アンナプルナ1周― Day15 ガンドルック2012/01/20 10:57

12月22日5時起床。5時30分、水筒だけ持って、まだ暗い中をヘッドランプをつけてテジくんと二人でプーン・ヒル(3210m)へ向かう。
朝焼けのアンナプルナ・サウスとマチャプチャレ
6時20分、頂上に着くと、既にかなりの人がいる。プーン・ヒルはポカラから4、5日のトレッキングで簡単に来られるので人気があり、シーズン中は立錐の余地がないほど人で埋まるそう。6時30分頃、空が白み始める。明るくなると、東のマチャプチャレから西のダウラギリ、南の平野部へ360度の展望が開ける。プーン・ヒルのプーンとは、この地方に住む部族の名。展望台はテク・バハドゥル・プーン少佐を記念して建てられたもの(という立て看板がある)。ただ、これだけ高いと、展望台の上でも下でも、見える景色にまったく差はない。茶店もあり、テジくんが温かい紅茶を買ってきてくれる。記念写真を撮ってもらい、戻ろうとすると、昨日シカで別れたガイド二人とばったり。どうやら、ゲストをゴレパニまで歩かせることに成功したらしい。“やったね!”と(ゲスト2人はそっちのけで)4人で握手。
プーン・ヒルの見晴台
8時にロッジに戻って朝食。チベッタン・ブレッドに蜂蜜をつけて食べていると、近所のおじさんがやってきて、私が日本人だと知って、“Spirit of the world book”という小冊子(↓)を差し出す。話を聞くと、ゴレパニに電気が敷設できたのは日本人の“ジロー・カワキタ”の寄付のおかげで、震災のニュースを聞き、日本のことをとても案じている。ついては、この小冊子に地震を弱める方法が書いてあるので、ぜひ2冊持って帰ってくれ、とのこと。おじさんの言うジロー・カワキタとは文化人類学者で、登山家としても知られる川喜田二郎氏のことに違いない。とても熱心に言うので、断り切れずに受け取っておいた。後で読んでみたら、“神に祈れば地震のパワーを減らすことができる、そのための方法は…”というようなことがネパール語と英語で書いてあり、おじさんは、その宗教団体のゴレパニ支部の人らしかった。
地震のパワーを弱める本
8時30分、出発。登りは昨日で終わったとばかり思っていたのに、これからデオラリ(3080m)までは、プーン・ヒルと同じくらい登らねばならないとわかって、がっくり。森の中を行く道で、歩きやすいが、何しろ、朝プーン・ヒルを往復したばかりなので、がっかり度が高い。
本当に最後の登り
1時間ほど登って丘の上に出ると、向こう側の山のてっぺんにプーン・ヒルの展望台がくっきり見える。だったら、プーン・ヒルに登らずに直接ここに来れば同じことじゃないか、と思う(そうする人もいるそう)。
プーン・ヒル遠望
デオラリからガンドルックまでは1100mあまりの下りになる。細い渓流に沿った、急な山道で、日が当たらないところでは滝が凍っていて、歩いているとわからないが、意外に寒いようだ。途中で、逆から登ってくるフランス人の親子連れや、中高年の日本人グループ(テジくんによれば、アルパイン・ツアーの人達)とすれ違う。ここの登りはかなりきついだろう。
滝が凍っている
11時頃、バンタンティ(2606m)を過ぎたところで小休止し、みかんを食べる。川を渡ると、道は再び登りに。12時30分、タダパニ(2710m)のフィッシュテイル・ビュー・トップ・ロッジで昼食。デオラリの前後から、抜いたり抜かれたりしていた足の速いアメリカ人が、両手にコカコーラとファンタを持って記念写真を撮っている。話を聞くと、コカコーラに勤めているとか。25年前にアンナプルナ・サーキットを歩いたことがあるそうで、“当時は(ロッジを指して)こんな風なものはなかったな”と感慨深げ。
タダパニのロッジから見ると
タダパニからは、森の中を行くゆるやかな下り。途中でアムリットくんがサル(ラングールという種類)を見つけて教えてくれる(残念ながら、写真はピンぼけ)。
ピンぼけなサル
2時間ほど歩き、ガンドルックに入ってすぐ、ロンリー・プラネット・ロッジを発見(↓)。ほとんどのトレッカーがロンリー・プラネットのガイドブックを持っているし、ノースフェイスからボブ・マーリーまで、人気者は何でもロッジの名前になるのだから、流れとしては当然か。
人気者の証明?
さらに20分後、スノーランド・ロッジの上を通過。2008年に、初めてのヒマラヤ・トレックでABCへ行くとき、初めて泊まった思い出のロッジである。が、“あのロッジは階段が狭いし、トイレが外なので、今回はもっといいロッジに泊まります”とテジくん。
ガンドルックのスノーランド・ロッジ
3年間経験を積み、“違いのわかるガイド”になった今のテジくんお薦めの宿が、この3階建ての立派なアンナプルナ・ロッジである(↓)。
泊まったのはアンナプルナ・ロッジ
16時15分、ロッジに着き、熱いシャワーを浴びる。鼻水が出て来たので、葛根湯とビタミンCを飲んでおく。18時30分、ブフ・モモとガーリックスープで夕食。テレビでプロレスと「プレデター」を見て寝る。

