スリーパスに挑戦―Day12 (Kyanjuma - Namche)2015/01/18 14:16

12月19日7時起床。キャンジュマのロッジに泊まるのは初めてだが、部屋も設備もいいし、部屋の窓から素晴らしい景色(朝焼けのローツェとアマ・ダブラム↓)が眺められる。ナムチェに2泊するんだったら、1泊はキャンジュマにするのもいいかも。
窓からローツェ
8時コーンフレーク+ミルクとブラックティーの朝食。懲りずにコーンフレークを頼んでみたら、今度はちゃんとシャクシャクした。8時45分出発。今日はナムチェへ行くだけなので難の問題もない。途中でタンボチェへ向かうトレッカー数人とすれ違い、ガイド同士で情報を交換している。そのうちの2人とはこの後ナムチェのロッジで同宿になるが、彼らは本当にタンボチェに行っただけで引き返してきたのだ。せっかく来たのに、どこにも行けないのがよほど悔しかったのだろう。
この先エベレストが見えなくなるという峠の曲がり角で、横浜の日本人とばったり会った。ナムチェでアイゼンを買い、これからゴラクシェプに向かうという。「あまり無理しないでね」と言って別れた。彼は装備も十分でなく(雪の日、スニーカーのような靴に、ロッジでもらったポリ袋を巻いていた)、山にさほど慣れていないようだが、体力もやる気もあるので、本当にゴラクシェプに行けるかもしれない。
峠の護美箱
ゆるい坂を下ってナムチェに近づくと、足下を鳥が横切っていった。よく見ると、ネパールの国鳥ダフェの母子だった。雄は瑠璃色の羽根が美しいが、牝は目の周りを除いて地味な茶色で、周囲に溶け込んでしまう(↓)。すぐ近くに父鳥らしい雄もいたが、写真は撮れなかった(どうせナムチェから下るときに、また見られるからいいやと思って)。
ネパールの国鳥ダフェ(メス)
ナムチェに入ると日陰の雪が凍結、坂道が恐ろしいほどよく滑り、ラジューくんに腕を支えてもらいながら下った。10時30分ホテル・カマル着。ホットオレンジを飲む。
雪のナムチェ
12時30分カレーライスとブラックティーで昼食。濡れた衣類をテラスに干し、他にすることがないので、部屋のベッドに寝そべって、誰かが置いていった池井戸潤の<果つる底なき>を読む。

スリーパスに挑戦―Day11(Machhermo - Kyangjuma)2015/01/17 14:25

12月16日6時起床。夜半から雪が降り始めたが、朝には小降りになり、東の空が明るくなってきた。7時にチベッタン・ブレッド&蜂蜜、ミルクティーの朝食。
マッチェルモの朝
オーストラリアの3人組は、ゴラクシェプからチョラパスを越えてゴーキョに着いたところで雪に遭い、下りてきたそうで、私たちとは逆のルートだった。ロッジの壁にキツネみたいな毛皮が飾ってあったので、「あ、キツネだ!」と言ったら、ラジューくんに「レッド・パンダですよ」と訂正される。
レッド・パンダとダライ・ラマ
この雪で山を下りたトレッカーが集中し、ロッジが混んでいることだろうし、急いで降りても仕方がない、ということで、今日はキャンジュマまでで泊まることになる。
3人組より一足早く、7時45分に出発。昨日、ラジューくんから新雪のときはアイゼンはいらない言われ(確かに岩でアイゼンの歯が滑る)、ブーツのままで下ったら、(静岡県民なので)雪道を歩くのに慣れていなくて、何度か滑ってしまう(私がよく滑るのは旧知の事実)。手間取っているうちにルザに着く頃には後から出た3人組に楽々追い抜かれてしまった。
また雪
10時頃、行く手にドーレが見えてくる。テント場に並んた赤い点々はオーストラリアのトレッキング会社が建てたゲスト用の宿舎で、この会社は現地のロッジを利用せず、何でも自前で用意するのだという(地元にお金を落としてやれよ、と私は思う)。後にルクラの手前で彼らのグループにすれ違うことになる。
ドーレ(4090m)遠景
10時15分ドーレ着。雪はすっかりあがり、ときおり日も射してくる。さらに1時間ほど下ると、ドゥドゥ・コシを挟んだ向かいの崖にポルツェの村が見えてくる。雪の日にタンナからあそこまで行こうとしたのは無謀だったなと思う。
対岸のポルツェ(3810m)
11時15分、ポルツェ・タンガ着。ロッジに入っていくと、オーストラリアの3人組が昼食の注文中だった。ひとりが私を見て、「ドーレで休むかと思った」と言うので、「私は歳で歩くのが遅いだけよ」と言ったら、「僕らはウサギ、君はカメで、最後はきっと君が勝つよ。ウサギとカメの話、知ってるだろ?」と言う。「知ってる。イソップでしょ」と言ったら、答えがない(あれ、イソップじゃなかったっけ?)。カメと言われてちょっとムッとしたが、言われてみればその通りだなと納得。
ホットレモンを飲み、昼食が出来るのを待っている3人組を置いて、ロッジを出発。ポルツェ・タンガからは、2010年のチョラ・パス越えのときに下った“逆落としのような急坂”を逆に登ることになる(しかも雪道だ)。足が遅いので(何しろカメだから)坂のどこかで3人組に追い抜かれるかと思ったが、姿を見ないまま、12時50分モンラ着、マウンテンビュー・ロッジで昼食。
サナサの分岐に到着
モンラからキャンジュマまでは、さほど高度差のない緩い下りで、小さなアップダウンを繰り返しつつ(テジくんなら“登りもなく下りもない”と言うだろう)、おなじみサナサの分岐に到着(↑)
サナサからキャンジュマへの雪道
さらに十数分歩いて、キャンジュマのロッジ着。ザックを降ろして休んでいると例の3人組がやってきた(どんだけ昼食を食べたんだ)。今日中にナムチェまで行く彼らと、お別れの挨拶。

