Go Go Everest ! (9)―ホテル・エベレスト・ビュー2009/12/07 10:47

ホテル・エベレスト・ビューからの眺め

12月7日6時起床。今日は高度順応日なので、ロッジに荷物を置いたまま散歩に出掛ける。7時半にロッジを出発。ナムチェは山肌に沿って馬蹄形に作られた村で、丘の上まで登らないとエベレストが見えない。昨日の登りの疲れが残っているのか、高度のせいか、登りが急で、かなりきつく感じる。ようやく飛行場のあるシャンボチェの丘に着き、ゆるやかな草原を少し登るとロッジがある。ここがクーンブ・マウンテン・ロッジで、ここのテラスからもエベレストがきれいに見えるし、宿泊料もそれほど高くないのだが、エベレスト・ビューほど有名ではない。2番手の悲哀だろうか。9時に、“世界で一番高い所にある”ホテル・エベレスト・ビュー着。石造りの立派なホテルである(ただし、外から来た人用のトイレはお粗末だった)。オーナーはネパールの国籍を取得した日本人で、王制廃止後の制憲議会選挙に立候補し、落選した。立候補したというニュースはテレビで見たが、落選していたことは知らなかった。「そういう人が当選しないから、ネパールの政治はダメなんです」とテジくん。ホテルのテラスは日本人の観光客でいっぱい。ミントティーをポットで頼み、テジくんと分けて飲みながら、景色を楽しむ。テラスからだと木の枝が景色の邪魔になるのだが、きっとホテルの部屋からなら、バッチリ見えるのだろう。

Go Go Everest ! (10)―クムジュンのイェティ2009/12/07 14:21

これがイェティの頭だ!

10時45分、ホテルを出発。よほど居心地がよかったのか1時間半も経っていた。ホテルの裏の坂をゆるゆるクムジュンへ下っていく。クムジュンはエベレスト登頂を目指す植村直己が越冬訓練をした村であるが、私にとっては去年、ポカラの国際山岳博物館でイェティの模型と対面して以来、楽しみにしてきた“本物”に出会える村である。山を背後に控えた村の端っこにそのゴンパがあった。テジくんが寺男を呼んできて、お堂の中の鍵のかかった櫃を開けてもらう。と、そこにガラスケースに入ったイェティの頭蓋骨(!)があるではないか。よく見ると、ヤクか何かの剛毛で作られた鬘のようでもある。が、そこはそれ。お寺へのお礼なのか、お賽銭なのか、ケースの横に紙幣が何枚か置いてあったので(もちろん高額紙幣が選んである)、私も1枚、少額紙幣を置いてきた。クムジュンにはヒラリーが作った学校があり、そこで昨日一緒だったカトマンズの学生一行と再会する。彼らはタンボチェまで行って、カトマンズに戻るのだという。

Go Go Everest ! (11)―ナムチェに戻る2009/12/07 18:00

ナムチェ遠景

ヒラリー学校の横からシャンボチェの丘に登り返し、飛行場を横切って、再びナムチェへ下る。急な下りで、左足首の捻挫の痕をまた捻りそうになる。ナムチェへ下る途中から左折し、軍のバラックの横を登ると、同じ敷地内に国立公園博物館がある。ここの庭がエベレストの絶景ポイントであるのが売りなだけの、「展示なら5分で見られます」とテジくんの言う、見応えのない博物館である。それでも、レッサーパンダの剥製がヘンテコな形で壁にとりついていたり、細かく見ると意外に突っ込みどころのある博物館だった。12時35分、ブッダ・ロッジ着。ダルバートで昼食。1時頃にパクディンから来たという日本人がガイドを連れて到着。なかなかの健脚らしい。食堂で、これからの行程について、テジくんと私が日本語で話し合っている(主として登りに疲れた私がいろいろ難癖つけていた)のを、怪訝な顔で聞いているので、「私、登りが嫌いなんです」と言うと、「だったら、なぜここに来たんです?」と彼。確かに。2800Mのルクラから5550Mのカラ・パタールまで、登らずしてどうやって行けるのというのか。この言葉が明日から呪いの言葉に変わろうなどとは夢にも思わず、捻りかけた左足に湿布を貼り、8時には寝てしまった私であった。