本人はどうなったかと訊くと、「助かったようです」とのこと。
ローツェとアマダブラムとイムジャ・コーラ
16時30分、パンボチェのエベレスト・ビュー・ロッジ着。去年泊まった同じロッジだが、今年は裏庭に2階建ての新しいロッジが建てられていた。1階が食堂、2階がゲストルームで、日当たりのいい南側の部屋は、もう全部埋まっていて、ローツェとアマダブラムを臨む北側の部屋になる。部屋に荷物を置いて食堂に行くと、トゥクラで一緒だった韓国人の青年がいて、南側の部屋は暑いくらいです、と言う。いいさ、もうすぐ日が暮れれば、南だろうと北だろうと同じことだから。

チョラパス越えて(22)-タンボチェ2011/01/18 19:15

エベレスト・ビュー・ロッジは、韓国人青年の他に、日本で英語を教えていたことがあるというアメリカ人のおじさん、3人の子供を連れたアメリカ人夫婦と、それぞれのガイドで賑やか。アメリカ人家族は、いかにもインテリ富裕層という感じ。下の女の子がまだ幼いので大丈夫だろうかと心配になったが、話をしてみると、お子さんは、上から16歳、14歳、7歳。3年前にアンナプルナBCを経験済みという。ということは、下の女の子は4歳でABCまで登ったことになる。どこまで自分の足で歩いたのかわからないが、それにしても凄い。そういえば、9月に富士登山に行ったときも、お母さんに連れられた7歳の女の子がいて、元気に、お鉢巡りまでして下っていったのを思い出した。
ローツェの夕焼け

新築のロッジには、クッションフロアのようなシートが敷かれ、足ふきマットまで置かれている。どれも色柄の派手な中国製で、ネパールの山奥というより、中国の田舎にいるみたい。ようやく部屋に明るい電灯がつき、文明に戻ってきた感じ。夕暮れになって、ロッジの庭からも、部屋からも、アマダブラムとローツェの美しい夕焼けが見える。ローツェの頂では、西から東へ雲がたなびいていて、ジェット気流が吹き荒れているのが見てとれる。
ローツェの朝焼け
12月22日、6時25分起床。7時半にチーズトーストと紅茶の朝食を取り、8時に再び下山開始。イムジャ・コーラの谷を西から東に渡って、9時20分にタンボチェ(3860M)に着く。と、びっくり。去年、お茶を飲んで休憩したロッジの真横に、石造りの立派な3階建てのロッジが建っていた!
いつのまにか3階建て