スリーパスに挑戦―Day9 (Tagnag) ― 2015/01/14 14:59
12月14日、3時30分に目覚める。窓の外を見ると雪が降っている。ラジューくんから4時30分に朝食と言われていたが、雪だから今日は休むだろうと、ゆっくり8時に食堂へ行くと、ラジューくんから朝食を食べたらすぐポルツェへ下ると言われる。雪が積もってしまうと脱出がどんどん難しくなるのだ。

荷物を作り、雨用のフル装備に。実はナムチェの坂を登るときにゲイターを忘れてきたことに気づいたが、まさかこんなことになるとは思わなかった。念のため雨用ズボンの口をギュッと絞っておく。タンナからポルツェへ下るルートはあるが、通常のトレッキングでは使わないので、ロッジの青年が案内してくれることになる。それに、この辺は氷河の終点にあたり、小川が多く、雪が積もっていると上から見えないので危ないのだ。雲南の青年も横浜の日本人も一緒に下ることになる。
ところが、ロッジを出て30分も行かないうちに、思ったより雪が深くてなかなか進めないうえ、雪まじりの風が強く、このまま進んでも、いつポルツェに着くのかわからないと不安になる。風がやめばいいが、さらに強くなったら立ち往生だ。先頭を歩いていたラジューくんが立ち止まり、私を見て「どうします?」と聞くので、即座に「戻ろう」と答えた。

ロッジに戻って荷物を部屋に置き、食堂に行く。昨夜眠れなかったので、今日は昼寝をせずに起きていることにした。ゴーキョのロッジならすぐストーブを焚いてくれるだろうが、タンナは辺鄙で物のないところなので、夕方まで寒いままだ。食堂を歩き回って体を動かすのにも限界があるので、ダウンジャケットを取り出して着込んだ。何もすることがなく、雲南の青年がイアフォンをつけて音楽を聴いては、うなっているのを見て、私も鼻歌を歌って過ごすことにする。窓の外を動くものがあるので、驚いて見に行ったらヤクの群れだった。厚い毛皮に覆われているが、雪の中ではさすがに寒そうに見える(↓)

食堂でラジューくんと今後のことについて話し合った。明日雪が止んだら、西側のルートに出てドレに下り、エベレスト街道に回ればチュクンへ行ける。チュクンに行ければ、コンマ・ラのルートを下見できるし、チュクン・リに登ってもいい。だが、チョラとコンマ・ラの2つの峠越えは、この雪で不可能だと言う。ふと、この雪は、来年またトレッキングに来いという天の啓示かもしれない、と思う。ならばコンマ・ラは来年越えることにするか。
18時にヴェジ・モモとミントティーで夕食。雲南の青年は英語はたどたどしいが、話してみると人なつこく、面白い人だった。前の日に撮ったゴジュンパ・ショの写真を見せると「フィフス・レイクに行ったんですね」と羨ましがる。ゴーキョのロッジでも「湖を見に行った」と言ったら、「フィフス・レイクね」と言われ、ゴジュンパ・ショのことを“第五の湖”というのだと気づいた。ロンポンガ・ショから数えると、タボチェ・ショ、ドゥドゥ・ポカリ(ゴーキョ・ショ)、トナク・ショ、ゴジュンパ・ショで5番目になる。雲南の青年は帰国便の都合があり、このままではゴーキョに行けないと悲観的だ。「まだ若いから、また来ればいいよ」と言ってみるが、あまり慰めにならなかった。
スリーパスに挑戦―Day10 (Tagnag - Machhermo) ― 2015/01/14 16:02
12月15日7時起床。昨日の雪がウソのような快晴である。7時45分、ジャム・トーストとミルクティーの朝食。昨日の雪で今後1週間はチョラ・パス越えは不可能だろうという。ゴラクシェプでは3フィート(約1m)の積雪があったそうだ。
8時30分出発。ここからゴジュンパ氷河の下を回り、西側のトレッキング・ルートに出て、そこからマッチェルモに下るのだ。ポルツェに行くのかと思っていたが、道が険しいうえに積雪で危険とのこと。雲南の青年は、ロッジの男性がゴーキョに行くことになり、彼に付いて念願のゴーキョに行けると喜んでいる。見ると、すごい荷物を担いでいて、見かけよりずっと体力があることがわかる。さすがは雲南だ。彼とはロッジの前でお別れ。横浜の日本人はガイドなしで下るのは無理なので私達に同行することになる。朝からヘリが何度も飛んでくる。「ゴーキョで病人が出たんでしょう」とラジューくん。歩いてみると雪は浅いところでも30センチはあり、どこに川(ドゥドゥ・コシの支流)があるのかまったくわからず、ラジューくんとニルグマールさんが交替でラッセルし、ルート・ファインディングしてくれる。

ニルグマールさんは前に1度このルートを歩いたことがあるそうで、最初に先頭に立ち、難しいところでは高い場所に登って上からラジューくんに指示を出す。兄弟の息が合っているので、私は文字通り大船に乗った気分で二人がつけてくれた跡を踏んで行けばいい。が、ときどき吹きだまりに踏み込んで腰までずっぽりはまっては、ラジューくんに引き抜いてもらう。

それでも雪が膝の下あたりまで積もっているので、なかなかはかどらないし、疲れて歩く速度がますます落ちる。ようやくゴジュンパ氷河を抜け、ナというところで氷河から突き出たモレーンの山を反対側に越える。私がへばっているのを見かねて、後ろからきた村の女性がザックを持ってくれる。我ながら情けない。

やっとナを越え、西側のドゥドゥ・コシの支流に架かる橋を渡り、谷を登ってトレッキング・ルートに出る。下の写真は今日のルートを振り返ったところ。右手の窪みを下り、真ん中の山を越え、左のルートに出たことになる。

マッチェルモの丘まで下って来て、ロンリープラネットの表紙に使われている写真は、ここから撮ったものだと気づいた。ただし、この写真では角度が違い、カンテガとタムセルクが見えないが(↓)。

横浜の日本人とはトレッキング・ルートに出るところまで一緒だったが、今日中にドーレに行きたいということなので、先に行ってもらった。さらにゴーキョから脱出してきたトレッカーに何人も追い越されつつ、14時30分、マッチェルモのピースフル・ロッジ着。普通なら2時間弱、雪でも4時間もあれば着くだろうと思ったのに、なんと6時間もかかってしまった。

ロッジには何人かトレッカーが姿を見せたが、ほとんど下っていってしまい、泊まるのは私と、片腕のないガイドとポーターを連れた30代の男性3人組だけになった。3人は最初アメリカ人かと思ったが、話を聞いているうちにオーストラリア人だとわかった。その夜は、みんなで雪の中を歩いてすっかり濡れた靴や靴下をストーブの前に並べて乾かした(↓)
