アンナプルナ1周― Day5 フムデ ― 2012/01/07 12:23
12月12日6時起床、7時に朝食(コーンブレッド、ジャム、ホットレモン)、8時に出発。

普通なら今日はチャーメ(2670m)からピサン(3200m)まで4、5時間歩けばいいのだが、昨夜の相談で、ミラレパ洞窟に行きたい私の希望を叶えるため、少し先のフムデ(3280m)まで行程を稼ぐことになる。

8時に出発。チャーメの門を出て、ブラタンまで、引き続き森の中の道を行く。南(進行方向の左側)はアンナプルナⅡからアンナプルナⅣに連なる山の壁である。

1時間40分ほどでブラタンに到る。チベット色がますます強くなり、村の入口にはマニ石があり、村落の入口にはマニ車がある。チャーメにも宿の前に立派なマニ車があった。今回のトレッキングは、ムクティナート巡礼の意味もあるので、マニ車を見たら必ず回すことにした。

ブラタンの先で、道は崖を穿ったところを通る。切り立った崖の下は、まっすぐマルシャンディ川だ。道幅が狭く、人1人通るのがやっとで、とっても怖い。ロンリー・プラネットのガイドブックによると、この辺の対岸に、トロン・パスで雪崩に遭って亡くなった日本人の碑があるそうだ。

崖を過ぎると(途中でロバの隊商に出会わなくてよかった)、目の前に岩壁の巨大なカーブが広がる。ここがパウンダ・ダンダで、地元ではスワルガワリ(天国の門)と呼ばれていて、人が死ぬと、体から出た魂が、この高さ1500mの岩肌に沿って天国に昇るのだそうだ。

11時にドゥクール・ポカリのカマラ・ホテルで昼食。ベジ・エッグ・フライドライスを食べ、ホットレモンを飲む。トレッキングシューズのせいか靴下のせいか(両方とも履き慣れたものなのに)、足が痛くなってきたので、靴を脱ぎマッサージ。スケッチしているうちに、痛みが治まってきて、ホッとする。

12時30分に出発。30分ほどで右手の山の中腹に土色の集落が見えてくる。あれがアッパー・ピサン(3300m)で、ロンリー・プラネットでは、あそこから谷の北側を行くルートを推奨している(欧米人のトレッカーは必ずロンリー・プラネットのガイドブックを携帯、参照している)が、私達はロウアー・ピサンから、そのまま南側の道をフムデに向かう。

ときおりオートバイが通るほどで、道幅は広いし、急な登りも下りもなく、歩きにくくはないのだが、足がまた痛くなる。どうやら左右とも靴擦れができたらしい。俄然ペースが落ち、行く手にフムデの滑走路が見え、好きな下りに入ってもペースはあがらず。テジくんが2時間と言っていたドゥクール・ポカリ→フムデ間が3時間もかかってしまう。

15時30分、フムデのマヤ・ロッジ着。この辺りは谷の南側で日当たりが悪く、とても寒い。部屋に荷物を置き、お湯をもらって顔と手足を洗い、とりあえず、やれることは何でもやっておこうと、足のマメの周囲にお灸をすえ、バンドエイドの大きいのを張って、上からテーピングをしておく。

食堂に行くと、テジくんとアムリットくんが台所で竈の火にあたらせてもらっていたので、私も加わる。テジくんがロッジの奥さんにミラレパ洞窟の話を聞く。奥さんによれば、洞窟の天井には重力に逆らって弓が浮いているが、双眼鏡で見ないとわからないそう(知っていたら双眼鏡を持ってきたのに!)

18時にモモ(チベットの餃子)とガーリック・スープで夕食。やんちゃなロッジの娘(4、5歳)が<地球の歩き方>に興味を持ったので、見せて遊ぶ。トレッキングのガイドブックとして<地球の歩き方>は(表紙にトレッキングをうたっているにもかかわらず)ほとんど役に立たないが、写真が多いので、こういう場合は便利だ。
アンナプルナ1周― Day6 ブラカ(ミラレパ洞窟) ― 2012/01/07 14:59
12月13日6時起床。お灸が効いたのか、マメの水は引いていたが、左足首の捻挫がまた痛む。大丈夫かなあ。

