アンナプルナ1周― Day14 ゴレパニ2012/01/18 19:13

12月21日5時45分起床。昨日、温泉にゆっくり浸かったのがよかったのか、ぐっすり眠れた。いよいよ1190mのタトパニから2860mのゴレパニまで、高度差1670mの“アンナプルナ・サーキット最大の登り”の日である。ロンリー・プラネットによれば、登り1750m、下り140m、歩行6~7時間だ。
吊り橋を渡ると登りの始まり
7時にチベッタン・ブレッドとミルク・ティーで朝食。朝は冷えるので、ロッジの猫(もちろん雌の方)が膝に乗ってきてくれ、互いにぬくぬくする。7時30分に出発。30分ほど西岸を南下し、吊り橋を渡ると本格的な登りの始まり。
バナナ発見
しばらくバナナ(↑)やみかんを栽培している農園の間を抜けていく。道はかなり急坂だが、生活道路なので、こんな石畳(↓)で、ところどころにルートを示す赤い印がついている。
どんどん登る
途中、アムリットくんがテジくんにお金をもらって戻っていったので、何かと思ったら、みかんを買いに行ったとのこと。吊り橋から50分ほど登ると谷が開けてくる。見晴らしのいいサントシュ・トップヒル・ロッジ(1555m)の前で小休止。
やっと400m
ガル・コーラの渓谷の上に出ると、傾斜が比較的ゆるやかになる。ここから日を浴びながら、村から村へと登っていくのだ。学校へ行く時間らしく、登校する子供達が元気に追い越していく。
村から村へ、ゆるやかな登り
1時間ほど歩いて小休止。アムリットくんが買ってきたみかんを食べる。二人が皮を道ばたに捨てるので、“?”という顔をしたら、“ここを通るロバが食べるんです”とのこと。なるほど。すると、カトマンズのオフィスから電話が入り、テジくんに25日からのトレッキングの仕事が入ったが、行かせていいかと承諾を求められる。予定では、24日に私と一緒にバスでカトマンズに戻ることになっていた。そうなると、24日はテジくんはポカラ泊まり、私は独りでバスで帰る、ということになる。ま、仕事なら仕方がないかとOKする(が、後になって、ちょっとした問題が起こることに気づく)。
アムリットくんが買ってきたみかん
11時すぎにシカ(1935m)のチェック・ポスト(↓)に着き、シー・ユー・ロッジで昼食。ここで半分と言いたいところだが、まだ900mあまり登りが残っている。
シカのチェック・ポスト
スプライトを飲んで、注文した昼食(エッグ・ベジ・フライドライス)が出来るのを待っていると、ダラパニのロッジで一緒だったカフカを読んでいたフランス人青年と体の大きな西洋人の男性、および二人のガイドがやってきた。アンナプルナ・サーキットは行程が長いので、出発が同じだと、だいたい同じ日程になる。歩き方の速い遅いは、この際、あまり関係ないのだ。
シーユー・ロッジのエッグ・ベジ・フライドライス
テジくんが聞いた話では、ガイド2人はポカラに用があって今日中にゴレパニに行きたがっているが、ゲスト2人はここに泊まりたがっているという。実は私も、ゴレパニまでの登りが長いので、疲れたら途中で泊まろうとテジくんと話していた。が、まだ時間が早いし、それほど疲れていないので、先を急ぐことにする。ダルバートが出来るのを待っているフランス人青年に“後で会おうね”と声をかけて出発。
山腹のチョウタラで小休止
チトレ(2390m)を過ぎ、ゴレパニに近づくにつれ、再び険しい坂に。高度がないので息は苦しくないが、2週間歩いた後なので足が重い。3時頃、やっとゴレパニの門を通過。しかし、目指すロッジは、さらに15分ほど急坂を登った尾根の上だった。
ゴレパニのナイス・ビュー・ロッジ着
15時15分、ゴレパニのナイス・ビューポイント・ロッジ着。食堂のストーブの真上にある、暖かい部屋をもらう。
夕暮れのダウラギリ
