石巻かほく亭・準備篇 ― 2011/08/21 09:08
石巻で被災した河北新報の桂直之さんと震災直後から連絡をとりあううちに、私でも何かできないかと考え、渦産業の木村万里さんの協力で、落語会を開くことにした。といっても、こちらの気持ちの押しつけになってはいけないし、実際、落語会を開けそうな、被害を受けなかった広い会場は、ほとんどが避難所になっていて、なかなか機会が見えてこなかったのだが、そろそろ出来そうだという連絡が来たので、7月1日、木村万里さんと会場候補の下見に行く。石巻に行くには、仙台で仙石線に乗り換えるのだが、津波の被害で、松島海岸から先が代行バスになるので、仙台から高速バスに乗ることにする。便は1時間に1本で、乗車の頃には満員に。バスは山側から石巻に入るため、片付けが進んだ町は、ところどころに積み上げられた瓦礫がなければ、ほとんど正常に見える。

最初に見に行ったのは、石巻専修大学。ここは、ボランティア・センターになっていて、石巻にボランティアに来た人は、ここで登録し、各地へ振り分けられる。広々としたキャンパスには、まだボランティアが寝泊まりするテントが幾つか。最盛期はいっぱいになったそうだ。大学は、震災の影響で新学期の始まりが大幅に遅れたため、夏休み返上で講義を続ける。そのため、借りられる教室があまりない。ここには森口記念館という大きな講堂があるが、ちょっと広すぎる。いっぱいの客席とガラガラの客席では演者のやる気も、盛り上がりも全然違う。そこはプロの万里さんに全面的にお任せ。会場を見た万里さんの頭の中で、あれこれアイデアが動き出すのが見てとれる。やっぱり石巻に来てよかった。

次に見に行ったのは、料亭竹の浦。ここは津波を免れ、いち早く営業を再開したところで、ご主人が笑いに関心があるとか。会場を見せてもらって外に出ると、入れ替わりに、お斎をするらしい喪服の人々がやってきた。まだまだ悲しみが続いていることを肌で感じる。

最後に、三陸河北新報社を表敬訪問。震災の話をうかがう。津波は2階まで押し寄せたので、社員の方々は3階に避難したそう。窓から見える自動販売機(↓)によじのぼって、塀づたいにビルに入って難を逃れた人もいて、三陸河北新報社が編集した写真集「大津波襲来」にそのときの模様が載っていた。震災後、しばらくは避難してきた近所の人達とビルの3階で共同生活をしていたのだそうだ。石巻は日日新聞の手書きの壁新聞が有名だが、三陸河北新報社は、記事のデータを入れたUSBを毎日仙台の本社に記者が持参し、仙台で印刷したので、震災後3日目から新聞を発行できたそうだ。

帰りは、桂さんの車で仙台まで送ってもらう。海岸側の道を通ると、まだ傾いた電柱や、1階がボロボロになった住宅が並んでいる。これを“復興”するのは容易ではないと思う。


公共交通機関が使えないか、使えても不便なので、結局移動は車ということになる。したがって朝晩の通勤時間は車が溢れ、高速の料金所では、いちいち被災証明を見せなければならないので長蛇の列が出来る。名付けて復興渋滞。しばらくの間、高速なんか無料にすればいいのに。役人は机の上ばかり見て、土の上に立っていないことの証明である。