谷の日陰側のフムデは、さすがに寒く、そこら中に霜が降りている。顔を洗ってから台所に行き、竈にあたらせてもらいつつ、奥さんがチベッタン・ブレッドを揚げるのを見学。揚げたてのブレッド(給食の揚げパンそっくり)にジャムをつけて食べる。

8時に出発。すぐ隣がフムデの飛行場(ロッジの裏が滑走路)だ。行く手の山がアンナプルナⅢに変わる。


1時間ほどでアンナプルナⅢの下の、山の中腹に白いチョルテン(塔)が見えてくる。あそこがミラレパ洞窟らしい。あんなところまで登るのかと一瞬気持ちが萎える(実は白いチョルテンはまだ中間地点で、洞窟はずっと上の、山の頂上にあった)。

9時30分、ブラカのホテル・アイスレーク着。部屋に荷物を置き、ロンリー・プラネットのガイドブックを読み直すと、ミラレパ洞窟は4320mでブラカと高度差800mもあり、往復4、5時間はかかると書いてある。地図で見ると近いので、勝手に3時間くらいで往復できると思い込んでいたのだ(間抜けめ)、がっくり。今の足の状態では登りに3時間はたっぷりかかるだろう。逡巡していると、テジくんに“本当に行きますか?”と念を押され、やけになって“行く”と答える。10時30分にダルバートで腹ごしらえ。ロッジのおじさんが出してくれた菜っ葉の漬け物が、ほどよく発酵し、好物のすぐきのような味になっていて美味しかった。

11時、念のためにヘッドランプを持ってミラレパ洞窟へ出発。橋を南側に渡り、放牧場を抜けると山のとりつきに着き、そこから急な登りが始まる。足下は乾いた砂で滑りやすく、切り立った崖の上を通ったりするので、とっても怖く、早くも後悔が頭をよぎる。

約1時間で、山の中腹に見えた白いチョルテンに着き、ぬか喜び。ここでまだ半分だった。

さらに登り続け、50分で小さなゴンパに着く。ここに安置されているミラレパ像は、ロンリー・プラネットによれば2004年にヘリコプターで空から運ばれたもので、向かって左に、猟師のケラ・ゴンポ・ドルジェと犬、右に鹿の像がある。伝説によれば、ミラレパ(1052-1135)は、鹿を追って洞窟に迷い込んできた猟師を諭して殺生をやめさせ、弟子にしたという。

実はゴンパがあるのは4000mあたりで、洞窟まではまだ45分の登りが残っている。ところが、7月の祭りの頃には巡礼者で賑わうとはいえ、今は誰もおらず、道がわからない。ここまでですっかり登る気をなくした私は、後はゴンパの裏にあるというミラレパの仏足石さえ見ればいいや、という投げやりな気分に。

しばらくして、道を探しに行ったテジくんとアムリットくんが戻ってきて、仏足石を見つけたという。

案内されて、崖に穿たれた小道(↑)をぐるっと回り、道の大半を塞いでいる巨大なつららを抱くようにして越えると、カターが巻かれた石造りの白い祠があり、中に足跡らしいものが刻まれた石が祀ってあった。ふーん、これがミラレパの足形か。ずいぶん親指の長い人だったんだなー。


さらに奥の方へ登っていくと、崖の天井に、なにやら曲がった木の棒が刺さっているのが見える。テジくんは、“これが重力に逆らって中空に止まった猟師の弓ですよ”と言う。“ウッソー、岩に刺さってるとしか見えないじゃん”と私。私達では、らちがあかないので、写真を撮って、ホテル・アイスレークのおじさんに見せて確かめることになる。

帰りは、もう登らなくていいので俄然元気になり、途中、白いチョルテンで休憩、テジくんにダル(豆)のスナック(カレー味)を貰って食べたりして、15時35分、無事帰着。洞窟まで行かなかったおかげで、まだ日のあるうちに帰れてよかった。
さっそく、おじさんに写真を見せると、なんと、あの木の棒が、霊験あらたかな“中空に止まった弓”であるとわかる。ウッソー。
さっそく、おじさんに写真を見せると、なんと、あの木の棒が、霊験あらたかな“中空に止まった弓”であるとわかる。ウッソー。

18時にポテト・スープとベジ・フライド・ヌードル(チョウメン)で夕食。19時40分、洞窟にはたどり着けなかったものの、行ってよかった、楽しかったと満足して寝る。
アンナプルナ1周― Day7 レダー ― 2012/01/07 19:27