ロッジは、プーン・ヒル・トレックに来た韓国人8人のグループ、西洋人のカップルなどで賑やかだが、皆が使った後で、シャワーの湯がぬるくて閉口する。手ぬぐいを洗って食堂のストーブの上に干し、火にあたりながら、本を読む。17時30分、日が傾き、ロッジの前にダウラギリとアンナプルナの素晴らしい夕焼けが広がる。18時30分、ローストチキンとフライドポテト、温野菜で夕食。韓国人グループは持参の辛ラーメンを食べたり、彼らのガイドが持ち込んだマリファナを吸ったりして騒いでいる。やれやれ。とはいえ、無事に“最大の登り”を達成した私も、そろそろいいかなと、ロキシー(焼酎の一種)を1杯。

アンナプルナ1周― Day13 タトパニ2012/01/17 09:22

12月20日6時起床。7時にコーンブレッドと紅茶で朝食。同宿のニュージーランドのカップルはトレッカーではなくバイカーで、これからムクティナート方面へ行き、2、3日後に戻ると言って、自転車に乗って出ていった。7時30分すぎ、私達は彼らとは逆方向へ出発。すぐ、軍のキャンプからランニングしてきた迷彩服の兵士たちが追い抜いていく。が、しばらく下っていくと、今度は彼らが徒歩で戻ってきた。こんな程度で訓練になるのか。せめて上りも走ったらどうなんだろう(余計なお世話か)。
軍隊の朝のトレーニング(下りだけ)
道は崖の途中に造られた立派な車道だが、左側は深い渓谷で、一歩間違ったら真っ逆さま。こんなところで車とすれ違いたくないものだ。
こんな車道が出来ている
しばらく行くと、渓谷の上にかかる吊り橋が見えてくる。この吊り橋が一番高いそうで、ここからならバンジージャンプが出来そうだ(ただし、下が狭まっているので、落ち方によっては崖に激突する可能性大)。
バンジージャンプができそうな吊り橋
今日からバンダが終わり、下から上ってきたバスに遭遇。広そうな場所で通りすぎるのを待つ。乗客が乗っていないところを見ると、上に溜まった乗客を降ろすために空車を走らせているらしい。
空っぽのバスが走ってくる
しばらく行くと、大きな滝が見えてくる。よく見ると、滝は道を横切っていて、人は木橋を通れるが、車が通る方は滝壺化している。今は乾期だが、雨期で水量が増えたらどうなるんだろう。
大きな滝が道路を横断
さらに下ると、東側にバラチュリ(アンナプルナ・ファン 7647m)とアンナプルナ・サウス(7219m)が見えてくる。アンナプルナⅠ(8091m)はバラチュリの陰になって、こちら側からは、ほとんど見えない。
バラチュリ(左)とアンナプルナ・サウス
10時40分、タトパニ(1190m)が見えてくる。
タトパニが見える
タトパニの集落に入ってすぐ、ボブ・マーリー・レストランの前を通る。ヒマラヤでは特にボブ・マーリーが人気であるというより、彼がある種のカルチャーを代表するシンボルなのだろう。
タトパニのレストラン・ボブ・マーリー
10時45分、ダウラギリ・ロッジ着。喉が渇いたので、ロッジの庭に生っているみかんを絞ったフレッシュ・ジュースを飲む。さっそく部屋に荷物を置き、温泉に行く準備。午後になるとトレッカーが増えるので、早く着いて早く入ろうというテジくんの意見で、昨日は長めにガーサまで歩いたのである。支度をして部屋の外に出ると、“アッ”と驚く声がする。なんと隣室から出てきたのは、9日前にタンチョクのホテル・チョー・ユーで出会った日本語のできる韓国人の女の子で、横にいる眼鏡の男性を“私の彼氏です”と言う。あの怪しげな西洋人と年上の女性とは、どこで別れたのだろう。うーむ、いつの間に…。おそるべし韓国娘。
ダウラギリ・ロッジの中庭
11時すぎに温泉へ。ロッジの裏庭に温泉へ行く近道があり、そこから崖を降りるとすぐ温泉である(他のロッジでは遠回りになる)。入湯料50ルピー。ABCの帰りに立ち寄ったジヌー温泉は小さな浴槽が3つでワイルドだったが、タトパニ温泉は広い浴槽が1つで、売店やマッサージ処まである。貸し切り状態でゆっくり入り(テジくんとアムリットくんは体を洗うのが主、私は温泉で温まるのが主)、上がる頃に西洋人の女性が数人やってきた。温泉には電気が点き、暗くなってから入る人もいるようだ。