仙台に着き、桂さん行きつけのワイン・レストランでワインをご馳走になり、帰宅。結局、下見に行った候補場所ではなくて、8月1日から正常営業を始める石巻グランドホテルの宴会場が使えることになった。
石巻かほく亭・いよいよ開演篇 ― 2011/08/21 10:29
万里さんから出演者を「三遊亭兼好さんに」という提案。「できたら、岡大介くんも連れていきたい」。ということで、お二方を念頭に会場とスケジュール合わせ。万里さんは、ボランティアの人達にも聞いてもらえる、と専修大学が希望のようだったが、教室が使える日と兼好さんのスケジュールが合わない。「他の落語家さんにする?」と聞くと、「いったん“兼好さん”と考えたら、彼しか考えられなくなった」というので、兼好さんのスケジュール優先に。ドイツ公演に行っていた師匠の帰国を待って、日時は8月20日、場所は、そのときには営業再開している石巻グランドホテルの宴会場、ということになる。ずっと“石巻で落語会”と呼んでいた会の名称を、万里さん提案の「石巻かほく亭」とし、主催を三陸河北新報社、企画を渦産業(万里さん)と私にしていただく。

8月20日、仙台駅から桂さんのBMWで石巻へ。会場のグランドホテルは、7月に来たときはまだ工事中で、外から見ただけだったが、中に入ってみたら、すごく立派なホテルだった。さっそく会場をチェック。兼好さんのダメだしで、高座をさらに高くする。落語は全身を見せる芸なので、高低のない会場では高座をかなり高くしないと、後ろの席まで見えない。万里さんは「演者の頭が天井につかない程度に高く」とメールで指示していたのだが、冗談だと思われたらしい。さらにマイクや照明をチェックし、段取りを決める。

1時30分開場、お客様が入り始める。受付では、三陸河北新報社編集の「大津波襲来 石巻地方の記録」がよく売れている。

開演15分前で6分の入り。予約は180名だったが、結局、来てくれたのは145名。実は同時刻に近所の学校で、ドリカムのコンサートがあり、若い層はそっちに流れたらしい。ライバルがドリカムとは…。

人数的にはちょっと残念だったが、最前列から埋まっていく客席にお客様の期待感を感じる。年配の方が多く、子供もいることを意識した兼好さんのまくらとネタ(転失気)を聞いて、「絶対に兼好さん」と言った万里さんは、いつも正しいと思う。最後列で見ていると、お客様の頭動きや笑い声で笑いの波動が伝わってくる。石巻の人達に元気をあげるなんて、おこがましい、こちらが元気をもらっている、“情けは人のためならず”って本当だなと思う。続いて、震災後、何度も石巻を訪れて、あちこちで歌ってきた岡大介さん登場。缶詰の空き缶で作った三線で、若いのに明治大正の演歌を歌う変わり種。客席から手拍子を貰い、最後は必殺ご当地ソング“石巻の女”を大合唱。休憩後、再び兼好さんが登場し、“替わり目”でしめ。アンケートの回収率も上々で、やわらかい笑顔のまま帰っていかれる姿を見ると、本当にやってよかったと実感。

富士十合登山―1日目 ― 2011/08/23 23:28
8月22日、去年から計画だけはしてきた富士十合登山をいよいよ決行。今年から富士山駅(元富士吉田駅)から馬返しまでバスが通じるようになって、徒歩約3時間が短縮できるのも後押し。あいにくの曇り空の下、富士山駅10時発の満員のバス(といっても10人乗りのバン)で馬返しへ。

10時30分、馬返し着。霧が出てくる。バス停の横に簡易トイレが2個備えつけられている。富士登山ブームで麓から登る人が増え、バスの便が出来たりしたせいで便利になってきた。トイレを借りているうちに、同行の乗客は全員出発してしまった。姿が見えなくなったところでテクテク歩き出す(この先、佐藤小屋まで、ずっと一人旅だった)。

馬返しから登山道を曲がると、狛犬の代わりに猿が立っている鳥居がある。本来は鳥居を通り抜けて登っていったのだろうが、今は崩落の危険があり、立入禁止。で、ぐるっと迂回。