12月14日、6時前に目覚めると、少し頭痛がする。ブラカは3360mしかないが、昨日4000mを越えるところまで往復したせいだろうか。お湯をもらって葛根湯を溶かして飲んでおく。7時15分に朝食。いつもジャムをつけていたチベッタン・ブレッドをチーズがけにしてもらう。ところが、ふわふわなはずのパンがとっても硬い。食べられないことはないのだが、歯ごたえがありすぎて、なかなか咀嚼できない。テジくんたちも食べるのに苦労したようで、“昨日の夜、タネにふくらし粉を入れ忘れたそうです”とのこと。後々まで“あれは硬かったね”と話題に出るほど食べ甲斐のあるパンだった。

8時に出発。いよいよトロン・パスへ向かう。今日は4200mのレダー、明日は4925mのハイ・キャンプまで登る予定である。

ブラカから30分ほどでマナンに着く。マナン(3540m)は、この辺りのトレッキングの基地で、エベレスト方面ではペリチェにあるヒマラヤン・レスキュー・アソシエーションのオフィスがあり、無料で高山病のレクチャーを行っている。どのガイドブックも高度順応のため、ここで2泊するよう勧めていて、暇つぶしをするトレッカーのために、村にはお薦めのサイドトリップを書いた看板があり(お薦めNo1がミラレパ洞窟だった)、映画館(といってもDVD上映)では、「空へ」、「イントゥ・ザ・ワイルド」(2本ともジョン・クラカワー原作だ)、「セブンイヤーズ・イン・チベット」といった、いかにもな作品を揃えている。とはいえ、トレッカーが一番心惹かれるのは映画より“with fire place”(ストーブ付き)という、さりげない一言かもしれない。

マナンは大きな集落で、村の門を抜けても石造りの家が続いている。そこで、こんなマニ車を見つけた(↓)。私は、ありがたみがないと思うが、地元の人はどうなんだろう。

マナンの村を抜け、ゆるやかな坂を10分ほど登ると白いチョルテンがあって、ここから本格的な山道になる。振り返ると、マナンの集落と、今まで歩いてきたマルシャンディ川の渓谷が見える。

この渓谷はこのまま、まっすぐ西へ、マルシャンディ川の本流を遡ってティリチョ・タル(湖)へ到る。ティリチョ・タルからはジョムソンへ抜けるルートがあり、モーリス・エルゾーグが“グレート・バリア”と名付けた素晴らしい山々の景色が楽しめるそうだが、ロッジがないし、危険な箇所がいくつかあるので、ロンリー・プラネットは“未経験のトレッカーや単独行は勧めない”としている。

私達は北西へ、支流のジャルサン・コーラを遡っていく。マナン・ムクティナート間はロバの隊商が通っているし、ちゃんとした道があるので、チョラ・パスよりやさしい、というのがテジくんの意見だが、実はテジくんもトロン・パス越えは初めて(だから、経験者のアムリットくんにポーターを頼んだ)。“チョラ・パスよりやさしい”という部分だけ聞いて、軽く考えていた私だが、よくよく考えてみれば、5420mのチョ・ラと5416mのトロン・ラは4mしか違わない。やっぱりマナンで2泊すべきだったろうか。マナンが遠くなるにつれ、朝の頭痛のことを思って少し不安になる。

渓谷の東側の道は、急な坂もなく、比較的歩きやすい。しばらく行くとアムリットくんが野生の羊の群れ(ブルーシープ?)を見つけて教えてくれた(今回のトレックは野生の鳥や動物をよく見かけた)。

12時すぎにヤク・カルカ(4018m)に着き、トロン・ピーク・ホテルで休憩。昼食にダルバートを食べ、ロンリー・プラネットに出ていたアッパー・マナン特産のシーバクソン・ジュースを飲んでみる。シーバクソンSeabuckthornとはグミ科の植物の果実で、中国名を沙棘(サジ)といい、ビタミンが豊富で、唐の時代から漢方薬に用いられているという。飲んでいるとテジくんに“酸っぱくないですか”と聞かれたが、実を潰して水と砂糖を加えてあるので、ほの甘いだけ。