ダウラギリ・ロッジの焼きカレー
12時30分、昼食にチキン・カレーライスを頼んだら、熱い鉄板に盛って出てきた。なんとなく文明に近づいた感じ。中庭にロッジの飼い猫が遊びに出てきた。雄雌の双子(ある意味)で、雄は臆病ですぐ逃げてしまったが、雌は度胸がよく、抱っこさせてくれた。
ロッジの猫たち
食事の後、下着と靴下とタオルを洗濯をして中庭のロープに干し、昼寝。18時にエッグ・サンドイッチとマッシュルーム・スープで夕食。20時に寝る。明日はアンナプルナ・サーキット最大の登りだ。

アンナプルナ1周― Day12 ガーサ2012/01/16 10:58

12月19日6時起床。ロッジから河口慧海記念館の入口が見える。百年前、このロッジはまだ畑で、慧海はあの2階からニルギリを眺めたのだ。7時にチベッタン・ブレッド、蜂蜜、ミルクティーで朝食。
ロッジから河口慧海記念館を見る
本当は、今日はタトパニまでバスで下るはずだったのだが、昨日テレビのニュースで今日もバンダが続くとわかり、歩いて下ることになった。私が立てた計画では、このあとタトパニ→ゴレパニ→ナヤプルのコースすべてを歩くことになっていた。サーキット全部を足で回るというのが今回の目的だからだ。だが、テジくんから、ムクティナートから先、特にジョムソンからは車の往来が多く、埃っぽくて、歩いていても楽しくないので、バスでタトパニへ下り、浮いた日数でガンドルック、ダンプスへ回ったらどうかと提案されて、悩んでいた。それが、バンダという予期せぬ出来事で、はからずも選択の余地がなくなってしまった。それでも、ロンリー・プラネットを参考に立てたマルファ→ラルジュン泊→ガーサ泊→タトパニという3日の日程を2日に詰めれば、ガンドルックに寄ることは可能なので、今日はラルジュンの先のレテ(2480m)か、できたらガーサ(2010m)まで下り、1日分、日程を稼ごうということになった。
マルファの出口のカニ
7時30分に出発。マルファ村のカニを出て南へ向かう。バンダなので車は通らないし、風もなく、埃が立たなくて歩きやすいが、トレッカーの姿も見かけない。8時頃、エンジン音が聞こえてきたので、空を見上げると、ポカラから来たらしい飛行機がジョムソン方向へ飛んでいった。これでジョムソンで溜まっていたトレッカーも、少しははけるだろう。
ジョムソン行きの飛行機
昨日同様、カリ・ガンダキの流れに沿って車道を行く。9時にトゥクチェ(2580m)に着く。チベットとの交易で栄えたタカリ族の村で、白い石造りの建物は、かつて穀物や塩の倉庫として使われていたのだそう。
トゥクチェ(2580m)は塩の交易で栄えた町
トゥクチェを出て、再びカリ・ガンダキの広い河原に降り、さらに南下する。1時間ほどで山の陰になっていたダウラギリが再び顔を出す。
再びダウラギリが見えてくる
11時、吊り橋を渡って東岸のコケタンティ(2545m)へ。このまま西岸の車道を歩いてもいいのだが、東岸を行った方が少し近道になる。そろそろお腹がすいてきた。
吊り橋を渡ってコケタンティへ
1時間ほど歩き、また吊り橋を渡って西岸へ。そこがカロパニ(2530m)で、少し下ったところに集落がある。12時、カロパニのシー・ユー・ロッジで休憩。ミックス・フライドライスと紅茶で昼食をとる。このときに飲んだシーバクソン・ジュース(↓)が今回飲んだなかで一番美味しかった(確かに酸っぱかった)。
カロパニで飲んだシーバクソン・ジュース
1時すぎにシー・ユー・ロッジを出発、カリ・ガンダキの東岸を南下。ふと見ると、ダウラギリの南面が見え始め、ムクティナートあたりから見ていたのとは違う山に見える。
ダウラギリの東南面
14時30分、ガーサの集落が始まるあたりで、剥いだばかりの羊の皮を囓っている猫を発見。どんな味がするのだろう?