スリーパスに挑戦―Day10 (Tagnag - Machhermo)2015/01/14 16:02

12月15日7時起床。昨日の雪がウソのような快晴である。7時45分、ジャム・トーストとミルクティーの朝食。昨日の雪で今後1週間はチョラ・パス越えは不可能だろうという。ゴラクシェプでは3フィート(約1m)の積雪があったそうだ。
8時30分出発。ここからゴジュンパ氷河の下を回り、西側のトレッキング・ルートに出て、そこからマッチェルモに下るのだ。ポルツェに行くのかと思っていたが、道が険しいうえに積雪で危険とのこと。雲南の青年は、ロッジの男性がゴーキョに行くことになり、彼に付いて念願のゴーキョに行けると喜んでいる。見ると、すごい荷物を担いでいて、見かけよりずっと体力があることがわかる。さすがは雲南だ。彼とはロッジの前でお別れ。横浜の日本人はガイドなしで下るのは無理なので私達に同行することになる。朝からヘリが何度も飛んでくる。「ゴーキョで病人が出たんでしょう」とラジューくん。歩いてみると雪は浅いところでも30センチはあり、どこに川(ドゥドゥ・コシの支流)があるのかまったくわからず、ラジューくんとニルグマールさんが交替でラッセルし、ルート・ファインディングしてくれる。
ファリラプツェ(?)
ニルグマールさんは前に1度このルートを歩いたことがあるそうで、最初に先頭に立ち、難しいところでは高い場所に登って上からラジューくんに指示を出す。兄弟の息が合っているので、私は文字通り大船に乗った気分で二人がつけてくれた跡を踏んで行けばいい。が、ときどき吹きだまりに踏み込んで腰までずっぽりはまっては、ラジューくんに引き抜いてもらう。
雪の中のルート・ファインディング
それでも雪が膝の下あたりまで積もっているので、なかなかはかどらないし、疲れて歩く速度がますます落ちる。ようやくゴジュンパ氷河を抜け、ナというところで氷河から突き出たモレーンの山を反対側に越える。私がへばっているのを見かねて、後ろからきた村の女性がザックを持ってくれる。我ながら情けない。
雪の中のタマン兄弟
やっとナを越え、西側のドゥドゥ・コシの支流に架かる橋を渡り、谷を登ってトレッキング・ルートに出る。下の写真は今日のルートを振り返ったところ。右手の窪みを下り、真ん中の山を越え、左のルートに出たことになる。
マッチェルモの丘から下ってきたルートを振り返る
マッチェルモの丘まで下って来て、ロンリープラネットの表紙に使われている写真は、ここから撮ったものだと気づいた。ただし、この写真では角度が違い、カンテガとタムセルクが見えないが(↓)。
マッチェルモの丘
横浜の日本人とはトレッキング・ルートに出るところまで一緒だったが、今日中にドーレに行きたいということなので、先に行ってもらった。さらにゴーキョから脱出してきたトレッカーに何人も追い越されつつ、14時30分、マッチェルモのピースフル・ロッジ着。普通なら2時間弱、雪でも4時間もあれば着くだろうと思ったのに、なんと6時間もかかってしまった。
雪のマッチェルモ
ロッジには何人かトレッカーが姿を見せたが、ほとんど下っていってしまい、泊まるのは私と、片腕のないガイドとポーターを連れた30代の男性3人組だけになった。3人は最初アメリカ人かと思ったが、話を聞いているうちにオーストラリア人だとわかった。その夜は、みんなで雪の中を歩いてすっかり濡れた靴や靴下をストーブの前に並べて乾かした(↓)
ロッジのストーブで靴を乾かす