11時50分、三合目三軒茶屋跡(1840m)着。霧が晴れて、日が出てきた。五合目からの富士登山ではとても考えられない、木漏れ日の登山道をさらに登っていく。

13時10分、佐藤小屋着。再び雲が出てくる。馬返しで先に出ていった中年4人組と若いカップルに追いつく。

佐藤小屋で、コンビニおにぎりの昼食をとり、少し休憩してから出発。13時40分、経が岳の日蓮聖人像の前を通過。

14時、六合目安全指導センター着。スバルライン五合目から来た大勢の登山客と合流、いきなり賑やかになる。

いよいよ本格的な登りに。すでに3時間あまり歩いて足が重い。花小屋までは予定より30分早いペースだったが、鎌岩館あたりから、混雑で登山道が詰まってしまい、休み休みの登りに。途中で、はとバスのツアーを追い抜き、16時30分に太子館着。さすがに疲れた。

17時20分、太子館名物カレー弁当で夕食。1人前のおひつが可愛い。が、あまりに疲れていて、おひつを空にすることができなかった(クッソー)。山頂でご来光は混むだろうと、日の出と同じ頃に出発することにし、することもないので、早めに寝る。すると、次第に風が出て、天気はさらに下り坂に…。
富士十合登山―2日目 ― 2011/08/26 09:57
8月23日、寝床で寝ていると、風の鳴る音が聞こえ、いかにも天気が悪そうだ。4時40分頃、外に出てみると、こんな空(↓)だった。雲が切れて、少しだけ空がのぞいていたが、その後はまた雲に覆われ、二度と空は見えなかった。風は少しあるが、雨はそれほどでもなく、去年紗那美ちゃんと登ったときほど、ひどくはない。ただ、歩き出してみると、さすがに足が重い。

霧の中を黙々と登るうちに、雨脚が強くなってくる。上を見ると九合目あたりから先は霧に隠れ、これでは山頂に行っても景色は何も見えないだろう。5時20分、白雲荘まで登ったところでリタイアを決意。蓬莱館まで下って、下山道に入る。

6時40分、六合目安全指導センターまで下る。山頂まで登れたら、ここから河口湖口五合目に出て高速バスで新宿に戻るつもりだったが、時間も早いし(10時30分までバスがない)、途中で折り返したことでもあり、その分歩くつもりで吉田口ルートを馬返しへ向かう。

7時、佐藤小屋で小休止。雲が切れて、雨があがってきたので、雨具を脱ぎ、ザックカバーを仕舞う。そこで、どこかでサングラスを落としてきたことに気づく。とはいえ、探しに帰るのは不可能なので、そろそろ失くし時だったのだと思って諦める。雨でつるつる滑る山道を下って馬返しまで戻ると、昨日は閉まっていた茶店が開店していて、おじさんから「寄っていかない?」と声をかけられる。まだ9時少し前で、富士山駅行きのバスまで1時間半も待たねばならない。下りは好きなので、行けるところまで歩いてみるつもりで、吉田口遊歩道に入って下り続ける。

途中、小学生と父親の2人組とすれ違う。声をかけると、これから山頂を目指すのだという。「昨日、今日が悪天候だったので、明日はきっと晴れますよ」と言って励ます。朝の曇天がウソのように晴れ、ススキが風に揺れる富士山麓はすっかり秋模様だ。

10時ちょっと前に中の茶屋に到着。さすがに疲れて足が動かなくなってきた。このまま勢いで浅間神社まで歩こうと思ったものの、“クマに注意”の看板ですっかり気持ちが萎え、中の茶屋のバス停で10時40分の富士山駅行きバスを待つことに。10時20分に馬返し行きのバスが来ると、なんと満員である。運転手のおじさんに、帰りに拾ってくれるよう声をかけ、折り返してきたバスに乗って富士山駅に戻る。帰りの乗客は私1人だった。

10時57分、富士山駅着。10時59分発の高速バスに飛び乗って、12時50分に新宿着。帰りはあっという間だった。
さて、来年、山頂に到達し、十合登山を完全達成するには、今後どうやって脚力をつけるかが大きな課題だ。うーん…。
さて、来年、山頂に到達し、十合登山を完全達成するには、今後どうやって脚力をつけるかが大きな課題だ。うーん…。