熱心に羊の皮を囓っている猫
14時50分、ガーサ(2010m)のチェック・ポストを通過。そのまま集落のカニを通り過ぎて、さらに15分ほど下り、ロンリー・プラネット推薦のイーグル・ネスト・ゲスト・ハウスに投宿。
ガーサのカニ(門)
中庭にトマトに似た果物が生っていたのでテジくんに聞くと、”トマトの代わりに漬け物にするもの”だそう。
イーグル・ゲスト・ハウスの中庭
18時、ツナ・サンドイッチとフライドポテト、ミントティーで夕食。イギリスのプレミア・リーグの試合をテレビで見る。ニュースで金成日の映像が何度も流れるので不思議に思ったら、“北朝鮮の一番偉い人が死んだみたいです”とテジくんが教えてくれた。

アンナプルナ1周― Day11 マルファ2012/01/12 18:04

12月18日6時起床。7時30分に、テジくんが揚げたチベッタン・ブレッド(昨夜タネを捏ねたのもテジくん)と紅茶で朝食。宿には白猫がいて、宿のおばさんの姿が見えないと鳴き、おばさんがご飯にミルクをかけた猫まんまを用意すると、私達が怖くて近づけないといって、また鳴いている。困った奴である。
カクベニのロッジの猫
8時少し前に出発。今日はカリ・ガンダキの流れに沿って、いよいよマルファまで下るのだ。
カリ・ガンダキに沿って下る
30分ほどでエクリバッティに着く。本当はチャンチャ・ルンバという村らしいが、以前、一軒宿だったので、エクリ(1軒)バッティ(宿)という名になったという。今では宿は数軒に増え、ホテル・ヒルトン(↓)やホリデイ・インまである。
エクリバッティのホテル・ヒル・トン
エクリバッティの先で河原に降り、さらに南下。途中、放牧地に行く山羊の群れを追い越す。
放牧に行く山羊の群れを追い越す
広い河原を横断し、さらに下る。ジョムソンに近づくにつれ、正面のダウラギリとトゥクチェ・ピーク(6920m)が、次第に山に隠れていく。
カリ・ガンダキの河原を歩く
10時、ジョムソン着。チェックポストの建物の外に、ジョムソンの“今日の天気”が出ていた。最低気温は-4.5℃、最高気温は11.2℃。写真を撮っていると、テジくんに“それは一昨日の天気ですよ”と言われる。確かに。
ジョムソンのチェックポストの“今日の天気”
ジョムソンからベニまでマイクロバスの便がある。車の往来が多い道のうえに、風が強く、埃っぽくて、とても歩けないというので、明日マルファからタトパニまでバスで移動することにしていた。だが、バス乗り場の前を通ると、なんとバンダ(ストライキ)で、移動できない人達が溜まっている。その中に、ハイ・キャンプで一緒だったフランス・イスラエルの4人組を発見。彼らはラーニパウワからまっすぐジョムソンに降りて1泊し、今日バスでベニへ降りるか、飛行機でポカラに出る予定だったらしい。
バンダ!
