山は遠かった(Day7)―Lama Hotel to Sing Gompa2014/01/06 21:30

12月16日6時起床。両側に人が寝ている部屋で寝たのは今回が初めて(私の部屋はツインだったので、最初は音が気になってベッドを替えてみた)。チベッタンブレッドとハチミツ、ブラックティーで朝食。8時出発の予定が15分遅れで歩き始める。今日は2400mのラマ・ホテルから、いったんドナン(1672m)まで降り、そこから2260mのツロ・シャブルを経て、3330mのシンゴンパまで登るという長丁場だ。
行きに昼食を食べたバンブーのロッジ
行きで音を上げた急な上りを一気に下り、1時間20分でバンブーのロッジ着(↑)。小休止のあと、さらに30分ほどでパイロに着く(↓)。ロッジの屋根の向こうに見える、陽の当たっている小高い丘の上の村が、目指すツロ・シャブルだ。
パイロからツロ・シャブルを見上げる
ドナン(1672m)の少し手前から左(南)の道に入り、急な山道をスイッチバックで登り始める。1時間ほどで尾根に出ると茶店があり、ツロ・シャブルから来たグループと一緒になる。村はまだ先(左の丘の上)だが、大部登ったので、遠くの尾根にガネッシュ・ヒマールの先端が見え始める(↓)
ガネッシュ・ヒマールが見えてくる
ところが、ここから尾根伝いにツロ・シャブルへ向かうのかと思いきや、しばらくして遙か下方に吊り橋が見えてくる。まさか、と思ったら、案の定あの吊り橋を渡るのだった。つまり、いったんあそこまで降り、吊り橋を渡ってから、また登り返すのだ。以前チョラ・パス越えの帰りにトゥクラで会った韓国人の青年が「ネパール人はなぜ山を上から越すんでしょう、横から回ればいいのに」と言っていたのをしみじみ思い出す。
遙か下に吊り橋が…
急坂を下り、吊り橋を渡ってから、うんざりするような登りを経て、12時45分、やっとツロ・シャブルのホテル・ラマ着。自分へのご褒美に今回のトレッキング初のスプライトを飲む’(↓)。しかし、これからまだ1000mの登りが待っているのだ…。
初のスプライト
ヴェジ・フライドライスの昼食を食べ(少し残してしまった)、14時すぎに出発。学校の横を通って山道に入り、急坂をスイッチバックでひたすら登っていく(あとでガイドブックを見たら、このルートは尾根への近道だった)。30分ほどで開けた場所に出ると、眼下にツロ・シャブルの村が小さく見えた。実はこのとき、「村まで戻って1泊しよう」と喉まで出かかっていたのだが、あそこまで降りるのがもったいなくなって断念(最初はツロ・シャブルで1泊する予定も立ててはみたのだが、例によって登り道であることを忘れてしまった)。
眼下にツロ・シャブルが見える
しかし、途中から本当にバテてペースが落ち、見かねたラジューくんが私のザックをゴレくんに渡すよう指示。身軽になって(足の重いのは変わらないが)さらに急な山道をスイッチバックで登り続ける。何度目かの小休止の際、ラジューくんがぽつりと「この辺の地元の人はクレージーだから、暗くなると何をするかわかりませんよ」と言う。(えー!)シンゴンパ到着予定が5時なので、これ以上遅れるなと釘を刺すためなのか何なのか。暗くなるのを覚悟してヘッドランプも出しやすいところに入れたのに、問題は別のところにあったのだ。
やっと丘の上
16時20分、フォプラン・ダンダ(3190m)という尾根の上に着く(↑)。高度が上がり、ロッジの背後にランタン峰が見えてきた。ここからは森の中の尾根道を150mほど登っていくだけだ(↓)
越えれば緩やか
17時15分すぎ、シンゴンパ着(↓)
シンゴンパのロッジが見えた
ホテル・レッド・パンダに荷物を降ろし、夕陽をカメラに収める。何はともあれ、間に合ってよかった。
日の入りに間に合う
本日の歩行は休憩含め約9時間、歩数は何と37182歩だった。過去に下りで3万歩以上歩いたことはあったが、登りでこの数字は記録かもしれない。さすがに疲れて食欲がなく、夕食のシャクパ・スープ(すいとんに似たチベットのシチュー↓)を大半残してしまった。
夕食のシャクパ・スープ
ロッジの食堂では日本人らしい60代の男性2人がトンバ(発酵させた麦を筒に入れ、上からお湯を注いで下に溜まった汁をストローで飲むチベットのホット・ビール)を飲んでいた。話を聞くと長野から植林に来たそうで、昔はならした山男らしい。ドゥンチェからゴサインクンドに行った帰りで、明日はドゥンチェへ下り、ジープをチャーターしてカトマンドゥに戻ると言う。植林は公的援助ではなく、個人が始めた事業を今も引き継いで行っているとか。長野の山男は偉いなと感心。2人の世話をやいているネパール語の上手な女性はNさんといい、海外青年協力隊で赴任してきたばかり。彼らに付いているガイドはシェルパ族で、“ミウラを知ってる”と言う。三浦雄一郎がエベレストに登頂した際、かなり大勢のシェルパ族を雇ったらしく、その結果、たいがいのシェルパが知り合いになった、という落ちである。夕食の後、Nさん、Nさんのガイド、ラジューくんと私で雑談。ガイドはしきりに“嫁にするなら日本の女性がいい”とモーションをかけるが、Nさんは“ネパール人と結婚すると、もれなく家族・親戚まで付いてくる”と切り返す。話が楽しくて、珍しく遅くまで起きていた夜だった。

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