アンナプルナ1周― Day16 ナヤプル2012/01/20 15:23

12月23日6時起床。今日はトレッキングの最終日、ポカラへ帰る日である。6時15分にロッジの屋上に行き、アンナプルナ・サウスとヒウンチュリをスケッチしていると、東の空が赤く染まってきた。昨日あたりから雲が出ていたが、その雲に朝日が当たり、えもいわれぬ色に輝いている。特に、マチャプチャレの上には茜色の雲の光輪が出来て、神々しいばかり。
朝焼けのマチャプチャレ
正面のアンナプルナ・サウスの上には、オーラのような光が差している。これは何かの啓示なのだろうか?
アンナプルナ・サウスの不思議なオーラ
7時30分にグルン・ブレッド(チベッタン・ブレッドと同じもの。ガンドルックはグルン族の村だから)と蜂蜜、ミルクティーで朝食。8時に出発。いよいよ最後の下りである。
最後の下り
3年前に苦労して登った急坂を、どんどん下っていく。あのとき親切にしてくれたおじさんの家を探したが、登りと下りでは見える景色が違うせいか、それとも3年で様子が変わってしまったせいか、どこがどこやら全然わからなかった。
キムチェを上から見る
9時50分、キムチェの下の車道に着く。今はポカラからここまで車で来られるのだ。朝、トレッカーを乗せてきたタクシーが客待ちをしている。以前は、このまままっすぐモディ・コーラの川岸まで下り、サウリ・バザールを経てビレタンティへ出たのだが、今は車道を歩いて、直接ビレタンティへ行くようになっている。
キムチェの下まで道路が出来た
道路沿いには既に売店が何軒も出来ている。アンナプルナ・サーキットのこちら側も随分変化しているのだ。しばらく行くと道の真ん中に竹竿の塔が出来ていた。テジくんに聞くと、ダサイン(ヒンドゥー教の秋祭り)のときに、ここにブランコを掛けて乗るものだそう。誰でも乗れ、外国人でもOKだという。
ダサイン祭りのブランコ
11時すぎ、ビレタンティが見えてくる。3年前、(バンダで出発が早まったため)まだ暗い中を、ナヤプルからここまで歩き、橋のたもとのロッジで朝食のお弁当を食べたのだった。あのときのロッジは健在だが、あのとき渡った橋の隣に、新たに自動車用の大きな橋が架かっていた。3年の変化は意外に大きい。
ビレタンティの新しい橋を渡る
橋を渡って、ホテル・エベレストで休憩。スプライトを頼むと、冷蔵庫から瓶入りを出してくれた。すっかり都会である。トマト・チーズ・オニオン・サンドイッチを頼んだら、なんとホットサンドだ(↓)。量が少ないので、ベジ・ヌードル・スープを追加する。
ホテル・エベレストのホットサンド
昼食を終え、12時に出発。すぐTIMSの、続いてNTNC-ACAPのチェック・ポストがある。スケッチブックを出し、2カ所で記念にスタンプを押してもらう。NTNC-ACAPの係のおじさんは、親切にもスタンプに日付とサインまで書き入れてくれた(↓)。
スケッチブックに記念の判子をもらう
15分ほどで、ナヤプル(新橋)の名の由来となった橋に到る。かつて新しかった橋が今では最も古くなっていること、パリのポンヌフと同じである。
ナヤプルの由来となった橋
橋から10分たらずでナヤプルの町に出る。ナヤプルはアンナプルナ・トレッキングの出発・到着点で、銀行や土産物屋の立派な建物が並んでいる。そこから坂を少し登ったところが駐車スペースで、ポカラへ帰るタクシーが客待ちをしている。迎えの車が来るのを待つ間、売店の娘さんに記念写真を撮ってもらう。3年前にフェディでタクシーの運転手に撮ってもらった写真はピンぼけだったが、今回はバッチリ(↓)。
トレッキング終了の記念写真