頭痛を用心してバッファリンを2錠飲んでから出発。1時間足らずで目的地のレダーに着き、スノーランド・ロッジに投宿する。途中で追いつかれたフランス人グループは、奥のロッジへ泊まるようだ。実は、昨日彼らのポーターがここに予約をしに来たのに、ガイドが勝手にロッジを変えたらしく、若主人がぶつぶつ文句を言っている。

18時にベジ・フライド・ライスとポテト・スープで夕食。渓谷が風の通り道なのだろう、暗くなると風の音がすごい。テジくんから、冷えるので帽子を被って寝るよう注意がある。夜はいつも水筒にお湯をもらって湯たんぽ代わりにしているのだが(翌朝、その中にポカリ・スウェットの粉末を入れて、行動中に飲む)、用心のため、テジくんの湯たんぽも借りて、W湯たんぽで寝ることになる。ロッジの食堂の外に、なぜか大きな石があり、暗くなって部屋に戻るとき、躓いて転んでしまった。そのときは何でもなかったが、後で見たら大きな痣になっていた。テジくんも躓いたそうで、何とかならないからあのままなのだろうが、何とかして欲しいものである。
アンナプルナ1周― Day8 ハイ・キャンプ ― 2012/01/08 11:44
12月15日。6時に腕時計のアラームが鳴る前に目が覚める。頭痛は消えたが、高度が上がったせいか寒いせいか、血圧が高い。

支度を済ませ、ロッジの台所で竈の火にあたらせてもらう。昨日は気づかなかったが、奥さんがすごい美人でびっくり。7時にチベッタン・ブレッドとジャムで朝食。8時に出発し、奥のロッジを通るときに、ここからチュル・ウェストに登るフランス人グループに“Bonne continuation !”(引き続き頑張ってね)と別れの挨拶。

昨日と同じ渓谷の道を1時間あまり歩いてデウラリの茶店に着き、小休止(ロンリー・プラネットに“茶店の夫婦は喧嘩っぱやい”と注意があるが、ごく普通の人だった)。私がもの欲しそうな顔をしていたようで、テジくんがリンゴをおごってくれる。

デウラリから先は、さらに道が細く、すべりやすくなり、土砂崩れの標識が出ているところもある。

10時、トロン・フェディ(4540m)着。ロンリー・プラネットは、ハイ・キャンプは寒いし、高山病の危険があるので、ここで1泊して、トロン・パス越えをするよう勧めているが、ここからだと登りが1000mもあり、今日少しでも高度を稼いでおいた方が楽、というのがテジくん、アムリットくんの意見だ。

今回、ポーターを引き受けてくれたアムリットくんはマガール族で、おじさんがエベレスト登山隊に参加したこともある山の一家だ。話を聞くと、トロン・パスだけでなく、あちこちよく歩いている。英語が少し話せるし、体は強いし、そのうちいいガイドになる、とテジくんは言う。顔が長めで、ちょっとヴァンサン・カッセルに似ている。最初は隠していたが、テジくんと違って煙草もお酒もやる“大人”だが、実は童顔のテジくんより1歳下である。

さて、トロン・フェディからいよいよ峠越えに入る。道はトゥクラ・パスに似たモレーンの険しい登りとなり、最初にカラ・パタールに行ったときに苦労したことを思い出す。しかも、高度が4000mを越え、トレーニング不足が確実に足に現れてきた。私の遅いのを見かねてテジくんがザックを持ってくれる。

登り続けること1時間で、やっとモレーンの上に出て、ハイ・キャンプのロッジが見えてくる。ところが高度が5000m近くなると、ロッジ前の坂を登るのにも息が切れ、我ながら情けなく思う。

11時25分、トロン・ハイ・キャンプ・ビュー・ホテル着。12時半にツナ・サインドイッチとトマト・スープで昼食。日当たりのいい食堂で休憩していると、自転車でトロン・パスを越えてきた西洋人が現れ、お湯を貰ってカップの辛ラーメンを食べ始めた。逆側から越えたということは、高度差1600mを自転車で登りきったということだ。考えてみたら、ムクティナート側の方が傾斜がゆるやかだから、自転車で登るのに適しているかもしれないが、それにしても凄い。ロンリー・プラネットに、車道の整備で、これからアンナプルナ・サーキットにはバイカ―が増える、というようなことが書いてあったが、まさに、時代の変化を目のあたりにした気がした。

