チョラパス越えて(10)-休養日 ― 2011/01/09 10:25
12月16日、今日は休養日と決めたので早く起きる必要はないのだが、習慣で6時頃に目が覚めてしまう。アンナ・リーズに、「私は今日ここで休むから、ゴラクシェプで会いましょう」と挨拶すると、「あら、私達も一緒よ」との返事。約束を守って、チョラパスまで一緒に行ってくれるらしい。12時まで、窓から見える景色をスケッチして過ごし、12時30分にタイチャーハンで昼食。普通のチャーハンにマッシュルームとカシューナッツが入ったもので、カシューナッツがタイ風ということになるらしい。

午後は、食堂の日当たりのいい一角に寝そべって、こういう時のために持ってきた立川武蔵先生の名著<はじめてのインド哲学>(講談社現代新書)を読む。

テジくんが、退屈じゃないですか、散歩に行きませんかと誘ってくる。ゴーキョからは、ゴーキョ・リの他に、ゴジュンパ氷河を遡ってゴジュンパ・ショ(4980M)まで行く片道3時間のサイド・トリップがあるが、全然歩く気のない私は断固拒否し、ひたすら休養に努める。元気を持てあましたテジくんは、まだ行ったことがないからと、14時すぎにミンマールくんと連れだってレンジョ・パスに出かけて行き、16時40分頃戻ってきた。レンジョ・パスまで2時間半での往復とは、さすが。<Trekking in the Nepal Himalaya>では、レンジョ・パスまで片道4時間の設定なのだ。戻ってきたテジくんから、レンジョ・パスの写真を見せてもらい、18時にツナマヨ・サンドイッチと紅茶で夕食。テジくんがカトマンズから持ってきてくれたリンゴも食べる。休養日のおかげで、完璧に高度順応が出来た気がする。
夕食後、ストーブに当たりながら、昨日出会った日本人青年と話をする。彼はKさんというプロのカメラマンで、友人達とメラ・ピークに登ってから、単独でチョラ・パスを越えてきたのだそうだ。映画好きで、私が見逃した『断崖のふたり』を東京映画祭で見ていたので、原作の<裸の山、ナンガ・パルバート>を読んだばかりの私とメスナー兄弟の話になる。メスナーの弟ギュンターはナンガ・パルバット登頂後、雪崩に遭って死んだのだが、その誘因となったのは、一足先に頂上アタックに出た兄を追うため、オーバー・ペースになって体力を消耗したことにある。プロの登山家でさえオーバー・ペースになれば体調を崩すのだ。そこで私が考えた高山病対策その2が“ペースを上げないこと”だった。去年はウォーキングの癖が抜けず、早足で失敗したので、今年は“ギュンターの轍を踏むな”、“2歩のところを3歩で、3歩のところを4歩で”を合い言葉に、ショパンの<別れの曲>をゆっくり弾くペースで歩いてみたのだ。
夕食後、ストーブに当たりながら、昨日出会った日本人青年と話をする。彼はKさんというプロのカメラマンで、友人達とメラ・ピークに登ってから、単独でチョラ・パスを越えてきたのだそうだ。映画好きで、私が見逃した『断崖のふたり』を東京映画祭で見ていたので、原作の<裸の山、ナンガ・パルバート>を読んだばかりの私とメスナー兄弟の話になる。メスナーの弟ギュンターはナンガ・パルバット登頂後、雪崩に遭って死んだのだが、その誘因となったのは、一足先に頂上アタックに出た兄を追うため、オーバー・ペースになって体力を消耗したことにある。プロの登山家でさえオーバー・ペースになれば体調を崩すのだ。そこで私が考えた高山病対策その2が“ペースを上げないこと”だった。去年はウォーキングの癖が抜けず、早足で失敗したので、今年は“ギュンターの轍を踏むな”、“2歩のところを3歩で、3歩のところを4歩で”を合い言葉に、ショパンの<別れの曲>をゆっくり弾くペースで歩いてみたのだ。
チョラパス越えて(11)-タンナ ― 2011/01/09 12:36
12月17日6時30分起床。8時にチキン・ヌードル・スープで朝食。8時40分頃、アンナ・リーズ組と一緒にタンナに向けて出発。タンナはゴジュンパ氷河の東側にあり、今日は西から東へ氷河を渡るだけだ。地図ではタボチェ・ショまで南下してから、氷河を横断することになっているが、先導のミンマールくんは、ゴーキョを出てすぐ、早くも氷河の縁を登り始める。昨日たっぷり休養をとったはずの私だが、この最初の登りで早くもめげそうになる。砂と石のまざった氷河のモレーンを歩くというのが大の苦手なのだ。

ケルンを目印に、踏み跡をたどってモレーンを渡る。下が氷河なので、変なところを歩くとクレバスに落ちる危険がある。ミンマールくんによれば、ケルンがかなり動いてきているので、来年には、もっと北に新しいルートを作ることになるだろうとのこと。

氷河を渡りきったところで、チョー・オユーを背にして休憩。氷河の東の縁を乗り越え、さらに南下していくと、タンナ(4700M)のロッジが見えてくる。

11時すぎにタンナのホテル・クンビラ着。実は、このロッジは去年ディンボチェで泊まったロッジのオーナー(テジくんの言う社長さん)が新しく建てたもので、まだ一部建築中だ。最近は<Trekking in the Nepal Himalaya>を読んで<Three Passes>や、チョラパス越えに挑戦するトレッカーが増えているようなので、タンナのロッジを利用するトレッカーもますます増え、商売繁盛となるに違いない。ロッジの従業員は地元の青年と2人の若い娘さんで、彼女たちの作る料理はなかなか美味しかった。
チョラパス越えて(12)-あれがチョラパスだ! ― 2011/01/09 13:27
12月18日4時15分起床。私ののろいのを見越したテジくんから、「明日は5時に出発します」と言われていたのだ。真っ暗な中で支度し、予定より少し遅めの5時45分に出発。ロッジの裏手の長い長い坂の登りにかかる。いい加減登りに飽きた頃、峠に着いてぬか喜び。ここはチョラパス・フェディといって、チョラパスとはいえ、目的地ではない。さらに氷河の跡の荒野を歩いていくと、突然テジくんが前方を指して、「あれがチョラパスですよ」と言う。指さす方に目をやると、とんがった山々が行く手をふさいで天に突き出している。「えー? ウッソー。本当にあれがチョラパス?」というのが私の第一声だった。

チョラパス(5420M)とは、北の山(5865M)と南の山(5666M、5729M、5939M)の間にあるV字の切れ込みで、峠(パス)とは名ばかりの崖だった。第一、どうやって登ればいいのか。道の跡さえ、どこにも見えない。

”これじゃトゥクラパスの方が全然マシじゃん”と後悔の念がムクムクわき上がってくるが、まさか、ここから引き返すわけにもいかない。8時すぎに崖の下に着き、あおぎ見ていてもしょうがないので、踏み跡を探して登り始める。しかし、登るにつれて、石がどんどん大きく、岩場といっていいほどになり、踏み跡さえ、わからなくなる。これでは、まるでロッククライミングである。

始めは一番弱い私を先頭にしてくれていたが、あまりにのろいのに業を煮やしたアンナ・リーズ組に、途中で追い抜かれてしまう。ま、これまで何度も繰り返されてきたパターンなので、今さら、がっかりもしなかったけど。