普通バンダで止まるのは車両だけで、飛行機は飛ぶのだが、ポカラの飛行場で警備員だか警官だかが自殺したとかで、今日は飛行機も止まり、ジョムソン空港が閉鎖になっていた。話を聞くと、11時にはベニ行きのバスが出るという。このままバンダが終われば、明日マルファからバスに乗れるだろう。
ジョムソンの猫はイカ耳
10時30分、バス乗り場の少し先にあるテジくん行きつけのホテル・ダウラギリで休憩。ご主人は日本に出稼ぎに行っていたことがあり(観光ビザで働いていたことがバレて強制送還されたそう)、日本語が少し話せる。奥さんはとても陽気な人で、私が1人なのを見て、“次は大勢で来てね”と冗談まじりに言って笑う。ゲストがおらず、料理人がいないから凝った料理は出せないが、ダルバートならと、家族の昼食を出してくれた。“これも食べる?”と言って、山羊の内臓を煮込んだカレーをサービス(味はカレー味のもつ煮込みみたいな感じ)。ここで食べたダルバートが、今回のトレッキングで食べた中で一番美味しかった。
ホテル・ダウラギリの山羊の内臓カレー
山羊の内臓は煮込みに(↑)、内臓以外は干し肉に(↓)。
山羊の干し肉
12時20分、“次は大勢で来ますね”と、おばさんに挨拶して出発。マルファへは車道を歩くのだが、何しろ風が強く、ときに目が開けていられないほど砂埃がひどい。これで車の往来があったら、どういうことになるのだろう。
マルファ入口
13時30分、マルファのホテル・マウント・ヴィラ着。なんと宿の向かいが河口慧海記念館で、宿のご主人が記念館のオーナーだった。
河口慧海記念館入り口
部屋に荷物を置き、シャワーで埃を洗い流すと、まずは村のゴンパを見学。村を見下ろす高台にあるニンマ派のサンテンリン・ゴンパは1996年に再建されたもので、新しくてきれい。
慧海が招かれた仏間
その後、宿に戻って、ご主人に記念館の鍵をあけてもらい、中を見せてもらう。慧海が着た服や生活用具が置かれた部屋の隣に仏間がある。慧海は明治33年3月から6月にかけて、この家に滞在し、チベット行きの機会を待った。当時、この家の主人で村長のアダム・ナリンが慧海に詠んでもらおうとした一切蔵経が仏間の三方の壁に納められていて、正面に慧海の写真が2葉飾ってある。慧海も座ったであろう仏間の中央に座ると、百年という時間が消えてしまった。
百年前に慧海が見た風景
私の部屋の外には、<チベット旅行記>に“畑の向こうにカリガンガーがあって、その向こうに低い松がはえている。その松山の上には、例のごとく雪山がそびえている。実に清浄の境地である”と書かれた、そのままの景色が広がっている。慧海の言う雪山とは、ニルギリのことだった。

アンナプルナ1周― Day10 カクベニ2012/01/11 21:18

12月17日、6時20分起床。トレッキングが(文字通り)峠を越したので、今日から日程もゆるめに。宿の建物の中に水道があるので、顔を洗ったり、コンタクトレンズを入れたりするのが俄然楽になる。7時30分、チベッタン・ブレッドとマーマレード、ミルクティーで朝食、8時に出発。今日からサーキットの後半、ロンリー・プラネットではパート2として別扱いになっている残りの半周を7日間かけて下って行く。
朝食のチベッタン・ブレッドとミルクティー
一般的に、ムクティナート(3798m)からジョムソン(2743m)へは、地球の歩き方に“歩けば6時間、ジープなら1時間半”と簡単に記されている渓谷の南側のルートを下るのだが、トレッキング中、暇に任せてロンリー・プラネットを熟読していた私は、砦の村ゾンを通ってカクベニへ下る北側のルートがあることに気づいた。このルートはアッパー・ムスタンに属するため、通るには特別なトレッキング許可証が必要だが、ロンリー・プラネットには、いずれ制限区域から外される可能性があるので、ACAPに確認するように、とある。昨日テジくんに確認してもらったところ、ACAPのオフィスは金曜で午後から閉まってしまったが、ロッジの人達が“許可なしで行ける”と言うので、北側のルートを試すことに。