18時にポテト・スープとスプリング・ロールで夕食。食堂には後から着いたフランス人とイスラエル人の4人グループがいて、リカール(アニス酒)の小瓶を出して皆で飲んでいる。小耳にはさんだところでは、彼らは明朝、明るくなってからトロン・パスを越えるのだそう。ふと見ると、1人がロンリー・プラネットの該当ページを千切って持っていて、参考にしている(当然、明るくなってから歩く方を推奨)。私達は、日が出ると風が強くなる、というアムリットくんの意見で、まだ暗いうちに出発することになっている。テジくんから“明日は3時30分起床です”と、きつく言われているので、早めに床に就く。
アンナプルナ1周― Day9 トロン・ラ ― 2012/01/09 08:05
12月16日、3時30分起床。テジくんが“眠れましたか”と聞くので、“あんまり”と答える。実は2度もトイレに起きてしまった(星空が最高だった)。テジくんも、目覚まし時計の調子が悪く、気になって眠れなかったそうだ。夜中に吹きまくっていた風は少し収まっている。4時にベジ・ヌードル・スープで朝食、4時45分に、まだ暗い中をヘッドランプをつけて歩き始める。自分の限界を知っているので、今日は最初からテジくんにザックを持ってもらう。

道は私の苦手なモレーン登りだが、隊商が通るくらいで、チョラ・パスほどワイルドではない。ただ、暗いので足下が見えにくく、すぐ息が切れ、気持ち的にも暗くなる。ロンリー・プラネットには“フェディから峠まで3~5時間だが、高度と多くの偽のピークに惑わされ、永遠に登り続けるような気になる”とある。6時半頃、夜が明けて明るくなり、ようやく辺りの様子がわかってくる。

7時すぎ、左手に石造りの小さな建物が見えてくる。道が少し広がったところまで来ると、テジくんが“峠に着きましたよ”と言う。“え、ここが?”。ハイ・キャンプから2時間半(ロンリー・プラネットの設定では2時間15分)、着いてみると呆気ない気もする。小さな建物は“驚くほど高い”と揶揄される(紅茶1杯100ルピー)峠の茶屋。私達の他には誰もおらず、ただ山があって、風の音がするだけ。

テジくんがプレイヤーフラッグの山をかきわけると、下から峠を示す碑が出て来る。やっぱり、ここがトロン・パス(5416m)だ。3人で記念写真を撮りまくる。

ハイ・キャンプで、茶店は2週間前から休業中と聞いたテジくんが用意してくれた温かいお茶を飲む。さすがに寒いので、十分写真を撮ったら、さっさと下る。

すぐ高度差1600mあまりの下りになる。ムスタン郡に入って山の景色が一変、下るにつれて、はるか南方にダウラギリ(8172m)が見えてくる。ロンリー・プラネットには“様々な理由から下りは登りよりハード”とあるが、私はやっぱり下りの方が好きだ。

前方に隊商の荷からこぼれたらしい穀物を食べている鳥(ウズラっぽい?)の群れを発見。近づくと飛んでいってしまった。

“そろそろ電波が入りますよ”とテジくんが言うので、小休止してザックから携帯を取り出す。トロン・パスに着いたら、ゆる木の紗那ちゃんに電話すると約束したのだが、峠には電波が来てないので、電波が入るところまで来たら掛けることにしたのだ。ところが、切ったはずのスイッチがONになったままだったらしく、バッテリーがあがって電源が入らない。テジくんが自分の携帯を貸してくれるというが、電話番号がわからないので諦める(ごめんね、紗那ちゃん)。水を飲もうとしたら水筒が凍っていた。チョラ・パスのときも凍ったが、今回の方が氷が厚くて、なかなか割れない(中身はシャーベット状で飲める)。

アムリットくんが、また野生の羊の群れ(ブルーシープ?)を見つけて、教えてくれる。トロン・パスを越え、景色が余裕で楽しめるようになる。我ながら現金である(いつものことだが)。

10時すぎ、チャバルブのロッジが見えてくる。あそこからムクティナートまで、まだ1時間の行程だ。3時間ちかく下り続けて、さすがに足が痛くなってきたので(靴擦れが出来た原因が未解決)、ホテル・トロン・ラで小休止。下ってきたばかりの山道を眺めながら、恒例のスプライトを飲む。