スリーパスに挑戦―Day9 (Tagnag)2015/01/14 14:59

12月14日、3時30分に目覚める。窓の外を見ると雪が降っている。ラジューくんから4時30分に朝食と言われていたが、雪だから今日は休むだろうと、ゆっくり8時に食堂へ行くと、ラジューくんから朝食を食べたらすぐポルツェへ下ると言われる。雪が積もってしまうと脱出がどんどん難しくなるのだ。
雪
荷物を作り、雨用のフル装備に。実はナムチェの坂を登るときにゲイターを忘れてきたことに気づいたが、まさかこんなことになるとは思わなかった。念のため雨用ズボンの口をギュッと絞っておく。タンナからポルツェへ下るルートはあるが、通常のトレッキングでは使わないので、ロッジの青年が案内してくれることになる。それに、この辺は氷河の終点にあたり、小川が多く、雪が積もっていると上から見えないので危ないのだ。雲南の青年も横浜の日本人も一緒に下ることになる。
ところが、ロッジを出て30分も行かないうちに、思ったより雪が深くてなかなか進めないうえ、雪まじりの風が強く、このまま進んでも、いつポルツェに着くのかわからないと不安になる。風がやめばいいが、さらに強くなったら立ち往生だ。先頭を歩いていたラジューくんが立ち止まり、私を見て「どうします?」と聞くので、即座に「戻ろう」と答えた。
雪のロッジ
ロッジに戻って荷物を部屋に置き、食堂に行く。昨夜眠れなかったので、今日は昼寝をせずに起きていることにした。ゴーキョのロッジならすぐストーブを焚いてくれるだろうが、タンナは辺鄙で物のないところなので、夕方まで寒いままだ。食堂を歩き回って体を動かすのにも限界があるので、ダウンジャケットを取り出して着込んだ。何もすることがなく、雲南の青年がイアフォンをつけて音楽を聴いては、うなっているのを見て、私も鼻歌を歌って過ごすことにする。窓の外を動くものがあるので、驚いて見に行ったらヤクの群れだった。厚い毛皮に覆われているが、雪の中ではさすがに寒そうに見える(↓)
雪の中のヤク
食堂でラジューくんと今後のことについて話し合った。明日雪が止んだら、西側のルートに出てドレに下り、エベレスト街道に回ればチュクンへ行ける。チュクンに行ければ、コンマ・ラのルートを下見できるし、チュクン・リに登ってもいい。だが、チョラとコンマ・ラの2つの峠越えは、この雪で不可能だと言う。ふと、この雪は、来年またトレッキングに来いという天の啓示かもしれない、と思う。ならばコンマ・ラは来年越えることにするか。
18時にヴェジ・モモとミントティーで夕食。雲南の青年は英語はたどたどしいが、話してみると人なつこく、面白い人だった。前の日に撮ったゴジュンパ・ショの写真を見せると「フィフス・レイクに行ったんですね」と羨ましがる。ゴーキョのロッジでも「湖を見に行った」と言ったら、「フィフス・レイクね」と言われ、ゴジュンパ・ショのことを“第五の湖”というのだと気づいた。ロンポンガ・ショから数えると、タボチェ・ショ、ドゥドゥ・ポカリ(ゴーキョ・ショ)、トナク・ショ、ゴジュンパ・ショで5番目になる。雲南の青年は帰国便の都合があり、このままではゴーキョに行けないと悲観的だ。「まだ若いから、また来ればいいよ」と言ってみるが、あまり慰めにならなかった。

スリーパスに挑戦―Day 8 (Gokyo - Tagnag)2015/01/14 14:07

12月13日6時起床。荷物を作り、7時30分に朝食。昨夜疲れて食欲がなかったので、朝も軽めにポテトスープとブラック・ティーだけにする。
8時30分出発。今日はゴジュンパ氷河を渡ってタンナに下るだけ。氷河は毎年動くので、どこを歩くかをシーズン始めに決め、ケルンが作られる。2010年のチョラ・パス越えのときはゴーキョから少し下ってから越えたが、今回はロッジを出るとすぐに氷河の縁を登り、内側に入る。氷河上のところどころで氷が顔を出し、クレバスがあって危ないので慎重に進まねばならない。石がゴロゴロする小山を幾つも越えていく、私の苦手なモレーン歩きだ。ふと気づくと、昨日快晴だった空は灰色で、背後に見えるはずのチョー・オユーがすっかり雲に隠れている。
ゴジュンパ氷河を渡る
反対側に着いて縁を登ると、前日チョラ・パスを越えてきたグループとすれ違い、「Enjoy Trekking !」と声をかけられる。確かにその通りだなと思い、以後、私も同じ言葉をかけることにする。
10時20分、タンナのクンビラ・ホテル着。2010年に泊まったのと同じロッジのようで、見覚えがある。そのとき工事中だった部分はすっかり出来上がっている。4年経ったから当たり前だが。
タンナのロッジが見えた
12時、ヴェジ・フライドライスとホットレモンで昼食。天気が悪いので、明日の朝、天気を見てチョラ・パスに行こうということになる。今朝、チョラ・パスに向かった人が天気が悪くて引き返してきたとも聞く。チョラが通れなければ、ポルツェまで下ってコンマ・ラに回ることになるのだろうか。
ロッジには私の他に単独の男性トレッカーが2人いた。「あの人は日本人ですよ」とラジューくんの言う、長い髪を頭の上で結って、ずっとジャグリングの練習をしている人は、諸星大二郎の<諸怪志異>に出て来そうな雰囲気だ。好奇心が湧き、ストーブにあたっているときに思いきって話しかけてみたら、横浜から来たという日本人だった。ラジューくん「正解」。もう1人は雲南から来たという中国人の青年で、この2人とは意外に長いお付き合いになった。