チョンカル・ゴンパとヤクワカン
ラーニパウワから、いったんムクティナートへ戻り、途中から左折。30分ほどで200年前に建立された密教のお寺チョンカル・ゴンパに到る。そこから小さな村を通り抜け、ゾン・コーラに掛かる吊り橋を渡り、渓谷の北側に出て、しばらく行くと、丘の上に崩れた遺跡とゴンパのある村が見えてくる。ここがゾン(3580m)で、遺跡が村の名の由来となった砦(ゾン)である。
14世紀の砦の町ゾン
渓谷を下り、村に入っていくと、村人がびっくりしたように、こちらを見る。手を合わせて“ナマステ”と挨拶すると、手を合わせて挨拶を返してくれる。ロンリー・プラネットによれば、ロッジが1軒あるそうだが、トレッカーは、まだそれほど来ていないようで、観光ずれしていない、まるで桃源郷のような村である。
小僧さんがお経を詠んでくれる
アムリットくんを先頭に、村の中心をしめる小高い丘に、どんどん登っていくと、16世紀建立(建物は新しい)のサキャ派のゴンパに着く。テジくんがあちこち探して、お寺の中を見せてもらえることになる。堂内に入ると、修行中の小僧さんがお経を詠んでくれた(仏像は撮影禁止)。
ゾン(砦)の名の由来
ゾンはその昔、この辺りの都だったそうで、14世紀に造られ、今は崩れたラブギェル・ツェ砦のはんばでない大きさを見ると、チベットとの交易と聖地ムクティナート巡礼の要衝として、かつては、かなり栄えていたことがうかがえる。
あれがトロン・パスだ!
砦の上から、村の東南方向に昨日越えたばかりのトロン・パスの巨大なV字のくびれが見える。さすが、“世界最大の峠”という、うたい文句は、あながち誇張ではない。
ムスタンの荒涼とした風景
9時50分、ゾンの集落を出て、再び渓谷の北側を西へ下る。すぐ緑が消え、砂と岩だけに。道巾は広く、平坦で歩きやすいが、車にも人にも出会わない。昨日はダウラギリの上に少しだけ雲が出ていたが、今日は見渡す限り、雲ひとつない青空だ。いかにもチベット的な荒涼とした風景の中をどんどん下っていく(うっかり日焼け止めを塗り忘れ、あとで鏡を見てギョっとすることに)。アムリットくんはロ・マンタンにも行ったことがあるそうで、興味津々で、どんなところか尋ねたら、“埃っぽくて、山(ヒマラヤ)が見えない”と素っ気ない。が、この道を通ってみて、彼の感想がまったく腑に落ちた。
カリガンダキ川の河原に出る
11時50分、カリ・ガンダキ川が見えてくる。手前の岸に白く見える筋がロ・マンタン、対岸の筋がドルポへ行く道で、どっちへ行くにも、前もって許可を得なければならない。
ニルギリとカクベニ
12時すぎにカクベニ(2840m)に到着。ゾン・コーラがカリ・ガンダキに流れ込む地点にあり、ロンリー・プラネットが“今も中世の面影が残る”として1泊するよう勧める村である。村に入るとすぐACAPのチェックポストがあり、立派なマニ車がある。石畳の道を進んでいくと、なんと、セブンイレブンとヤクドナルドを発見。ヤクドナルドは(もちろん)ファストフード店ではなく、ちゃんとしたレストランだった(メニューにヤク・バーガーとヤク・チーズ・バーガーあり)。
カクベニのヤクドナルド
大きくて古いチョルテンのそばにあるパラダイス・トレッカー・ホームに投宿。料理人がいないそうで(ゲストも私だけ)、テジくんが作ってくれたベジ・フライドライスとミルクティーで昼食。カクベニは村の中に放牧(?)されているほど牛が多く、紅茶にいれたミルクも、村でしぼったものだ。
テジくん特製ベジ・フライドライス
部屋で休憩後、夕方から村のゴンパを見学に行く(拝観料100ルピー)。ゴンパの屋上からカリ・ガンダキの上流(アッパー・ムスタン方面)と下流(明日から下るルート)を眺める。カリ・ガンダギの広い河原を風が通り抜けるので、日が陰ると寒い。
カクベニののら子牛
18時、まだ料理人がいないが、テジくんが“何でも作ります”というので、エッグ・カレーライスを作ってもらって食べ、食堂のテレビでインドのロマコメ映画を2本見て寝る。